約 576 件
https://w.atwiki.jp/sangokushi-taisen_ds/pages/91.html
他001 C阿会喃 騎 No.133 C黄祖 弓 他002 R于吉 歩 他008 UC公孫瓚 騎 他003 UC王允 弓 他009 UC皇甫嵩 槍 他004 C鄂煥 歩 他010 R兀突骨 象 No.225 C何進 歩 他011 R司馬徽 弓 他005 SR華佗 歩 No.229 UC十常侍 歩 No.227 C何太后 歩 他012 C周倉 槍 他006 C金環三結 象 他013 R祝融 象 No.131 C邢道栄 歩 他014 C帯来洞主 象 他007 R献帝 歩 _ 他015 UC朶思大王 象 >> 他-2 【他001】C阿会喃 【他002】R于吉 【他003】UC王允 【他004】C鄂煥 【No.225】C何進 【他005】SR華佗 【No.227】C何太后 【他006】C金環三結 【No.131】C邢道栄 【他007】R献帝 【No.133】C黄祖 【他008】UC公孫瓚 【他009】UC皇甫嵩 【他010】R兀突骨 【他011】R司馬徽 【No.229】UC十常侍 【他012】C周倉 【他013】R祝融 【他014】C帯来洞主 【他015】UC朶思大王 【他001】C阿会喃 武将名 あかいなん なし 阿会喃 南蛮王・孟獲の部下。緒戦で5万の兵を率いて諸葛孔明に挑むが、逆に奇襲をかけられ、敗れて生け捕りにされた。そして孔明の策により、孟獲捕縛のために釈放され、策通り見事に孟獲を捕縛するも、それを恨まれ、のちに釈放された孟獲に殺害された。「イヒヒヒヒ。コイツヲツレテク、オレタスカル」 コスト 1 兵種 騎兵 能力 武力3 知力1 特技 復活 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 戦器 餌 ジャックフルーツ 回復速度UP Illustration 牧野卓 南蛮1コスト復活軍団のひとり。 機動力を活かしての捨て駒・ピンポンダッシュ要員として、と言うかすぐに帰ってくるので案外何でもこなせる。 伏兵掘りに壁に端攻めに連突と、あらゆる面で呂布との相性がいい。 【他002】R于吉 武将名 うきつ なし 于吉 民家から信仰を集めた仙人。「人心を惑わす者」として孫策に捕らえられた。雨を降らせたら許してやろうと言われ、雨を降らせるも、そのまま処刑されてしまった。死後、亡霊となって現れ、孫策を呪い殺した。「ふぉふぉふぉ、雨を降らせるくらい簡単じゃ!」 コスト 1 兵種 歩兵 能力 武力1 知力8 特技 伏兵 計略 降雨 天候が雨になる。雨天時は炎系の計略のダメージが減少して、水・雷系のダメージが増加する。さらに水・雷系の計略の必要士気が下がる。 必要士気3 戦器 薬 于吉仙丹 回復速度UP 最大兵力UP(20%) Illustration 山本章史 計略の効果時間は約20c。 コンボ専用計略として、他単で組めないのは辛いところ。 最早Rとしての価値が見出せない一枚ではあるが、降雨落雷デッキ自体はまだまだ現役。 【他003】UC王允 武将名 おういん しし なし 王允 -子師- 「王佐の才」と言われた漢の司徒。大将軍何進の死後、権力を握った董卓の横暴に嘆き、美女貂蝉を使った「連環の計」で呂布に董卓を殺させることに成功する。しかし、董卓の配下達に恩赦を施さなかった為、反乱を招き殺害された。「ふっふっふ、あと少しで、我が計が成るわい……」 コスト 1 兵種 弓兵 能力 武力2 知力8 特技 なし 計略 連環の小計 範囲内の敵の移動速度を下げる。 必要士気5 戦器 薬 洛陽丹 最大兵力UP(10%) Illustration F.S 連環の小計の移動力ダウンは控えめだが、ワラワラで攻める他軍との相性は良い。 能力値も計略要員としてはそれほど悪くないレベル。他単で馬鹿連環が出来るのが大きなポイント。 減速効果がそれほど高くないので主に敵槍兵や高武力低知力武将に狙いを絞ると良い。 対騎馬(特に騎馬号令)には効果が低いので士気を無駄にしない様に注意したい。 呂布、兀突骨、木鹿大王、典韋や槍多め構成の大徳、屍等には効果的に機能する。 【他004】C鄂煥 武将名 がくかん なし 鄂煥 益州の郡太守配下の猛将。奇怪な容貌と9尺あまりある長身で他を圧倒した屈強の男。孟獲らと組んで蜀への反乱軍の一員として戦ったが、諸葛孔明の離間の計にはまって、同胞を殺害した。後に孔明の徳の高さに感服し、蜀に帰順した。「俺の中の獣、暴れ出したら止められねえよ」 コスト 1.5 兵種 歩兵 能力 武力7 知力2 特技 勇猛 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 戦器 薬 南蛮丹 最大兵力UP(10%) Illustration 金田榮路 他軍の華、高武力歩兵。コスト中最高の武力7に加えて勇猛を持つ。 しかし復活を持っていないので、やはりドクターの座は奪えそうに無いか。 実は象兵の守護役(対騎兵弓兵防壁)として使うと結構いやらしい。 【No.225】C何進 武将名 かしん すいこう なし 何進 -遂高- 妹が皇后となったために、大将軍まで上り詰めた幸運な男。もとは単なる肉屋で、将軍となってからも、「肉屋」のあだ名で呼ばれていたという。朝廷を牛耳る宦官を粛清すべく、各地より群雄を呼び寄せるが、途中で怖気づき、逆に宦官に暗殺された。「あわわ、えらいことやってもうたぁ!」 コスト 1 兵種 歩兵 能力 武力3 知力1 特技 なし 計略 何進の大号令 範囲内の味方の武力が上がり、知力が大幅に下がる。 必要士気4 戦器 なし Illustration F.S 三国志界隈屈指の脳筋が集う他では、殆ど気にならない 元々お馬鹿な人たちと一緒に掛ければ「指揮」よりも必要士気が軽く済むと思えば。 号令効果はあっと言う間に切れてしまう。 【他005】SR華佗 武将名 かだ げんか 超医師 華佗 -元化- 伝説の名医。薬の調合や灸、鍼などあらゆる医術に通じ、麻沸散(まふつさん)という麻酔薬を使って開腹手術まで行った。全土で治療を行い、「百歳を超えている」と噂されていたが、常に外見が若々しく、実際の年齢は不明だった。「中華にはびこる病は、この俺が排除する」 コスト 1.5 兵種 歩兵 能力 武力6 知力8 特技 なし 計略 神医 範囲内の味方の武力が上がり、敵から受けている計略の効果を消す。 必要士気5 戦器 書物 青嚢の書 計略時間UP Illustration 真船一雄 1.5コストとしては壊れスペック。歩兵なのが唯一の悩み。しかしそれ以外は完璧とも言える。 死なずに伏兵処理を出来るうえに計略が脳筋達と相性抜群なので、相変わらず他単で神扱いされている。 ネックは範囲の狭さか。 【No.227】C何太后 武将名 かたいごう なし 何太后 漢の大将軍、何進の妹。もちまえの色気で、帝に気に入られ、肉屋の生まれから皇后となった。宦官を嫌う何進とは対照的に、宦官と仲がよかったため、幾度となく宦官を殺そうとする何進をなだめた。しかしそれが裏目に出て、何進は宦官に暗殺されてしまった。「もぅだめよう、兄様も十常侍もなかよくしてぇ~ん」 コスト 1 兵種 歩兵 能力 武力1 知力3 特技 魅力 計略 甘い色香 範囲内の味方の兵力が回復して、武力が大幅に下がる。 必要士気2 戦器 なし Illustration F.S 計略は必要士気2でほぼ体力全快、ただし武力-10。兄妹揃って捻くれた計略持ちとは…。 しかし、兄様の計略から繋げれば偽奮起号令にも。 また、馬鹿計略がかかると、体力回復量には変動がないのに武力低下が1カウントも持たなくなるために、 馬鹿が逆にメリットとなる笑える性質を持つ。 【他006】C金環三結 武将名 きんかんさんけつ なし 金環三結 南蛮王・孟獲の部下。第一洞元帥(南蛮国の「洞」とは砦を意味し、洞元帥はその砦の主をいう)。蜀軍の南蛮平定に対して、孟獲の命令で第二洞元帥・董茶那、第三洞元帥・阿会喃とともに出兵した。金環三結は正面から5万の兵を率いて進撃した。「我ガ密林カラ生キテ帰レルトオモワンコトダ」 コスト 1 兵種 象兵 能力 武力3 知力1 特技 復活 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 戦器 餌 スイカ 回復速度UP Illustration 池田宗孝 南蛮1コスト復活軍団のひとり。 捨て駒としてはもちろん象兵なので城門への攻城妨害。弓兵妨害にも使える。 が、所詮武力3であるため敵の高武力を運ぼうとするとすぐに死んでしまう。 象兵は地形による影響が小さく機動力が高い上に攻城力が高いので、悪地形から端攻めすると効果的。 攻城要員として、他単デッキではなかなか使える。 邪魔者は押し退けてしまえるので、開幕の伏兵掘りにも非常に便利。 【No.131】C邢道栄 武将名 けいどうえい なし 邢道栄 南方の太守・劉度配下の猛将。劉備が進行してきたとき出陣するが、罠にはまり捕らえられた。夜襲時の内応を申し出て釈放されるが、帰陣すると裏切り、夜襲にきた劉備軍の攻撃に出た。しかしそれは裏切りを読んだ囮の部隊で、逆に陣を奪われ、趙雲に討たれた。「アイツはぁ、オレが殺ってくるぁ・・・・・・」 コスト 1 兵種 歩兵 能力 武力4 知力1 特技 復活 勇猛 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 戦器 なし Illustration 黒藪裕也 三国志大戦の邢道栄はかなりの強豪。その力はゴリさんを超えるという人も。 黄巾系列デッキの中核の一人。黄巾軍団は総じてそうだがコストに比べて能力が高すぎる。 コスト1武力4勇猛復活とコストパフォーマンス抜群なのに歩兵ってだけでコモンにされていると思われる。 KdoAと表記されることもある。 【他007】R献帝 武将名 けんてい なし 献帝 後漢王朝最後の皇帝で本名は「劉協」。9歳にして皇帝となるが、名ばかりの存在であった。皇帝推載の意志を表明した曹操により、大義名分を与える飾りとして利用される。曹操死後はその息子である曹丕に禅譲し、後漢王朝は名実ともに終焉を迎えた。「曹操よ、天下とはいったい何なのだ?」 コスト 1 兵種 歩兵 能力 武力1 知力5 特技 防柵 魅力 計略 勅命 戦場でもっとも武力の高い味方の武力が大幅に上がる。 必要士気4 戦器 書物 勅書 計略時間UP Illustration 騎崎サブゼロ 本人の戦闘力は非常に低いが、勅命は士気4で武力+8と、なかなか強力。反計にも強い。 彼のために強力な1コスト武力要員を減らすか否か、結構悩むところである。 柵を装備し、呂布以外にも勅命対象が出来たため、結構な地位を確立しつつある。 献帝のみに限ったことではなく、最高武力にかかる号令は全軍衝突のぶつかりでは、相手が全体強化を使ってから使うこと。 つまり勅命したら焼かれたなどの状態があるが手腕→勅命となると相手はすぐには焼けない。 【No.133】C黄祖 武将名 こうそ なし 黄祖 劉表の部下で、江夏の太守。荊州に攻め込んできた孫堅軍に大敗するも、流れ矢で孫堅を討ち取った。しかしこれが原因で、孫策、孫権と、孫一族に仇として狙われることとなり、最後は甘寧に討ち取られた。「ええい、しつこいやつらじゃのう・・・・・・」 コスト 1.5 兵種 弓兵 能力 武力5 知力3 特技 伏兵 復活 計略 麻痺矢戦法 自身の武力が上がり、矢を当てている敵の移動速度が下がるようになる。 必要士気4 戦器 なし Illustration 絵楽ナオキ 伏兵系最弱と呼ばれるかわいそうな武将 同コストの張任に勝るのが復活と麻痺矢戦法だが、見劣りしている感は否めない。 相手の知力や戦法によっては伏兵を利用することは諦め場内出撃した方が良いだろう。 【他008】UC公孫瓚 武将名 こうそんさん はくけい なし 公孫瓚 -伯珪- 北平の太守。劉備とは同門の仲で、一時期劉備を迎え入れた。北方の異民族討伐で、白馬の軍団を率いて戦功を上げ、白馬将軍と称えられた英雄。北の覇権をめぐって袁紹と戦ったが、激戦の末、敗れて自刃した。「ふふふ袁紹、この白馬陣には、手も足も出まい!」 コスト 1.5 兵種 騎兵 能力 武力5 知力5 特技 魅力 募兵 計略 白馬陣 範囲内の味方すべての移動速度があがる。 必要士気4 戦器 馬 白仙 突撃発動UP 移動速度UP Illustration 夢路キリコ 白馬陣は速度上昇は控えめだが効果時間は長め。 士気4で12.5cの効果時間は秀逸で、範囲も結構広いので扱いやすい。 中盤士気が溢れそうな場合にとりあえず全部隊に掛けておく、 といった使い方も出来るので色々な場面で使っていける。 アーケード版では槍兵が迎撃を受けない程度の速度上昇だったために使いやすかったが、 DS版では速度上昇が大きく、槍兵でも迎撃を受けてしまう(1.8倍?)上、 DSの操作性もあって、扱いが更に難しいものとなっている。 何気に特技を二つ持ち、戦器も強力と基本性能はかなり優秀(戦器は移動速度上昇&突撃発動UP)。 騎兵としては最上級と言えるスペックの戦器なので、使う場合は是非入手しておきたい。 【他009】UC皇甫嵩 武将名 こうほすう ぎしん なし 皇甫嵩 -義真- 後漢の武将。黄巾討伐では左中郎将として、頭目張角の弟である張梁、張宝を討ち取るなど、数々の武勲をあげた。董卓が実権を握ると、皇甫嵩が妬ましかった董卓は、彼を殺そうと呼び出すが、皇甫嵩のあまりに潔い態度に感服し、董卓は彼を殺さなかった。「賊めが、天子の庭を荒らした罪、償わせてくれる!」 コスト 1.5 兵種 槍兵 能力 武力5 知力5 特技 なし 計略 賊軍討伐令 範囲内の味方の武力が上がる。その効果は戦場にいる敵部隊の数が多いほど大きい。 必要士気5 戦器 宝物 討伐指揮棒 計略時間UP Illustration 牧野卓 他単で組む場合、彼かC周倉が槍を担当する事になるだろう。 敵がワラワラの場合その計略は英傑号令をも超えるパワーを発揮する。 そもそも相手部隊が5体なら+5なので、ほとんど英傑号令。 効果時間も7c(戦器で更に+1)と手腕並の長さを誇る。 最近は多枚数デッキが主流のため、意外と役に立つ。屍だってこわくない!? 師の教えを持つR司馬徽かUC廬植と共に投入すれば、士気消費こそ重いが絶大な威力となってくれる。 【他010】R兀突骨 武将名 ごつとつこつ なし 兀突骨 南蛮・烏戈国の王。蜀軍との戦いの最後に参戦した。『藤甲兵』と呼ばれる、蔦を編んで油で固めた鎧を着た兵を率いて孔明と戦った。剣も矢も通じないこの鎧で、蜀軍を苦しめるも、十数日の追撃の末、谷間へおびき寄せられ、弱点の火攻めで一網打尽にされた。「クチホドニモナイナ孔明!ブフォフォフォフォ」 コスト 2.5 兵種 象兵 能力 武力9 知力1 特技 なし 計略 猛進の大号令 範囲内の味方の武力と移動速度が上がる。ただし発動時に部隊が向いている方向に、強制的に移動する。 必要士気5 戦器 防具 藤甲鎧 騎兵防御UP 槍兵防御UP 弓兵防御UP Illustration 獅子猿 象兵の中で最高武力。彼の本領発揮は戦器装備後。(というか戦器無しでは木鹿大王のほうが良い) 高武力+象兵+戦器効果(ダメージ25%軽減)で尋常ではない頑丈さを発揮する。人呼んでフルアーマー兀突骨。 フル装備中に勅命(武力+8=17)をかけると、無双中の呂布(武力24×0.75=18)とほぼ互角に乱戦が行える しかし防御力が上がるだけで攻撃力は上がらないので乱戦には「耐えられる」けど「倒せる」わけではないので注意。 計略は知力1ながら7カウント、教えを使えば11カウントも続く。 しかし相手に槍が二人以上いるとかなり博打計略になるので使い勝手はよろしくない。 が、この計略の本領は「動いている限りいつまでも突撃状態が解除されない」という象の特性と合わせた時に発揮される。 象が三人以上いる場合は壮絶な鬼計略と化す可能性があるが、 この計略のためだけに象を増やすのかと聞かれるとやっぱり使い勝手はよろしくない。 猛進中に衝軍の法を使うと迎撃されない上に、馬と象は槍よりも足が速い状態。 号令を使って固まってる槍軍団を武力+10で殲滅できる。ただし、一回限り。 【他011】R司馬徽 武将名 しばき とくそう なし 司馬徽 -徳操- 水鏡先生と呼ばれた当時の名士。人物鑑定でも知られていた。劉備が荊州の劉表の幕僚蔡ボウに追われ逃げてきたとき、司馬徽は一夜の宿を貸した。そして、「伏竜」「鳳雛」の名をあげ、そのうち一人を得れば天下もにぎれると教えた。「それではあなたに、ひとつ知恵をお授けしよう。」 コスト 1 兵種 弓兵 能力 武力1 知力8 特技 なし 計略 師の教え 範囲内の味方は知力が上がる。 必要士気3 戦器 書物 呉子 計略時間UP Illustration 風間雷太 本当は劉備より一回りも若いのに、演義をはじめ方々でジジイ扱いされてる元祖師匠。 能力値は低いが、脳筋が多い他軍に師の教えは非常にありがたい。 お馬鹿な他軍武将への敵のダメ計、妨害計略対策および計略ブースターとして脚光を浴びるか? ただし、無特技かつ武力1の弓兵であるので師の教えが欲しければUC廬植を使うことだろう・・・武力は低いが柵持ちで騎兵だし。 こっちはコスト1なのでデッキ構成次第では十分な選択肢になるだろう。 【No.229】UC十常侍 武将名 じゅうじょうじ なし 十常侍 皇帝の身の回りの世話をする「宦官」たちの親玉。権謀術数に長け、巧みに皇帝に取り入って、利己的な政治を行ったために漢王朝を腐敗させた。対立していた大将軍・何進を暗殺することに成功するも、その部下である袁紹に誅殺された。「ホホホ、陛下。あやつめ謀反を起こす気ですぞ」 コスト 1 兵種 歩兵 能力 武力1 知力8 特技 伏兵 防柵 計略 密通の計 範囲内の敵の武力と知力と移動速度を下げ、敵軍の士気が上昇する。 必要士気4 戦器 なし Illustration 深澤準 三国志大戦唯一の柵・伏兵。居場所まるわかりだが、 ものの10カウントもすれば相手からは位置の特定が難しくなる。 また、密通の計は離間の計・・・だが士気2を相手にプレゼントします。 浄化系計略持ちの前では自殺行為なので注意。 元々離間の計は魏4枚デッキのレギュラーなど使い勝手の良い計略な為、 士気消費の軽い離間の計と考えても良い。範囲もそこそこ。 相手に士気を与えたとしても、相手がその士気を有効利用できるとは限らないので、 (士気があっても使える武将がいなければ意味が無い) 相手の士気計算(把握)・計略把握が再重要な癖の強い計略である。 何気に馬鹿先生とのコンビは密かな人気。 馬鹿+連環を考えている人は、王允とこちらで比較検討すべし。 【他012】C周倉 武将名 しゅうそう なし 周倉 黄巾賊の将軍・張宝の配下。黄巾の乱では、黄巾賊を率いて暴れまわった。だが戦場に義勇軍を率いて現れた関羽の戦い振りに惚れこみ、黄巾の乱が平定された後に、配下ともども関羽の部下となった。「野郎ども根性見せろ、官軍なんざ蹴散らしたれ!」 コスト 1 兵種 槍兵 能力 武力3 知力1 特技 復活 計略 強化戦法 自身の武力が上がる。 必要士気4 戦器 武具 黄巾槍 迎撃ダメージUP Illustration TOHRU コスト1復活持ちの槍兵。 非常に使い勝手の良いカードで、他単には100%彼が入っていると考えても過言ではない。 人によっては他との混色デッキにゴリラ共々入れていることもある。 他軍にしては武力低めだが、他軍には槍兵が皇甫嵩と彼しかいないため、 魏や西涼の騎馬軍団を止めるには彼の力が不可欠。 戦器の関係もあり、騎馬を止めるだけなら皇甫嵩よりも上かもしれない。 【他013】R祝融 武将名 しゅくゆう なし 祝融 南蛮王・孟獲の妻。中国古代の火の神・祝融の末裔と言われている。非凡な武芸の持ち主で、百発百中の飛刀を得意とした。南蛮討伐に赴いた蜀軍の武将を次々と倒したが、諸葛孔明の計略によって、趙雲と魏延を追っているところを、伏兵によって捕えられた。「ふん、かかってきな、なまっちょろい男どもが!」 コスト 2 兵種 象兵 能力 武力7 知力3 特技 魅力 計略 巨象猛進 武力と移動速度が上がる。ただし発動時に部隊が向いている方向に、強制的に移動する。 必要士気3 戦器 武具 飛刀「炎神」 最大兵力UP(30%) Illustration 獅子猿 女性武将最高武力&女性最高コスト。 だが正直、コスト2の武力型としては最低ランクに近いスペックというのが実情。 戦器が最大兵力30%UPだが、木鹿大王と比べると魅力しか勝っているところがない。忙牙長とはえらい違いだ。 せめて勇猛が欲しい…。 巨象猛進は士気3では破格の武力+8。「パオーン」と言いながら超高速で敵を吹っ飛ばす。 が、予め槍兵に対して壁を作っていても御丁寧に吹っ飛ばして刺さるので、猪突猛進以上に槍兵に弱い。 城壁沿いに水平に走れれば、壁とのサンドイッチにして即時昇天可能なために対ワラワラ防衛としては非常に優秀で、 たとえ相手が大徳中でも勝つことは可能だが、迎撃一発で即時昇天なので簡単には勝たせてもらえない。 あと、吹き飛ばされている間もカードを拾い上げてしまえば、その場で攻城されるので、吹き飛ばしている間に攻城されるのも切ない。 【他014】C帯来洞主 武将名 たいらいどうしゅ なし 帯来洞主 孟獲の妻・祝融夫人の弟であり第八洞主。木鹿大王の下で救援を求める使者として立った。助けに来た木鹿大王が戦死すると、孟獲らを縛り上げて偽の投降を演じ、蜀軍が油断している隙をつくという一計を試みるが、諸葛孔明に見破られ捕縛された。「こいつめ!こうしてああして、こうしてヤルッ!」 コスト 1.5 兵種 象兵 能力 武力5 知力3 特技 復活 計略 はじき戦法 自身の武力と移動速度と、はじき飛ばす距離が上がる。 必要士気3 戦器 餌 メロン 回復速度UP 最大兵力UP(10%) Illustration 山本章史 1.5コスト復活持ちの象さん。回復持ちの孟優 はじき戦法をつかうと、敵が面白いように吹き飛んでくれる。(やられた方はたまったもんじゃないぐらい距離が開く) さらに士気3で武力+4上がって速度上昇もするので、神速っぽく使ったり城門前で粘ってみたりと万能計略。 武力9の象はおいそれと倒されません。 しかも、脳筋とはいえ知力が3とそこそこあるため、もう一人のはじき戦法使いと違い3カウント以上持つ。 回転率が良く、コスト、士気消費も安いため、妨害面では随一。 【他015】UC朶思大王 武将名 だしだいおう なし 朶思大王 孟獲の部下で、南蛮一の知恵者。飲むとうまい水だが口が利けなくなる唖泉、浸かると皮膚がただれる滅泉、浴びると手足が黒くなる黒泉、飲むと体が綿のように柔らかくなる柔泉の4つの毒泉を用いて、諸葛孔明率いる蜀軍をおおいに苦しめた。「ホホホ、南蛮の神秘、心ゆくまで味わうがよい!」 コスト 1.5 兵種 象兵 能力 武力5 知力6 特技 伏兵 計略 毒泉の計 範囲内の敵のうち、もっとも武力の大きな部隊の武力を下げ、徐々にダメージを与える。ダメージの効果は城に入ることで消滅する。 必要士気4 戦器 餌 パパイヤ 回復速度UP 最大兵力UP(10%) Illustration 小城崇志 5/6で伏兵ありとバランスの取れた数値。 計略は一見微妙だが、弱体化効果は帰城しても続き、効果時間も毒の特性か妙に長いのでかなり強烈。 象単のキーカードの地位は揺らぎそうにない。 なぜか一騎討ちが起きやすい。 これまで - 人が閲覧しました。 昨日は - 人が閲覧しました。 今日は - 人が閲覧しました。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/968.html
[部分編集] チルゆかっ! http //www.nicovideo.jp/watch/sm13506349 使用ゲーム 三國志Ⅸ シナリオ・担当勢力 英雄集結改 チルノ軍 シナリオ設定 仮想・上級 登録武将 東方Project 史実武将の扱い 現在は非常にまとも 紙芝居・ストーリー 紙芝居・プレイ動画半々 投稿時期 2011年02月05日~ 投稿者名 さざなみ 関連タグ チルゆかっ! マイリスト チルゆかっ! ニコ証 備考 チルノと愉快な仲間達の冒険の続編うp主の嫁はエリー [部分編集] どんなお話? ( ゚∀゚)o彡°チルノ!チルノ! ニコ歴戦で大人気のチルノちゃんが、 今度は幻想郷の仲間達と一緒に、三国志統一にチャレンジ! 大ちゃんやリグル達と愉快な仲間たちが織りなす色はゆっくりとまじりあって、 三国志の世界をチルノの色に染めていく! あたいってさいきょーね! [部分編集] もう少し詳しい解説 主人公はチルノとその周り。と言うより、チルノ軍全体だと言える。初期配下は後述。 初期兵法、初期能力共に高いとは言えないが、他に多数存在する東方系勢力と 比べると初期配下数が群を抜いている。 前シリーズチルノと愉快な仲間達の冒険がHDDクラッシュにより打ち切られたための再スタート。 兵法や陣形などの威力上昇、兵法のリロード時間の短縮は引き継ぐが、 能力値インフレは今回はなくしている。 使用シナリオは『英雄集結』の自己改変版。開始位置は荊州・西城。 大陸の広い範囲に東方系の勢力が散らばっており、また一部の勢力は 開始位置が変更されたり、また三国志系でも新たに一勢力として独立している例もある。 一部史実武将は能力が少し向上している。 [部分編集] 縛りについて 最早ニコニコ歴史戦略ゲーにおいては定番となりつつある兵力チートが基本。 しかしその他にも地味~に嫌らしい物が幾つか存在する。 +長くなるので隠します 城を落とした際、自軍を除く全勢力の、その時点でもっとも兵力の少ない城に対し、『(自軍の城数-敵軍の城数)×20,000』の兵力を増加させ、さらに士気を100にする。part.17追加:兵力を増加させた城の耐久値を100に。 東方系勢力を滅亡させた場合、自軍を除く全勢力の、その時点でもっとも兵力の少ない城に対し、上記の縛りとは別に無条件に100,000の兵力を増加する。(前作では東方勢力のみが対象だった) 自軍が登用出来る武将は最大50人まで。ただし東方系武将は除く。無論抜擢も50人の中に含まれる。万が一50人を超えた場合、超えた数だけ武将を追放処分しなければならない。 敵軍の何れかの城の兵役人口が30,000を超えた場合、千の単位で減らし、減らした分の兵力をその城に加算させる。 チルノ軍の所有する城の何れかの兵役人口が100,000を越えた場合、その城の兵役人口を0にして、他の全勢力のその時点でもっとも兵力の少ない城に対し、兵力100,000を増加させ、士気を100にする。 自軍が敵勢力を滅亡させた際、滅亡した勢力からの捕虜を全員解放する。ただし東方系武将は除く。また、解放前にアイテムを没収することは可能。 自軍が城を落とした際、自軍の金が落城直後の数値の半分になる。(チルノ達が落城を祝って大宴会を開くため、その分の金が無くなる) 外交禁止(前作では捕虜返還交渉は可能だった)。 東方系武将以外への官爵の付与禁止。 自軍の攻城用陣形の使用禁止。 施設の撤去禁止。 輸送部隊以外での三国志系武将の部隊長禁止(以前は原則禁止だった)。 軍師は大ちゃん。 週一回うp(出来なかったら大ちゃん弱体化or軍師黄皓)。(ただしやむを得ない事態を除く)→そしてpart.17で…。 前作と比べ緩和された縛りは、登用制限と連合時の逆チート。 その他縛りではないが、敵勢力は常に金・兵糧には困らない (金は最低10,000)。 抜擢武将は基本的に見出した武将が担当するが、史実武将の場合は状況により 東方系にスライド。また放棄された場合は黄皓が担当する。 武将が処断された場合、東方系武将はその場で復活、史実系は全能力+5・ 処断勢力への友好値を0にして在野にて復活。 +ゲームオーバー条件 ゲームオーバー条件 自軍の城いずれかの落城(ただし裏切り者による落城は3回までノーカウント) チルノor大妖精の捕縛(ただしターン終了までに取り返せればノーカウント) 自軍初期武将いずれかの斬首(討ち死に設定は無しのため。要するに死亡したらアウト) [部分編集] 主要登場人物 チルノ軍 初期配置は荊州・西城。このゲームでは難度の高い配置といえる (余談だけどpart.0でチルノは「寂しいところ」と言ってるが、 漢代は益州・漢中郡・西城県だからしかたがない)。能力値は初期値。初期配下数はチルノを含めて15人とかなり多い。 前作では一緒だったルーミア、レティ、ミスティアといった面々が外れている。 -初期所属武将 チルノ 統60 武74 知34 政7 歴戦界隈で大人気の氷の妖精。この動画のメイン主人公。別にカリスマチルノではない。特に何か大きな目的があるわけではなく、好き勝手に暴れられるからと言う理由で戦争をやってる節がある。そのためか戦争以外に興味がないらしく、政務関連については基本、配下武将に全任している。逆に興味がある戦争、というか戦闘では先頭に立つ (前列固定)。 +part.18にて弱体化 大妖精がpart.17にて弱体化した訳だが、それを見たうp主の友達曰く、 『お前なんで大ちゃんだけ弱体化すんだよ! 可哀想だろバーカ!』 それにうp主が返して曰く、 『じゃあ他の妖精達も弱体化してやるよバーカ!』 …ということで巻き添えで次のpart.18にて弱体化、能力に9が多くなった。あと、政治が壊滅した。 初期ステータス 統60 武74 知34 政7 弱体化後 統55 武69 知29 政2 大妖精 統44 武48 知57 政62 チルノの友達その一。ニコニコ界隈ではチルノのお姉さん的ポジションで登場する事が多い彼女だが、本動画では寧ろ彼女の暴走を助長する立場にある。臆病だが好奇心旺盛で、悪戯好きの妖精らしい妖精。尚、チルノ軍の軍師は彼女固定である。 +part.17にて… 投稿間隔縛り違反のペナルティとして、part.17にて弱体化、その結果最早軍師とは言えない知力になってしまう。果たして……? 初期ステータス 統44 武48 知57 政62 弱体化後 統14 武38 知17 政32 リグル・ナイトバグ 統75 武58 知46 政52 チルノの友達その二。普通に女の子。チルノ軍初期所属武将の中では第2の統率を持つ (夢美に次ぐ)。引き続き解説役を、ヤマメと共に担当。最初から兵法『連射』を習得しており、高い統率力も相まって攻城戦で大活躍する。 稗田 阿求 統62 武1 知94 政92 人里の名家、稗田家の現当主であり、九代目阿礼乙女その人。ちなみにこの世界では寿命の概念が無いので安心。この能力なら後方で政務が基本なのだが、人材不足なチルノ軍では大体前線に配置されている。 上白沢 慧音 統69 武57 知84 政88 半獣の少女。人里で寺子屋を営んでいる。半分人間だが、妖怪に属する少女。何故か騎馬持ち。文官型として高い能力値を有する一方、武官としてはリグルに劣る。3ボスとしてはやや低い能力値か?ちなみに漢中の魅魔軍を警戒して、ずっと西城太守として配置されているため、ほとんど戦争経験がない。 黄皓 統1 武1 知30 政1 これまた歴戦界隈で人気のあるネコミミ。リセットされたはずのこの世界で、前作の能力・記憶を引き継いでいる模様。 多々良 小傘 統65 武62 知64 政61 からかさお化け。初期能力の高さからチルノ軍の主力として運用されている武将。何故か統率がやたら高い。全体的にバランスが良く、初期兵法の兵種も多彩なことからチルノ軍の屋台骨として活躍している。その一方で、出来ることが多い為かイマイチ目立たない場所に配置されてしまうことも。 秋 静葉 統42 武48 知68 政77 通称静葉おねーちゃん。紅葉を司る神様。紅葉とはつまり生命に狂いを生じさせる行為であり、故に寂しさと終焉の象徴。 秋 穣子 統56 武51 知60 政82 豊穣の神様。且つ焼芋屋さんらしい。豊穣とはつまり穀物が実り豊かなさまのことで、要するに文字通り。比較的高い政治値に加え、初期で「鼓舞」を持つのがポイント。武官不足の初期チルノ軍では、彼女も立派な部隊長。そのせいか姉より戦闘に多く参加している。 黒谷 ヤマメ 統62 武58 知64 政61 土蜘蛛。地底アイドルヤマメちゃん。引き続き解説役を、リグルと共に担当。能力値もそこそこだが、初期兵法がかなり豊富。相方、リグルと共に今日も敵を狙撃する。 サニーミルク 統64 武50 知58 政57 我らが光の三妖精のリーダー。武力は低いが、その他の能力は案外妖怪と比べても引けを取らない数値をキープしている。作者的にはちょっと強くし過ぎた感もあるようだ。 +part.18にて弱体化 part.18にて弱体化、妖精っぽい能力値になった。 初期ステータス 統64 武50 知58 政57 弱体化後 統55 武40 知46 政37 ルナチャイルド 統31 武40 知55 政59 光の三妖精の一人。妖精だけあって能力値は他の面子と比べると若干低め。うp主いわく「育てば一番化ける可能性がある」。 +part.18にて弱体化 part.18にて弱体化、もはや目も当てられない能力値に。 でも弱かろうがなんだろうが、結局は前線送りになるわけだけど。 初期ステータス 統31 武40 知55 政59 弱体化後 統12 武35 知40 政39 スターサファイア 統17 武43 知60 政54 光の三妖精の参謀役。今作では兵法「連射」を始めから持つ。作者が強くし過ぎたキャラその2。ついでにチルノを除けば、チルノ軍最速での「連弩」習得者。 +part.18にて弱体化 part.18にて弱体化。しかし兵法的に大して影響がなさそうである。 初期ステータス 統17 武43 知60 政54 弱体化後 統2 武38 知48 政34 岡崎 夢美 統90 武60 知95 政80 通称教授。ラスボス(夢時空)だけあって水軍以外の中級兵法はコンプ (上級もいくつか)、また非常に優秀な能力値を誇り、その能力でチルノ軍の大黒柱として大活躍する。ぶっちゃけ武将の質が悪いチルノ軍が大きくなれたのは、彼女の力によるところが大きい。ついでに言うとチルノ軍が天下に覇を唱えられるかは、彼女の双肩にかかっていると言っても過言ではない。 +part.9にて… part.9 (宛陥落時) にて教え子の蓮子と再会、色々あって一時的にパワーアップした。 本当は人のようななにかなのではなかろうか。 初期ステータス 統90 武60 知95 政80 本気モード 統95 武95 知98 政50 他、弓騎熟練度+500、「飛射」習得。 +part.23にて… 張繍軍の同盟策の時に能力値変更。要するにパワーアップが解除された。 初期ステータス 統90 武60 知95 政80 本気モード 統95 武95 知98 政50 元に戻る 統90 武61 知98 政80 他、知識系兵法熟練度+300。 北白河 ちゆり 統70 武84 知86 政80 夢美の部下。夢美と共にチルノ軍に加入。初期兵法は「奮闘」が目立つ。能力は何の能力も持たない人間としては高い。しかし上司がアレだから……。劇的に強いわけではないが、そこそこ強いので防衛隊長を良く任されてる。つまり、留守番役。 +その他東方系武将 ミスティア・ローレライ 統45 武75 知24 政14 迷子になってたところ、part.2で仕官。妖怪だけのことはあってそれなりのステータス。でもバカルテット級。兵法『飛射』持ちは序盤で貴重な戦力となる。 霊烏路 空 統12 武97 知5 政4 地獄鴉 with 八咫烏。さとりのペットの一匹。ミサイル。鳥頭。圧倒的に尖った能力の持ち主で、総合能力値で見ればぶっちぎりのラスボス最弱。しかし武力だけで見るとかなり優秀でもある。熟練度は低いが水軍以外の武力系上級兵法を全て初期習得しており、実は極めて使い勝手が良い。さとり軍滅亡後part.6で一発登用される。義理も何もあったもんじゃないw 火焔猫 燐 統78 武86 知64 政72 火車。さとりのペットの一匹。黒猫のイメージがあるが、この動画では一応人型。さとり軍には貴重な万能スペックの持ち主だが、知力がやや低め。兵法もちょっと魅力にかける。決して弱くはなく、寧ろ強いのだが、さとり軍の尖った連中とはイマイチ相性が悪い。 古明地 こいし 統70 武91 知84 政6 さとりの妹。姉より強い妹再び。能力値としては、勇儀を多少劣化させたような感じか。姉と違って武官タイプであり、兵法も能力に見合った優秀さを見せる。空と違って熟練度も良好。実はさとりと一族設定があるのだが、兵法がイマイチかみ合っておらず、大抵はチルノと組んでいたりする。 星熊 勇儀 統70 武99 知80 政41 鬼の四天王の一人、『力の勇儀』。鬼らしく、その武力はやたら高いのが特徴。また知力も中々に優秀で、半端な知力の計略なら自力で防ぐことが出来る。統率はやや低いが、チルノ軍からみれば充分優秀だったりする。さとり軍滅亡時 (part.6) に出陣していたため、唯一捕虜にならず、余所に流れて行った……と思ったら、次のターンにチルノ軍領内に戻って来た。結局その時登用され、以後はチルノ軍に所属。主に教授と組んで騎馬部隊を率いている。 古明地 さとり 統84 武51 知94 政91 元さとり軍君主。武力こそ低めだが、それ以外の能力値はかなり優秀な部類に入る。文官タイプなのもチルノ軍には嬉しい。さらに初期で『幻術』持ち。そのせいで低武力なのに前列に配置されることがしばしばある。地味に小傘辺りをペットにしようと企んでいたりする。ちなみに登用までに一番時間がかかった妖怪でもある。 エレン 統74 武80 知57 政76 東方旧作「東方夢時空」より。part.11で登用。シリーズ開始後に在野で追加されていたが、流れ流れて安定に付いたところを捕獲登用。ふわふわでパチパチな魔法で活躍…できるといいなぁ。 +史実武将 抜擢とあわせて50名までという縛りがある。 申耽 統59 武66 知63 政42part.1にて登用。…まぁ枯れ木も山の賑わいと申しまして。 吾粲 統63 武47 知76 政74part.1にて登用。史実では呉の人で、二宮の変で連座して処刑された。太傅という高官なのにこのステ…。 胡烈 統77 武66 知79 政69part.1にて登用。るみゃは居ないけど。 高翔 統68 武70 知51 政43part.2にて登用。マイナー武将。 王双 統66 武91 知28 政20所属していた張魯軍滅亡後、part.3にて登用。顔芸で有名だけど史実の事跡がちょっと不明な人。対魅魔軍・西城防衛戦 (part.4) では一騎打ちで魅魔 (武100) を撃破する。 車冑 統47 武51 知40 政57part.3にて登用。しかし史実では曹操に徐州という難しい土地を任されるほどの人物なのにこのステータスは…。 夏侯淵 統91 武92 知51 政64所属していた曹操軍滅亡後、part.4にて登用。 阿会喃 統66 武73 知30 政42part.6にて仕官。 曹昴 統72 武60 知65 政73part.7で登用。いわずと知れた曹操の長子。 皇甫嵩 統85 武56 知76 政72part.7で登用。 丁奉 統80 武83 知75 政40part.8で登用。 閻宇 統70 武69 知46 政54part.8で登用。 張喬 統68 武65 知68 政61part.8で登用。Wikipediaに立項されてないだけのことはある微妙ステだが妖精の中に入るとあら不思議w 裴秀 統9 武9 知72 政79part.8で登用。 盧植 統89 武50 知81 政85part.9で登用。 李恢 統77 武66 知76 政75part.9で登用。 関興 統76 武86 知60 政50part.9で登用。 張飛 統83 武109 知35 政22part.9で登用。(使うか使わないか) うp主を悩ませる程度の能力。 鄧芝 統73 武46 知76 政86part.9で登用。 韓馥 統20 武5 知27 政63part.9で登用。 傅彤 統67 武72 知42 政41part.9にて仕官。 郝昭 統85 武79 知84 政65part.16で登用。 陳宮 統72 武52 知89 政81part.18で登用。 陳琳 統9 武9 知91 政81part.18で登用。 李歆 統65武68知49政43part.18で仕官。 王門 統66 武69 知37 政36part.20で仕官。 郭嘉 統58 武10 知99 政81part.22でイベント加入。 楊阜 統65 武46 知87 政84part.25で登用。 +抜擢武将 史実武将とあわせて50名までという縛りがある。 許妍 統83 武88 知49 政38 チルノが見出し、師事。女性武将。育成の出だしで躓くが、弩兵コンプするなど一流の武将となった。チルノ親衛隊長。 石師 統73 武93 知70 政38 チルノが見出し、師事。part.7にて加入。弩兵コンプ+罵声はデフォかw チルノに認められようと許妍と手柄を競う。 華顗 統63 武69 知82 政76 エレンが見出し、師事。part.14にて加入。中堅武将へと成長。直接攻撃ではなくエレン直伝のふわふわな?魔法 (「幻術」) で敵をかき乱す。 呉祖 統82 武83 知70 政42 チルノが見出し、師事。part.18にて加入。即戦力としての活躍が期待される。ちなみに育成の殆どは弱体化前なのでこのステになった模様。 [部分編集] 主な敵勢力 最新話までのネタバレを容赦なく含む。 +曹操軍 曹操軍 初期配置は兗州・陳留に加え荊州・新野。つまりいきなりお隣さん。初期武将数が多く2つの支配地を抱えるが、 飛び地かついずれも激戦区なので苦戦は必至。 part.1でいきなりチルノ軍へ宣戦布告! しかし失敗すると都合7つの勢力 (2つも都市があるから…) から攻め込まれ、 part.3にて滅亡。 +献帝軍 献帝軍 初期配置は雍州・長安。皇甫嵩、盧植、朱儁、丁原ら漢朝末期の将が所属している。あと何故か程昱も。 うp主曰く強化されてるというが…。 新野の曹操軍がチルノ軍攻めで兵を減らしたところをハイエナしようと出陣したところをチルノ軍に ハイエナされ (分かりづらw)、part.3にて滅亡する。 +董卓軍 董卓軍 長安を追い出され、雍州・天水と羌の2都市に配置された。東方の通路である安定に東方勢が居るため、 西方の馬騰軍と涼・雍州をめぐって争っている。武将の質は一級品だが、三国志Ⅸの仕様上城攻めには 弓/弩兵が必要なため、野戦が得意な董卓軍は攻めあぐねている。 +張繍軍 張繍軍 初期配置は荊州・宛。前作で所属していた宇佐美蓮子は引き続きこの軍に居る。初期武将が少なく、周辺が 強豪ぞろいなのでまずは人材をそろえるところからか。part.3にて曹操軍を滅ぼし捕虜を獲得したので、 これから伸びるといいなぁ…。 張繍 賈詡センセのおまけ……じゃなくて、史実では曹操の対袁家戦で大活躍した名将。実は黄皓と同様に、前作の記憶を引き継いでいる。もしかしたらキーパーソンの一人かも。 宇佐美 蓮子 統46 武12 知89 政42 オカルトサークル『秘封倶楽部』のメンバー。妙な縁で張繍の下に身を寄せている。相方のマエリベリー・ハーンは体調不良で臥せっており、ゲーム上武将として登場しない。当動画では岡崎夢美と面識がある設定。「うさみみ言うな」 +part.9にて… 夢美との邂逅 (宛陥落時) の際に、科学兵器やら何やらをもらってパワーアップ。 初期ステータス 統46 武12 知89 政42 強化モード 統86 武77 知94 政52 他、複数の兵法追加。 郭嘉 統58 武10 知99 政81 曹操軍滅亡時に捕虜になり、そのまま登用された模様。後に賈詡の後任の軍師となり、張繍軍起死回生の策を練る。part.22あたりからチルノ軍に「人質」として移籍 (いきさつについてはpart.21参照)。 +劉禅軍 劉禅軍 初期配置は山越。劉備から独立した勢力として設定されているが、別に強化されてるわけじゃない。 部下はネ申を始め優秀らしい。 +魅魔軍 魅魔軍 初期配置は益州・梓潼。part.2で張魯軍 (漢中) を落としたためチルノ軍と隣接。チルノにとって西にあるたんこぶとなり、 以降の行動の制約になっている。 魅魔 統94 武100 知97 政1 東方旧作におけるカリスマ的存在。前作では霊夢軍所属だったが今作では独立。 里香 統40 武55 知95 政85 東方旧作「東方封魔録」より。魅魔軍の軍師を務める。 霧雨魔理沙 統87 武93 知78 政76 いわずと知れた原作でのもう一人の主人公。 カナ・アナベラル 統4 武85 知67 政2 東方旧作「東方夢時空」より。part.12にて所属が確認された。 +レミリア軍 レミリア軍 初期配置は烏丸。司馬懿、袁紹、公孫瓉といった近場の強豪勢力との争いをどう乗り切るかがカギとなる。 +さとり軍 さとり軍 初期配置は雍州・安定。武力は高いが、統率に難がある。また、尖った能力の持ち主が多い。 part.5にてチルノ軍に攻められ、滅亡。勢力そのものが吸収された。 +輝夜軍 輝夜軍 初期配置は豫州・汝南。永遠亭組に加え綿月姉妹が所属。激戦地にふさわしく所属武将の能力的にも恵まれていて、 他の勢力の追随を許さない。 輝夜 統 武 知 政 永琳 統99 武85 知100 政88 いつもどおり輝夜軍の軍師を務める。公式チートだからちかたない。 依姫 統97 武100 知97 政71 東方儚月抄より。綿月姉妹の妹のほう。 +白蓮軍 白蓮軍 初期配置は兗州・濮陽。武将の質、兵力はそろっているがいかんせん武将数が足りないために攻めに決め手を欠く。 というかいつ滅亡してもおかしくない…。 +映姫軍 映姫軍 初期配置は司隷・洛陽。中華の首都に居て閻魔様は何を想う…。 四方を強豪に囲まれてしまったためにっちもさっちもいかない模様。というかぶっちゃけ縛りの都合でチルノ軍の標的に なっていないとも言う。 映姫 統 武 知 政 小町 統86 武93 知94 政84 「知性派」な小町は珍しいかも。映姫軍の軍師らしい。 +天子軍 天子軍 初期配置は徐州・下邳。南北は弱小勢力だが、西に進めば激戦地。妙な性癖さえ発揮しなければ伸び代はあるはず。 うまいこと世渡りをしているようだが、人手不足 (part.15時点で3都市・15名) はいかんともしがたいところ。 +神綺軍 神綺軍 初期配置は揚州・柴桑。周囲に孫家が居るなどなかなか難しい立地である。この動画のくろまく~といった存在であるのだが…。 軍師は夢子。 神綺 統100 武98 知97 政99 +幽々子軍 幽々子軍 初期配置は倭。part.15に至るまで一度も戦争をせずに孤島に引き篭もる。のでうp主によりてこ入れがされた。 西行寺幽々子 統94 武96 知97 政30 魂魄妖夢 統60 武88 知60 政72 メルラン・プリズムリバー 統12 武87 知62 政2 リリカ・プリズムリバー 統65 武72 知75 政71 ルナサ・プリズムリバー 統75 武73 知77 政74 +part.12以降追加武将 八雲紫 統99 武98 知99 政92 元霊夢軍所属。加入後は軍師を務める。 八雲藍 統88 武89 知94 政97 元霊夢軍所属。橙と離れても大丈夫か? +神奈子軍 神奈子軍 初期配置は南蛮。軍師はケロちゃん。part.12にて交趾を占領したが、これで周辺が友好勢力ばかりとなって しまった。 +霊夢軍 霊夢軍 初期配置は交州・交趾。所属武将に八雲紫、八雲藍、橙など。場所的には悪くない、はず。多分。 +part.12にて… part.11にて神奈子軍の手により滅亡。以下のように変更がされる。 八雲紫、八雲藍が幽々子軍に加入。(橙は神奈子軍へ) 紫が「妖術」「幻術」を、藍が「幻術」を習得。 幽々子が「飛射」「連弩」を習得。 幽々子軍の軍師が紫に。 次の季節の変わり目に、橙が「式神橙」から「化猫橙」へと弱体化。 萃香、文が在野化。霊夢が登用された勢力に両名は所属する。→part.14までに幽香軍へ。 +幽香軍 幽香軍 初期配置は荊州・武陵。くるみを軍師に据え、ひまわり畑の開墾に精を出す(違 コメント お? なんか充実してるwww どなたか知りませんがありがとう御座います(´ω`) -- さざなみ (2011-07-22 18 16 56) 新PC移行中。次回更新は恐らく4月 -- さざなみ (2014-03-02 10 28 05) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/189.html
唐書巻九十三 列伝第十八 李靖 李客師 李令問 李彦芳 李勣 李敬業 李思文 李靖は、字を薬師といい、京兆三原の人である。姿貌魁秀、通書史。嘗謂所親曰:「丈夫遭遇、要當以功名取富貴、何至作章句儒!」其舅韓擒虎毎與論兵、輒歎曰:「可與語孫・呉者、非斯人尚誰哉!」仕隋為殿内直長、吏部尚書牛弘見之曰:「王佐才也!」左僕射楊素拊其謂曰:「卿終當坐此!」 大業末、為馬邑丞。高祖撃突厥、靖察有非常志、自囚上急變、伝送江都、至長安、道梗。高祖已定京師、将斬之、靖呼曰:「公起兵為天下除暴乱、欲就大事、以私怨殺誼士乎?」奏王亦為請、得釋、引為三衛。従平王世充、以功授開府。 蕭銑據江陵、詔靖安輯、従数童騎道金州、会蠻賊鄧世洛兵数万屯山谷間、廬江王瑗討不勝、靖為瑗謀、撃卻之。進至峽州、阻銑兵不得前。帝謂逗留、詔都督許紹斬靖、紹為請而免。開州蠻冉肇則寇夔州、趙郡王孝恭戰未利、靖率兵八百破其屯、要險設伏、斬肇則、俘禽五千。帝謂左右曰:「使功不如使過、靖果然。」因手敕勞曰:「既往不咎、向事吾久已忘之。」靖遂陳圖銑十策。有詔拜靖行軍総管、兼攝孝恭行軍長史、軍政一委焉。 武徳四年八月、大閲兵夔州。時秋潦、濤瀨漲惡、銑以靖未能下、不設備。諸将亦請江平乃進。靖曰:「兵機事、以速為神。今士始集、銑不及知、若乘水傅壘、是震霆不及塞耳、有能倉卒召兵、無以禦我、此必禽也。」孝恭従之。 九月、舟師叩夷陵、銑将文士弘以卒数万屯清江、孝恭欲撃之、靖曰:「不可。士弘健将、下皆勇士、今新失荊門、悉鋭拒我、此救敗之師、不可當。宜駐南岸、待其氣衰乃取之。」孝恭不聴、留靖守屯、自往與戰、大敗還。賊委舟散掠、靖視其乱、縱兵撃破之、取四百餘艘、溺死者万人。即率輕兵五千為先鋒、趨江陵、薄城而営、破其将楊君茂・鄭文秀、俘甲士四千。孝恭軍継進、銑大懼、檄召江南兵、不及到、明日降。靖入其都、号令静嚴、軍無私焉。或請靖籍銑将拒戰者家貲以賞軍、靖曰:「王者之兵、弔人而取有罪、彼其脅驅以來、藉以拒師、本非所情、不容以叛逆比之。今新定荊・郢、宜示寛大、以慰其心、若降而籍之、恐自荊而南、堅城劇屯、驅之死守、非計之善也。」止不籍。由是江・漢列城爭下。以功封永康県公、検校荊州刺史。乃度嶺至桂州、分道招慰。酋領馮盎等皆以子弟來謁、南方悉定。裁量款效、承制補官。得郡凡九十六、戸六十餘万。詔書勞勉、授嶺南撫慰大使・検校桂州総管。以嶺海陋遠、久不見徳、非震威武・示礼義、則無以變風。即率兵南巡、所過問疾苦、延見長老、宣布天子恩意、遠近懽服。 輔公祏據丹楊反、詔孝恭為帥、召靖入朝受方略、副孝恭東討、李世勣等七総管皆受節度。公祏遣馮恵亮以舟師三万屯當塗、陳正通歩騎二万屯青林、自梁山連鎖以斷江道。築月城、延袤十餘里、為掎角。諸将議曰:「彼勁兵連柵、将不戰疲老我師。若直取丹楊、空其巣窟、恵亮等自降。」靖曰:「不然。二軍雖精、而公祏所自将亦鋭卒也、既保石頭、則牢未可拔。我留不得志、退有所忌、腹背蒙患、非百全計。且恵亮・正通百戰餘賊、非怯野闘、今方持重、特公祏立計爾。若出不意、挑攻其城、必破之。恵亮拔、公祏禽矣。」孝恭聴之。靖率黄君漢等水陸皆進、苦戰、殺傷万餘人、恵亮等亡去。靖将輕兵至丹楊、公祏懼、衆尚多、不能戰、乃出走、禽之、江南平。置東南道行台、以為行台兵部尚書。賜物千段・奴婢百口・馬百匹。行台廃、検校揚州大都督府長史。帝歎曰:「靖迺銑・公祏之膏肓也、古韓・白・衛・霍何以加!」 八年、突厥寇太原、為行軍総管、以江淮兵万人屯太谷。時諸将多敗、独靖以完軍歸。俄権検校安州大都督。太宗踐阼、授刑部尚書、録功、賜実封四百戸、兼検校中書令。突厥部種離畔、帝方圖進取、以兵部尚書為定襄道行軍総管、率勁騎三千繇馬邑趨惡陽嶺。頡利可汗大驚、曰:「兵不傾国來、靖敢提孤軍至此?」於是帳部数恐。靖縱諜者離惎腹心、夜襲定襄、破之、可汗脫身遁磧口。進封代国公。帝曰:「李陵以歩卒五千絶漠、然卒降匈奴、其功尚得書竹帛。靖以騎三千、蹀血虜庭、遂取定襄、古未有輩、足澡吾渭水之恥矣!」 頡利走保鐵山、遣使者謝罪、請挙国内附。以靖為定襄道総管往迎之。又遣鴻臚卿唐倹・将軍安脩仁尉撫。靖謂副将張公謹曰:「詔使到、虜必自安、若万騎齎二十日糧、自白道襲之、必得所欲。」公謹曰:「上已與約降、行人在彼、奈何?」靖曰:「機不可失、韓信所以破斉也。如唐倹輩何足惜哉!」督兵疾進、行遇候邏、皆俘以従、去其牙七里乃覺、部衆震潰、斬万餘級、俘男女十万、禽其子疊羅施、殺義成公主。頡利亡去、為大同道行軍総管張宝相禽以献。於是斥地自陰山北至大漠矣。帝因大赦天下、賜民五日酺。 御史大夫蕭瑀劾靖持軍無律、縱士大掠、散失奇宝。帝召讓之、靖無所辯、頓首謝。帝徐曰:「隋史万歳破達頭可汗、不賞而誅、朕不然、赦公之罪、録公之功。」乃進左光禄大夫、賜絹千匹、增戸至五百。既而曰:「向人譖短公、朕今悟矣。」加賜帛二千匹、遷尚書右僕射。 靖毎参議、恂恂似不能言、以沈厚称。時遣使十六道巡察風俗、以靖為畿内道大使、会足疾、懇乞骸骨。帝遣中書侍郎岑文本諭旨曰:「自古富貴而知止者蓋少、雖疾頓憊、猶力于進。公今引大體、朕深嘉之。欲成公美、為一代法、不可不聴。」乃授検校特進、就第、賜物段千、尚乘馬二、禄賜・国官・府佐皆勿廃。若疾少閒、三日一至門下中書平章政事。加賜霊寿杖。 頃之、吐谷渾寇邊。帝謂侍臣曰:「靖能復起為帥乎?」靖往見房玄齡、曰:「吾雖老、尚堪一行。」帝喜、以為西海道行軍大総管、任城王道宗・侯君集・李大亮・李道彦・高甑生五総管兵皆属。軍次伏俟城、吐谷渾盡火其莽、退保大非川。諸将議、春草未牙、馬弱不可戰。靖決策深入、遂踰積石山。大戰数十、多所殺獲、殘其国、国人多降、吐谷渾伏允愁蹙自經死。靖更立大寧王慕容順而還。甑生軍繇鹽澤道後期、靖簿責之。既歸而憾、與広州長史唐奉義告靖謀反、有司按驗無状、甑生等以誣罔論。靖乃闔門自守、賓客親戚一謝遣。改衛国公。其妻卒、詔墳制如衛・霍故事、築闕象鐵山・積石山、以旌其功、進開府儀同三司。 帝将伐遼、召靖入、謂曰:「公南平呉、北破突厥、西定吐谷渾、惟高麗未服、亦有意乎?」對曰:「往憑天威、得效尺寸功。今疾雖衰、陛下誠不棄、病且瘳矣。」帝憫其老、不許。二十三年、病甚、帝幸其第、流涕曰:「公乃朕生平故人、於国有勞。今疾若此、為公憂之。」薨去し、年七十九、贈司徒・并州都督、給班剣・羽葆・鼓吹、陪葬昭陵、謚景武。 子徳謇嗣、官至将作少匠、坐善太子承乾、流嶺南、以靖故徙呉郡。 靖兄端、字薬王、以靖功襲永康公、梓州刺史。 弟の李客師は、右武衛将軍となり、戦功をかさねて丹楊郡公に封ぜられた。致仕すると、昆明池の南に住んだ。善騎射、喜馳獵、雖老猶未衰。自京南属山、西際澧水、鳥鵲皆識之、毎出、従之翔噪、人謂之「鳥賊」。卒、年九十、贈幽州都督。 孫令問、玄宗為臨淄王時與雅舊。及即位、以協賛功、遷殿中少監。預誅竇懐貞、封宋国公、実封五百戸。進散騎常侍、知尚食事、恩待甚渥。然未嘗輒干政、率游畋自娛、厚奉養、侈飲食、至躬視刲宰。有譏之者、答曰:「此畜豢、天所以養人、與蔬果何異、安用妄分別邪?」後坐其子與回紇部酋承宗連婚、貶撫州別駕、卒。 靖五代孫彦芳、大和中、為鳳翔司録参軍。家故藏高祖・太宗賜靖詔書数函、上之。一曰:「兵事節度皆付公、吾不従中治也。」一曰:「有晝夜視公疾大老嫗遣來、吾欲熟知公起居状。」皆太宗手墨、它大略如此。文宗愛之不廃手。其舊物有佩筆、以木為管弢、刻金其上、別為環以限其間、筆尚可用也。靖破蕭銑時、所賜于闐玉帶十三胯、七方六刓、胯各附環、以金固之、所以佩物者。又有火鑑・大觿・算囊等物、常佩于帶者。天子悉留禁中。又敕摸詔本、還賜彦芳、并束帛衣服。権徳輿嘗讀太宗手詔、至流涕曰:「君臣之際乃爾邪!」 李勣は、字を懋功といい、曹州離狐の人である。本姓徐氏、客衛南。家富、多僮僕、積粟常数千鍾。與其父蓋皆喜施貸、所周給無親之間。 隋大業末、韋城翟讓為盜、勣年十七、往従之。説曰:「公郷壤不宜自剽殘、宋・鄭商旅之会、御河在中、舟艦相属、往邀取之、可以自資。」讓然之。劫公私船取財、繇是兵大振。李密亡命雍丘、勣與浚儀王伯當共説讓、推密為主。以奇計破王世充。密署勣石武候大将軍・東海郡公。當是時、河南・山東大水、隋帝令飢人就食黎陽倉、吏不時發、死者日数万。勣説密曰:「天下之乱本于飢、今若取黎陽粟以募兵、大事済矣。」密以麾下兵五千付勣、與郝孝徳等済河、襲黎陽、守之。開倉縱食、旬日、勝兵至二十万。宇文化及擁兵北上、密使勣守倉、周掘塹以自環。化及攻之、勣為地道出闘、化及敗、引去。 武徳二年、密歸朝廷、其地東属海、南至江、西直汝、北抵魏郡、勣統之、未有所属。謂長史郭孝恪曰:「人衆土宇、皆魏公有也。吾若献之、是利主之敗為己功、吾所羞也。」乃録郡県戸口以啟密、請自上之。使至、高祖訝無表、使者以意聞。帝喜曰:「純臣也。」詔授黎州総管、封萊国公。賜姓、附宗正属籍、徙封曹、給田五十頃、甲第一區。封蓋済陰王、固辭、改舒国公。詔勣総河南・山東兵以拒王世充。及密以謀反誅、帝遣使示密反状。勣請收葬、詔従之。勣為密服縗絰、葬訖乃釋。 俄為竇建徳所陷、質其父、使復守黎陽。三年、自拔來歸。従秦王伐東都、戰有功。東略地至虎牢、降鄭州司兵沈悅。平建徳、俘世充、乃振旅還、秦王為上将、勣為下将、皆服金甲、乘戎輅、告捷于廟。蓋亦自洺州與裴矩入朝、詔復其官。 又従破劉黒闥・徐圓朗、累遷左監門大将軍。圓朗復反、詔勣為河南大総管、討平之。趙郡王孝恭討輔公祏也、遣勣以歩卒一万度淮、拔寿陽、攻江西賊壁、馮恵亮・陳正通相次潰、公祏平。 太宗即位、拜并州都督、賜実封九百戸。貞観三年、為通漠道行軍総管、出雲中、與突厥戰、走之。引兵與李靖合。因曰:「頡利若度磧、保於九姓、果不可得、我若約齎薄之、不戰縛虜矣。」靖大喜、以與己合、於是意決。靖率衆夜發、勣勒兵従之。頡利欲走磧、勣前屯磧口、不得度、由是酋長率部落五万降于勣。詔拜光禄大夫、行并州大都督府長史。父喪解、奪哀還官、徙封英。治并州十六年、以威肅聞。帝嘗曰:「煬帝不擇人守邊、勞中国築長城以備虜。今我用勣守并、突厥不敢南、賢長城遠矣!」召為兵部尚書、未至、会薛延陀子大度設以八万騎侵李思摩。詔勣為朔方道行軍総管、将輕騎六千、撃度設青山、斬名王一、俘口五万。以功封一子為県公。 晋王為皇太子、授詹事、兼左衛率、俄同中書門下三品。帝曰:「吾兒方位東宮、公舊長史、以宮事相委、勿以資屈為嫌也。」後帝自将征高麗、以勣為遼東道行軍大総管。破蓋牟・遼東・白崖等城、従戰駐蹕山、功多、封一子為郡公。延陀部落乱、詔将二百騎發突厥兵討之、大戰烏徳鞬山、破之、降其首領梯真達干、而可汗咄摩支遁入荒谷、磧北遂定。改太常卿、仍同中書門下三品、復為詹事。 勣既忠力、帝謂可託大事。嘗暴疾、毉曰:「用須灰可治。」帝乃自翦須以和薬。及愈、入謝、頓首流血。帝曰:「吾為社稷計、何謝為!」後留宴、顧曰:「朕思属幼孤、無易公者。公昔不遺李密、豈負朕哉?」勣感涕、因囓指流血。俄大醉、帝親解衣覆之。帝疾、謂太子曰:「爾於勣無恩、今以事出之、我死、宜即授以僕射、彼必致死力矣!」乃授疊州都督。 高宗立、召授検校洛州刺史・洛陽宮留守、進開府儀同三司・同中書門下、参掌機密、遂為尚書左僕射。永徽元年、求解僕射、聴之、仍以開府儀同三司知政事。四年、冊進司空。始太宗時、勣已畫象凌煙閣、至是、帝復命圖其形、自序之。又詔得乘小馬出入東・西台、卑官日一人迎送。 帝欲立武昭儀為皇后、畏大臣異議、未決。李義府・許敬宗又請廃王皇后。帝召勣與長孫无忌。・于志寧・褚遂良計之、勣称疾不至。帝曰:「皇后無子、罪莫大于絶嗣、将廃之。」遂良等持不可、志寧顧望不對。帝後密訪勣、曰:「将立昭儀、而顧命之臣皆以為不可、今止矣!」答曰:「此陛下家事、無須問外人。」帝意遂定、而王后廃。詔勣・志寧奉冊立武氏。帝東封泰山、為封禪大使。嘗墜馬傷足、帝以所乘馬賜之。 高麗莫離支男生為其弟所逐、遣子乞師。詔勣為遼東道行軍大総管、率兵二万討之。破其国、執高藏・男建等、裂其地州県之。詔勣献俘昭陵、明先帝意、具軍容告于廟。進位太子太師、增食千一百戸。 総章二年、卒、年八十六。帝曰:「勣奉上忠、事親孝、歴三朝未嘗有過、性廉慎、不立産業。今亡、當無贏貲。有司其厚賵卹之。」因泣下。挙哀光順門、七日不視朝。贈太尉・揚州大都督、謚貞武。給祕器、陪葬昭陵。起象陰・鐵・烏徳鞬山、以旌功烈。葬日、帝與皇太子幸未央古城、哭送、百官送故城西北。 初、勣拔黎陽倉、就食者衆、高季輔・杜正倫往客焉、及平虎牢、獲戴冑、咸引見臥内、推礼之、後皆為名臣、世以勣知人。平洛陽、得單雄信、故人也。表其材武、且言:「若貸死、必有以報、請納官爵以贖。」不許。乃号慟、割股肉啗之曰:「生死永訣、此肉同歸于土!」為收養其子焉。性友愛、其姉病、嘗自為粥而燎其須。姉戒止。答曰:「姉多疾、而勣且老、唯欲数進粥、尚幾何?」 其用兵多籌算、料敵応變、皆契事機。聞人善、抵掌嗟嘆。及戰勝、必推功于下。得金帛、盡散之士卒、無私貯。然持法嚴、故人為之用。臨事選将、必訾相其奇庬福艾者遣之。或問故、答曰:「薄命之人、不足與成功名。」既沒、士皆為流涕。 自属疾、帝及皇太子賜薬即服、家欲呼毉巫、不許。諸子固以薬進、輒曰:「我山東田夫耳、位三公、年踰八十、非命乎!生死係天、寧就毉求活耶?」弟弼、始為晋州刺史。以勣疾、召為司衛卿、使省視。忽語曰:「我似少悆、可置酒相楽。」於是奏楽宴飲、列子孫于下。将罷、謂弼曰:「我即死、欲有言、恐悲哭不得盡、故一訣耳!我見房玄齡・杜如晦・高季輔皆辛苦立門戸、亦望詒後、悉為不肖子敗之。我子孫今以付汝、汝可慎察、有不厲言行・交非類者、急榜殺以聞、毋令後人笑吾、猶吾笑房・杜也。我死、布裝露車載柩、斂以常服、加朝服其中、儻死有知、庶著此奉見先帝。明器惟作五六寓馬、下帳施幔、為皂頂白紗裙、中列十偶人、它不得以従。衆妾願留養子者聴、餘出之。葬已、徙居我堂、善視小弱。苟違我言、同戮尸矣!」乃不復語。弼等遵焉。勣本二名、至高宗時、避太宗偏諱、故但名勣。後配享高宗廟廷。 季弟感、年十五、有奇操。李密敗、陷于世充。世充令作書召勣、對曰:「兄尚節義、今已事主、昆弟不能移也。」固不従、殺之。 勣子震嗣、終桂州刺史。震子敬業・敬猷。 敬業、少従勣征伐、有勇名。歴太僕少卿、襲英国公、為眉州刺史。嗣聖元年、坐贓、貶柳州司馬。会給事中唐之奇貶括蒼令、詹事府司直杜求仁貶黝令、長安主簿駱賓王貶臨海丞、敬猷自盩厔令坐事免、倶客揚州、失職怏怏。 時武后既廃中宗、又立睿宗、実亦囚之。諸武擅命、唐子孫誅戮、天下憤之。敬業等乘人怨、謀起兵、先諭其黨監察御史薛璋、求使江都。及至、令雍人韋超告州長史陳敬之反、璋乃收繋之。敬業即矯制殺敬之、自称州司馬、且言奉密詔募兵、討高州叛酋。即開府庫、令参軍李宗臣釋繋囚・役工数百人、授甲、斬録事参軍孫處行以徇。乃開三府、一曰匡復府、二曰英公府、三曰揚州大都督府。自称匡復府上将、領揚州大都督、以之奇為左長史、求仁右長史、宗臣左司馬、璋右司馬、江都令韋知止為英公府長史、賓王為芸文令、前盩厔尉魏思温為軍師。旬日、兵十餘万。伝檄州県、疏武氏過惡、復廬陵王天子位。又索状類太子賢者奉之、詭衆曰:「賢実不死。」楚州司馬李崇福率所部三県応之。 武后遣左玉鈐衛大将軍李孝逸兵三十万往撃之、削其祖父官爵、毀藏、除属籍、赦揚・楚民脅従者。購得敬業首、授官三品、賞帛五千。得之奇等首、官五品、帛三千。 敬業問計於思温、對曰:「公既以太后幽縶天子、宜身自将兵直趨洛陽。山東・韓・魏知公勤王、附者必衆、天下指日定矣!」璋曰:「不然。金陵負江、其地足以為固。且王氣尚在、宜先并常・潤為霸基、然後鼓行而北。」思温曰:「鄭・汴・徐・亳士皆豪桀、不願武后居上、蒸麥為飯、以待我師。奈何欲守金陵、投死地乎?」敬業不従。使敬猷屯淮陰、韋超屯都梁山、自引兵撃潤州、下之、署宗臣為刺史。始回兵屯高郵、下阿谿。思温歎曰:「兵忌分、今敬業不知掃地度淮、率山東士先襲東都、吾知無能為也!」 武后又使黒歯常之将江南兵為孝逸援、進撃、淮陰・都梁兵皆敗。後軍総管蘇孝祥率奇兵五千夜度撃敬業、孝祥死、兵溺者過半、孝逸軍退守石梁。有烏群噪敬業営上、監軍御史魏真宰曰:「賊其敗乎!風順荻乾、火攻之利也。」固請戰、遂度谿撃之。敬業置陣久、士疲、皆顧望不正列、孝逸乘風縱火逼其軍、軍稍。敬業麾精兵居前、弱者在後、陣乱不能制、乃敗、斬七千餘級。敬業與敬猷・之奇・求仁・賓王輕騎遁江都、悉焚其圖籍、攜妻子奔潤州、潛蒜山下、将入海逃高麗、抵海陵、阻風遺山江中、其将王那相斬之、凡二十五首、伝東都、皆夷其家。中宗反正、詔還勣官封属籍、葺完塋焉。 初、敬業之叔思文為潤州刺史。敬業兵起、以使間道聞、固守踰月。城陷、敬業責曰:「廬陵王継天下、無罪見廃、今兵以義動、何過拒邪?若太后是助、宜即姓武。」思温等欲殺之、敬業不許。及揚・楚平、乃独免。后遂賜武姓、歴春官尚書。或言本與敬業謀者、乃復徐氏、卒。子欽憲、開元中、仕至国子祭酒。 賛曰:唐興、其名将曰英・衛、擢皆罪亡之餘、遂能依乘風雲、勒功帝籍。蓋君臣之際、固有以感之、独推期運、非也。若靖闔門称疾、畏遠権逼、功大而主不疑、雖古哲人、何以尚茲?勣之節、見于黎陽、故太宗勤勤於託孤、誠有為也。至以老臣輔少主、会房帷易奪、天子畏大臣、依違不專、委誠取決、惟議是聴。勣乃私己畏禍、従而導之、武氏奮而唐之宗属幾殲焉。及其孫、因民不忍、挙兵覆宗、至掘而暴其骨。嗚呼、不幾一言而喪邦乎?惜其不通学術、昧夫臨大節不可奪之誼、反與許・李同科、可不戒哉!世言靖精風角・鳥占・雲祲・孤虚之術、為善用兵。是不然、特以臨機果、料敵明、根于忠智而已。俗人傅著怪詭禨祥、皆不足信。故列靖所設施如此。
https://w.atwiki.jp/ng3ggc/pages/4642.html
名稱:陸小鳳 伺服器及顏色:3服紫 類型:武 性別:男 生命值:3384 武力:58 智力:76 防禦:34 敏捷:48 運勢:65 敘述:一個有著四條眉毛的人。喜歡喝酒,欣賞美女。更重要的是他重情義,但風流成性,半生桃花不斷。他有很多朋友,他對友誼極為珍視,隨時可以為朋友犧牲自己。得意武學:“身無彩鳳雙飛翼,心有靈犀一點通。”能與之媲美的武功,大概只有李尋歡的小李飛刀,楚留香的輕功或是丁鵬的圓月彎刀了,除了靈犀一指他還有和司徒摘星一般上下的輕功——出自《陸小鳳系列》
https://w.atwiki.jp/shintouzyo/pages/411.html
唐書巻二百四 列伝第一百二十九 方技 李淳風 甄権 許胤宗 張文仲 袁天綱 客師 張憬蔵 乙弗弘礼 金梁鳳 王遠知 薛頤 葉法善 明崇儼 尚献甫 厳善思 杜生 張果 邢和璞 師夜光 羅思遠 姜撫 桑道茂 凡推歩・卜・相・醫・巧、皆技也。能以技自顯於一世、亦悟之天、非積習致然。然士君子能之、則不迂、不泥、不矜、不神。小人能之、則迂而入諸拘礙、泥而弗通大方、矜以夸衆、神以誣人、故前聖不以為教、蓋吝之也。若李淳風諫太宗不濫誅、許胤宗不著方劑書、厳譔諫不合乾陵、乃卓然有益于時者、茲可珍也。至遠知・果・撫等詭行幻怪、又技之下者焉。 李淳風、岐州雍人。父播、仕隋高唐尉、棄官為道士、號黄冠子、以論譔自見。淳風幼爽秀、通群書、明歩天暦算。貞観初、與傅仁均爭暦法、議者多附淳風、故以将仕郎直太史局。制渾天儀、詆摭前世得失、著法象書七篇上之。擢承務郎、遷太常博士、改太史丞、與諸儒脩書、遷為令。太宗得秘讖、言「唐中弱、有女武代王」。以問淳風、對曰:「其兆既成、已在宮中。又四十年而王、王而夷唐子孫且盡。」帝曰:「我求而殺之、奈何?」對曰:「天之所命、不可去也、而王者果不死、徒使疑似之戮淫及無辜。且陛下所親愛、四十年而老、老則仁、雖受終易姓、而不能絶唐。若殺之、復生壯者、多殺而逞、則陛下子孫無遺種矣!」帝采其言、止。 淳風於占候吉凶、若節契然、當世術家意有鬼神相之、非学習可致、終不能測也。以勞封昌楽県男。奉詔與算博士梁述・助教王真儒等是正五曹・孫子等書、刊定注解、立於学官。撰麟徳暦代戊寅暦、候者推最密。自秘閣郎中復為太史令、卒。所撰典章文物志・乙巳占等書伝於世。子該、孫仙宗、並擢太史令。 唐初言暦者惟傅仁均。仁均、滑州人、終太史令。 甄権、許州扶溝人。以母病、與弟立言究習方書、遂為高醫。仕隋為秘書省正字、稱疾免。魯州刺史庫狄嶔風痺不得挽弓、権使彀矢嚮堋立、鍼其肩隅、一進、曰:「可以射矣。」果如言。貞観中、権已百歳、太宗幸其舎、視飲食、訪逮其術、擢朝散大夫、賜几杖衣服。尋卒、年一百三歳。所撰脈經・針方・明堂等圖伝于時。 立言仕為太常丞。杜淹苦流腫、帝遣視、曰:「去此十日、午漏上、且死。」如之。有道人心腹懣煩彌二歳、診曰:「腹有蠱、誤食髮而然。」令餌雄黄一劑、少選、吐一蛇如拇、無目、燒之有髮氣、乃愈。 後以醫顯者、清漳宋侠・義興許胤宗・洛陽張文仲李虔縱・京兆韋慈蔵。 侠官朝散大夫・薬蔵監。 胤宗仕陳為新蔡王外兵参軍。王太后病風不能言、脈沈難對、醫家告術窮。胤宗曰:「餌液不可進。」即以黄耆・防風湯数十斛、置下、氣如霧、熏薄之、是夕語。擢義興太守。武徳初、累進散騎侍郎。関中多骨蒸疾、轉相染、得者皆死、胤宗療視必愈。或勸其著書貽後世者、答曰:「醫特意耳、思慮精則得之。脈之候幽而難明、吾意所解、口莫能宣也。古之上醫、要在視脈、病乃可識。病與薬値、唯用一物攻之、氣純而愈速。今之人不善為脈、以情度病、多其物以幸有功、譬獵不知兔、廣絡原野、冀一人獲之、術亦疏矣。一薬偶得、它味相制、弗能專力、此難愈之驗也。脈之妙處不可伝、虚著方劑、終無益於世、此吾所以不著書也。」卒年七十餘。 文仲仕武后時、至尚薬奉御。特進蘇良嗣方朝、疾作、仆廷中。文仲診曰:「憂憤而成、若脅痛者、殆未可救。」頃告脅痛。又曰:「及心則殆。」俄心痛而死。文仲論風與氣尤精。后集諸言方者與共著書、詔王方慶監之。文仲曰:「風状百二十四、氣状八十、治不以時、則死及之。惟頭風與上氣・足氣、薬可常御。病風之人、春秋末月、可使洞利、乃不困劇、自餘須發則治、以時消息。」乃著四時輕重術凡十八種上之。 虔縱官侍御醫、慈蔵光禄卿。 袁天綱、益州成都人。仕隋為鹽官令。在洛陽、與杜淹・王珪・韋挺游、天綱謂淹曰:「公蘭臺・学堂全且博、将以文章顯。」謂珪「法令成、天地相臨、不十年官五品」。謂挺「面如虎、當以武處官」。「然三君久皆得譴、吾且見之」。淹以侍御史入天策為学士、珪太子中允、挺善隱太子、薦為左衛率。武徳中、倶以事流巂州、見天綱、曰:「公等終且貴。杜位三品、難與言寿、王・韋亦三品、後於杜而寿過之、但晩節皆困。」見竇軌曰:「君伏犀貫玉枕、輔角完起、十年且顯、立功其在梁・益間邪!」軌後為益州行臺僕射、天綱復曰:「赤脈干瞳、方語而浮赤入大宅、公為将必多殺、願自戒。」軌果坐事見召。天綱曰:「公毋憂。右輔澤而動、不久必還。」果還為都督。 貞観初、太宗召見曰:「古有君平、朕今得爾、何如?」對曰:「彼不逢時、臣固勝之。」武后之幼、天綱見其母曰:「夫人法生貴子。」乃見二子元慶・元爽、曰:「官三品、保家主也。」見韓国夫人、曰:「此女貴而不利夫。」后最幼、姆抱以見、紿以男、天綱視其歩與目、驚曰:「龍瞳鳳頸、極貴驗也。若為女、當作天子。」帝在九成宮、令視岑文本、曰:「学堂瑩夷、眉過目、故文章振天下。首生骨未成、自前而視、法三品。肉不稱骨、非寿兆也。」張行成・馬周見、曰:「馬君伏犀貫腦、背若有負、貴驗也。近古君臣相遇未有及公者。然面澤赤而耳無根、後骨不隆、寿不長也。張晩得官、終位宰相。」其術精類如此。高士廉曰:「君終作何官?」謝曰:「僕及夏四月、数既盡。」如期以火山令卒。 子客師、亦伝其術、為廩犧令。高宗置一鼠于、令術家射、皆曰鼠。客師独曰:「雖實鼠、然入則一、出則四。」發之、鼠生三子。嘗度江、叩舟而還、左右請故、曰:「舟中人鼻下氣皆墨、不可以濟。」俄有一男子、跛而負、直就舟、客師曰:「貴人在、吾可以濟。」江中風忽起、幾覆而免。跛男子乃婁師徳也。 時有長社人張憬蔵、技與天綱埒。太子詹事蔣儼有所問、答曰:「公厄在三尺土下、盡六年而貴、六十位蒲州刺史、無有禄矣。」儼使高麗、為莫離支所囚、居土室六年還。及為蒲州、歳如期、則召掾史・妻子、告當死、俄詔聽致仕。劉仁軌與郷人靖賢請占、憬蔵答曰:「劉公當五品而譴、終位冠人臣。」謂賢曰:「君法客死。」仁軌為尚書僕射。賢猥曰:「我三子皆富田宅、吾何客死?」俄喪三子、盡鬻田宅、寄死友家。魏元忠尚少、往見憬蔵、問之、久不答、元忠怒曰:「窮通有命、何預君邪?」拂衣去。憬蔵遽起曰:「君之相在怒時、位必卿相。」姚崇・李迥秀・杜景佺從之游、憬蔵曰:「三人者皆宰相、然姚最貴。」郎中裴珪妻趙見之、憬蔵曰:「夫人目修緩、法曰『豕視淫』、又曰『目有四白、五夫守宅』、夫人且得罪。」俄坐姦、沒入掖廷。裴光廷當国、憬蔵以紙大署「台」字投之、光廷曰:「吾既台司矣、尚何事?」後三日、貶台州刺史。 隋末又有高唐人乙弗弘礼、當煬帝居藩、召見、弘礼賀曰:「大王為萬乘主、所戒在徳而已。」及即位、悉詔諸術家坊處之、使弘礼総攝。海内寖亂、帝曰:「而昔言朕既驗、然終當奈何?」弘礼逡巡、帝知之、乃曰:「不言、且死!」弘礼曰:「臣観人臣相與陛下類者不長、然聖人不相、故臣不能知。」由是敕有司監視、毋得與外語。 薛大鼎坐事沒為奴、及貞観時、有請於弘礼、答曰:「君、奴也、欲何事?」請解衣視之、弘礼指腰而下曰:「位方岳。」 玄宗時有金梁鳳者、頗言人貴賤夭寿。裴冕為河西留後、梁鳳輒言:「不半歳兵起、君當以御史中丞除宰相。」又言:「一日向雒、一日向蜀、一日向朔方、此時公當国。」冕妖其言、絶之。俄而禄山反、冕以御史中丞召、因問三日、答曰:「雒日即滅、蜀日不能久、朔方日愈明。」肅宗即位、而冕遂相、薦于帝、拜都水使者。梁鳳謂呂諲曰:「君且輔政、須大怖乃得。」諲責驛史、搒之、史突入射諲、両矢幾中、走而免、明年知政事。李揆・盧允毀服紿謁、梁鳳不許、二人語以情、梁鳳曰:「李自舎人閲歳而相、盧不過郎官。」揆已相、擢允吏部郎中。 王遠知、系本琅邪、後為揚州人。父曇選、為陳揚州刺史。母晝寢、夢鳳集其身、因有娠。浮屠宝誌謂曇選曰:「生子當為世方士。」 遠知少警敏、多通書伝、事陶弘景、伝其術、為道士。又從臧兢游。陳後主聞其名、召入重陽殿、辯論超詣、甚見咨挹。隋煬帝為晋王、鎮揚州、使人介以邀見、少選髮白、俄復鬒、帝懼、遣之。後幸涿郡、詔遠知見臨朔宮、帝執弟子礼、咨質仙事、詔京師作玉清玄壇以處之。及幸揚州、遠知謂帝不宜遠京国、不省。 高祖尚微、遠知密語天命。武徳中、平王世充、秦王與房玄齡微服過之、遠知未識、迎語曰:「中有聖人、非王乎?」乃諗以實。遠知曰:「方為太平天子、願自愛。」太宗立、欲官之、苦辭。貞観九年、詔潤州即茆山為観、俾居之。璽詔曰:「省所奏、願還舊山、已別詔不違雅素、并敕立祠観、以伸曩懐。未知先生早晩至江外、祠舎何當就功?令太史令薛頤等往宣朕意。」 遠知多怪言、詫其弟子潘師正曰:「吾少也有累、不得上天、今署少室伯、吾将行。」即沐浴、加冠衣、若寢者、遂卒。或言寿蓋百二十六歳云。遺命子紹業曰:「爾年六十五見天子、七十見女君。」調露中、紹業表其言、高宗召見、嗟賞、追贈遠知太中大夫、謚升真先生。武后時復召見、皆如其年。又贈金紫光禄大夫。天授中改謚升玄。 薛頤者、滑州人。當隋大業時為道士、善天歩律暦。武徳初、追直秦王府、密語曰:「徳星舎秦分、王當帝天下。」王表為太史丞、稍遷令。貞観時、太宗将封泰山、彗星見、頤因言:「臣商天意、陛下未可東。」亦會大臣上議、帝遂罷。固丐為道士、帝為築観九山、號曰「紫府」、拜頤太中大夫、往居之。即祠建清臺、候辰次災祥以聞、所上與太史李淳風合。数歳卒。 高宗時、又有葉法善者、括州括蒼人。世為道士、伝陰陽・占繇・符架之術、能厭劾怪鬼。帝聞之、召詣京師、欲寵以官、不拜。留内齋場、礼賜殊縟。時帝悉召方士、化黄金治丹、法善上言:「丹不可遽就、徒費財與日、請覈真偽。」帝許之、凡百餘人皆罷。嘗在東都凌空祠為壇以祭、都人悉往観、有数十人自奔火中、衆大驚、救而免。法善笑曰:「此為魅所馮、吾以法攝之耳。」問而信、病亦皆已。其譎幻類若此。 歴高・中二宗朝五十年、往來山中、時時召入禁内。雅不喜浮屠法、常力詆毀、議者淺其好憎、然以術高、卒叵之測。睿宗立、或言陰有助力。先天中、拜鴻臚卿、員外置、封越国公、舎景龍観、追贈其父歙州刺史、寵映當世。開元八年卒。或言生隋大業丙子、死庚子、蓋百七歳云。玄宗下詔褒悼、贈越州都督。 明崇儼、洛州偃師人、梁国子祭酒山賓五世孫。少隨父恪令安喜、吏有能召鬼神者、盡伝其術。乾封初、應岳牧舉、調黄安丞、以奇技自名。高宗召見、甚悅、擢冀王府文学。試為窟室、使宮人奏楽其中、召崇儼問:「何祥邪?為我止之。」崇儼書桃木為二符、剚室上、楽即止、曰:「向見怪龍、怖而止。」盛夏、帝思雪、崇儼坐頃取以進、自云往陰山取之。四月、帝憶瓜、崇儼索百錢、須臾以瓜献、曰:「得之緱氏老人圃中。」帝召老人問故、曰:「埋一瓜失之、土中得百錢。」 累遷正諫大夫。帝令入閤供奉、毎謁見、陳時政、多託鬼神為言。至為武后作厭勝事、又言章懐太子不徳。儀鳳四年、為盜所刺於東都、好事者為言:「崇儼役鬼勞苦、為鬼所殺。」而太后疑太子使客殺之、故贈侍中、謚曰荘、擢子珪為秘書郎。命御史中丞崔謐等雜治、誣服者甚衆。及太子廢、死状乃明。 尚献甫、衛州汲人、善占候。武后召見、由道士擢太史令、辭曰:「臣梗野、不可以事官長。」后改太史局為渾儀監、以献甫為令、不隸秘書省。数問災異、又於上陽宮集術家撰方域等篇。長安二年、熒惑犯五諸侯、献甫自陳:「五諸侯、太史位。臣命納音、金也。火、金之仇、臣且死。」后曰:「朕為卿厭之。」遷水衡都尉、謂曰:「水生金、卿無憂。」至秋卒、后嗟異、復以渾儀監為太史局云。 厳善思名譔、同州朝邑人、以字行。父延、與河東裴玄證・隴西李真蔡靜皆通儒術、該曉圖讖。善思伝延業、褚遂良・上官儀等奇其能。高宗封泰山、舉銷聲幽藪科及第、調襄陽尉。居親喪、廬墓、因隱居十年。武后時擢監察御史、兼右拾遺内供奉、数言天下事。方酷吏構大獄、以善思為詳審使、平活八百餘人、原千餘姓。長寿中、按囚司刑寺、罷疑不實者百人。來俊臣等疾之、誣以罪、交趾、五歳得還。是時李淳風死、候家皆不效、乃詔善思以著作佐郎兼太史令。聖暦二年、熒惑入輿鬼、后問其占、對曰:「大臣當之。」是年王及善卒。長安中、熒惑入月、鎮犯天関、善思曰:「法當亂臣伏罪、而有下謀上之象。」歳餘、張柬之等起兵誅二張。遷給事中。 后崩、将合葬乾陵、善思建言:「尊者先葬、卑者不得入。今啓乾陵、是以卑動尊、術家所忌。且玄関石門、冶金錮隙、非攻鑿不能開、神道幽靜、多所驚黷。若別攻隧以入其中、即往昔葬時神位前定、更且有害。曩營乾陵、国有大難、易姓建国二十餘年、今又營之、難且復生。合葬非古也、況事有不安、豈足循據?漢世皇后別起陵墓、魏・晋始合葬。漢積祀四百、魏・晋祚率不長、亦其驗也。今若更擇吉地、附近乾陵、取從葬之義。使神有知、無所不通。若其無知、合亦何益?山川精氣、上為列星。葬得其所、則神安而後嗣昌。失其宜、則神危而後嗣損。願割私愛、使社稷長久。」中宗不納。 神龍中、武后喪公除、太常請大習楽、供郊廟、詔未許。善思奏曰:「楽者氣化、所以感天地・調五行。漢・魏喪礼、以日易月、蓋三年不為礼、礼必壞、三年不為楽、楽必崩。礼、陰也。楽、陽也。楽崩陽伏、礼廢陰愆、故變以適時、孝道之大。安人神、公也。茹哀戚、私也。王者不以私害公、請如太常奏。」帝從之。遷礼部侍郎。表皇后擅政、為社稷憂、求汝州刺史。嘗語姚崇曰:「韋氏禍且塗地、相王所居有華蓋紫氣、必位九五、公善護之。」及睿宗立、崇以語聞、召拜右散騎常侍。 初、譙王重福徙均州、過汝、善思為刺史。及謀反、偽除礼部尚書。重福敗、坐関通論死、吏部尚書宋璟・戸部郎中李邕薄其罪、給事中韓思復固請、乃流靜州。始、善思為御史、中書舎人劉允濟為酷吏所陷、且死、善思力訟其冤、得免。戸部尚書王本立見之、曰:「祁奚之救叔向、厳公有之。」後見允濟、語未嘗及之。思復之解善思也、亦不自徳、時稱長者之報。後遇赦還。開元十六年卒。子向、乾元中為鳳翔尹、三世皆年八十五云。 杜生者、許州人、善易占。有亡奴者問所從追、戒曰:「自此行、逢使者、懇丐其鞭。若不可、則以情告。」其人果値使者於道、如生語、使者異之、曰:「去鞭、吾無以進馬、可折道傍代之。」乃往折、見亡奴伏其下、獲之。它日又有亡奴者、生戒持錢五百伺於道、見進鷂使者、可市其一、必得奴。俄而使至、其人以情告、使者以一與之、忽飛集灌莽上、往取之而得亡奴。衆以為神。 時有浮屠泓者、黄州人。與天官侍郎張敬之善。敬之以武后在位、常指所服示子冠宗曰:「莽朝服耳。」俄冠宗以父應入三品、詣有司言状。泓忽曰:「君無煩求三品也。」敬之大驚、已而知出冠宗意。敬之弟訥之疾殆、泓曰:「公弟當位三品、不足憂也。」已而愈。嘗為燕国公張説市宅、戒曰:「無穿東北、王隅也!」它日見説曰:「宅氣索然、云何?」與説共視、隅有三坎丈餘、泓驚曰:「父富貴一世而已、諸子将不終。」説懼、将平之、泓曰:「客土無氣、與地脈不連、譬身瘡痏補它肉、無益也。」説子皆汚賊死斥云。 張果者、晦郷里世繋以自神、隱中條山、往來汾・晋間、世伝数百歳人。武后時、遣使召之、即死、後人復見居恆州山中。 開元二十一年、刺史韋濟以聞。玄宗令通事舎人裴晤往迎、見晤輒氣絶仆、久乃蘇。晤不敢逼、馳白状。帝更遣中書舎人徐嶠齎璽書邀礼、乃至東都、舎集賢院、肩輿入宮。帝親問治道神仙事、語秘不伝。果善息氣、能累日不食、数御美酒。嘗云:「我生堯丙子歳、位侍中。」其貌實年六七十。時有邢和璞者、善知人夭寿。師夜光者、善視鬼。帝令和璞推果生死、懵然莫知其端。帝召果密坐、使夜光視之、不見果所在。 帝謂高力士曰:「吾聞飲堇無苦者、奇士也。」時天寒、因取以飲果、三進、頹然曰:「非佳酒也。」乃寢。頃視齒燋縮、顧左右取鐵如意撃墮之、蔵帶中、更出薬傅其齗、良久、齒已生、粲然駢絜。帝益神之。欲以玉真公主降果、未言也。果忽謂秘書少監王迥質・太常少卿蕭華曰:「諺謂娶婦得公主、平地生公府、可畏也。」二人怪語不倫。俄有使至、伝詔曰:「玉真公主欲降先生。」果笑、固不奉詔。有詔圖形集賢院、懇辭還山、詔可。擢銀青光禄大夫、號通玄先生、賜帛三百匹、給扶侍二人。至恆山蒲吾県、未幾卒、或言尸解。帝為立棲霞観其所。 夜光者、薊州人、少為浮屠。至長安、因九仙公主得召見温泉、帝奇其辯、賜冠帶、授四門博士、賜緋衣・銀魚・金繒千数、得侍左右如幸臣。 和璞喜黄老、作潁陽書、世伝之。 天宝中、有孫甑生者、以技聞、能使石自、草為人騎馳走。楊貴妃喜観之、数召入宮中。 又有羅思遠、能自隱。帝学、不肯盡其術、試自隱、常餘衣帶、及思遠共試、則驗。厚錫金帛、然卒不得。帝怒、裹以、壓殺之。数日、有中使者自蜀還、逢思遠駕而西、笑曰:「上為戲何虐也!」 姜撫、宋州人。自言通僊人不死術、隱居不出。開元末、太常卿韋縚祭名山、因訪隱民、還白撫已数百歳。召至東都、舎集賢院。因言:「服常春藤、使白髮還鬒、則長生可致。藤生太湖最良、終南往往有之、不及也。」帝遣使者至太湖、多取以賜中朝老臣。因詔天下、使自求之。宰相裴耀卿奉觴上千萬歳寿、帝悅、御花萼樓宴群臣、出藤百、賜之。擢撫銀青光禄大夫、號和先生。撫又言:「終南山有旱藕、餌之延年。」状類葛粉、帝作湯餅賜大臣。右驍衛将軍甘守誠能詺薬石、曰:「常春者、千歳藟也。旱藕、杜蒙也。方家久不用、撫易名以神之。民間以酒漬藤、飲者多暴死。」乃止。撫内慚悸、請求薬牢山、遂逃去。 桑道茂者、寒人、失其系望。善太一遁甲術。乾元初、官軍圍安慶緒於相州、勢危甚、道茂在圍中、密語人曰:「三月壬申西師潰。」至期、九節度兵皆敗。後召待詔翰林。建中初、上言:「国家不出三年有厄會、奉天有王氣、宜高垣堞、為王者居、使可容萬乘者。」徳宗素驗其数、詔京兆尹厳郢發衆数千及神策兵城之。時盛夏趣功、人莫知其故。及朱泚反、帝蒙難奉天、賴以濟。 李晟為右金吾大将軍、道茂齎一縑見晟、再拜曰:「公貴盛無比、然我命在公手、能見赦否?」晟大驚、不領其言。道茂出懐中一書、自具姓名、署其左曰:「為賊逼脅。」固請晟判、晟笑曰:「欲我何語?」道茂曰:「弟言準状赦之。」晟勉從。已又以縑願易晟衫、請題衿膺曰:「它日為信。」再拜去。道茂果汚朱泚偽官。晟收長安、與逆徒縛旗下、将就刑、出晟衫及書以示。晟為奏、原其死。 是時藩鎮擅地無寧時、道茂曰:「年號元和、寇盜翦滅矣。」至憲宗乃驗。道茂居有二柏甚茂、曰:「人居而木蕃者去之、木盛則土衰、土衰則人病。」乃以鐵数十鈞埋其下、復曰:「後有發其地而死者。」大和中、温造居之、發蔵鐵而造死。杜佑與楊炎善、盧疾之、佑懼、以問道茂、答曰:「君歳中補外、則福寿叵涯矣。」俄拜饒州刺史、後終司徒。李泌病、道茂署於紙曰:「厄三月二日就饗、国與家吉而身危。」會中和日、泌雖篤、彊入。徳宗見泌不能歩、詔帰第、卒。是日北軍謀亂、仗士禽斬之。李鵬為盛唐令、道茂曰:「君位止此、而息位宰相、次息亦大鎮、子孫百世。」鵬卒、後石至宰相、福歴七鎮、諸孫通顯云。
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/417.html
[部分編集] 無名三国志11 http //www.nicovideo.jp/watch/sm4859225 使用ゲーム 三國志11(無印→PK) シナリオ・担当勢力 英雄集結・上級→超級永安開始・新勢力(北斗軍) 縛り あったっけ? ロード有。 登録武将 三国志関連以外の登録なし登録キャラは地味&中盤以降は出番が稀 史実武将の扱い 一軍、キャラブレイクなし紙芝居でもこっち中心 紙芝居・ストーリー 紙芝居や文章増量中割と毎回あちこちにオムニバス風に飛ぶ 投稿時期 2008年10月7日~ 投稿者名 medamayaki 関連タグ 【無名三国志】 マイリスト 第一部 第二部・第三部 関連サイト medamayaki1_blog(三国志的) 備考 ほぼ毎週日曜日に更新中。→ 説明2回目 (1話&2話説明ダイジェスト+補足)→ 第二部解説&補足 [部分編集] CM http //www.nicovideo.jp/watch/sm13236607 ストーリー 251年、英雄集結の世界。仕事として、北斗(君主)、南斗(軍師)が新勢力を立ち上げた。 そして前世の記憶がある史実武将達が徐々に増えてゆき……。 簡単な解説 三國志11を地味にまったり遊びつつ、その世界での様々な人物のお話。 割とオムニバス風にあちこちに話が飛んでいたり。 趣味で巻末に『三国志演義』『三国志』その他の読書などがあったりなかったり。 鍾会の出番が徐々に増加していたり。 君主と軍師は、なるべく働きたくない 登録は「使者」「老婆」「宦官」「賊将」「子供」「赤坊」など(新武将の顔グラの名前) 史実武将は死ぬ前の記憶を持っている(英雄集結) 毎回、わりとあちこちに飛ぶお話で、紙芝居&文章多め 内容は1話ごとに一応完結しているかも その回の内容については、マイリストコメントに書いてある(BGMも) ゲーム内での目的は、長安・洛陽を支配するまで(統一が目標ではない) 登場回数(2-10/実質100話)→1位:鍾会(26回)、2位:南斗(17回)、3位:何晏(11回) (参考)とても解りやすい紹介がされている動画 → 【歴戦動画紹介動画】演義最終回から送る三国志動画紹介 [部分編集] 人物・用語 +主な人物・用語解説 主な人物・用語解説 北斗 君主様。死を司る神。北斗星君。南斗と兄弟(1話)。碁とお酒が好き。仕事はめんどくさい。 テキーラ(原料は竜舌蘭)を欲しがっていたり(54、57)。 永安の桃林の四阿によくいて、時々外出して碁をうっている(13、57)。 公になったけれどほとんど登場しない(2-17)。2-34話で皇帝に(国号は「北」)。 南斗 軍師様。生を司る神。南斗星君。北斗と兄弟(1話)。碁とお茶とお菓子とパンダが好き。仕事はめんどくさい。 永安の桃林の四阿によくいて、仕事の話を聞いたり指示を出したりすることも。 南蛮制圧後、大規模農園を開いた。友達に太歳星君など(2-25、3-1-1)。 大熊猫 パンダ。于禁が発見して永安で南斗が飼っている(9)。南斗が眠眠と名前をつけた(12)。 飼育係は、男子&女子→馬岱&程銀→金環三結&忙牙長と変遷。 笹以外にもメロンなどを与えられている。 于禁 一番最初に在野から登用された(登録メンバー以外)(7)。 パンダを発見した功績で南斗から名馬を貰った(9)。 一周年記念で能力アップ(于禁、羅憲、陳式)(57)。 武力→80、特技→闘神、槍適性→S 263年、荊州都督に(70)。100話記念で能力all+5(2-20)。 羅憲 2番目に在野から登用された(7)。弩S、兵器Sがあるエースの一人。 胡烈の病気見舞に行ったり、蔡文姫から琴を貰ったりした(31)。 最近は成都の土塁に乱射していることが多め(52)。 一周年記念で能力アップ(于禁、羅憲、陳式)(57)。 武力→80、特技→神将 陳式 3番目に在野から登用された(7)。よく兵器で出陣していて、陳寿の父かもしれない人(11)。 魏延とは親愛武将(47)。 一周年記念で能力アップ(于禁、羅憲、陳式)(57)。 統率→80、武力→80、特技→覇王 荊南攻略中に兵器がSになった(58)。 鄧艾 最初に滅ぼした鄧艾軍君主で能力高い人(9)。長い間、梓潼の太守をつとめた。 農業におけるミミズの有益性の論文を南斗におくり、巨大ミミズ(丘建)を与えられた(28)。 梓潼で農作物の栽培や改良をして、メロン、パイナップル、葡萄酒は自慢の生産物。 パイナップルを酢豚に入れたのにケチをつけた何進を梓潼から追い出した(36)。 孟達から葡萄酒制作に関して助言を受けた(48、54)。鍾会とは仲が良くはない。262年、隴右都督(61)。 西域交易のために梓潼に敦煌出張所を開設(64)。五虎将軍に(2-18)。100話記念で能力all+5(2-20)。 北斗が帝位についた後、太尉(3-1-1)。 鍾会 元鍾会軍君主。後になるほど出番多め。 南斗の書庫の実質管理人。一度毒死した(27)。 話好きで仕事好きのため出番多め、南斗に進言することも多め。 よく手紙を書いたり、檄文を書いたり、論文を書いたりしている(53、54、59他)。 お菓子が好きなので孟達によくお菓子を作らせている(26、46他)。 ほとんどの元初期配下に嫌われていて丘建に暗殺計画を立てられたり(27)。 衛カンと司馬昭が特に嫌い(49)。蒋斌とは親愛武将のため友人(54)。鄧艾とも仲が良くはない。 262年、関中都督(61)。263年、張任、馬超と義兄弟に(63)。 新長安を大秦国風に再開発中(2-18)。100話記念で能力all+5(2-20)。知力100達成(2-28)。 北斗が帝位についた後、司徒(3-1-1)。新長安郊外に太歳星君廟の塔建設(3-1-1)。 書庫 永安城内にある。あらゆる書物が収められた書庫。 南斗の所有で仙人が管理人。鍾会が管理人代行で実質管理人。 鍾会がいるときは鍾会の許可がないと閲覧できない。 中は広大で何進が迷子になって捜索隊を出したこともあったり(48、49)。 大規模農園 南中にある。南斗が作らせた大規模農園。 主な作物は、バナナ、マンゴー、ライチー、パパイヤ、メロン、砂糖黍、茶他。 鄧艾が葡萄酒を作ったり、蒋斌が砂糖黍からお酒(ラム酒っぽい)を作ったり(54)。 現地で管理しているのは、黄権、陸凱、蒋斌など。 桃林 永安の城にある常春の桃林。北斗と南斗はここの四阿にいることが多い。 張任 元劉焉軍。弩S、戟Sの有能な人。 在野でうろうろしているとき張任墓で北斗に会って加入(13)。 張任墓はお気に入りの場所っぽい(57)。劉カイ、冷苞、鄧賢とはそれなりに親しい(43)。 弩Sなのでよく成都の土塁に乱射している(52)。 263年、馬超と鍾会と義兄弟に(63)。養由基の弓をもらった(78)。五虎将軍に(2-18)。 衛瓘 元鍾会軍。特技が捕縛な人。鍾会と仲が悪い。 関羽などを捕縛して功績が上がったことが気に入らなかった鍾会の策略により全国地図作成の旅に出ることに なったけれど、本人は鍾会と顔を合わさずにすむようになって喜んだ。譚雄も同行した(46)。 前回、鍾会の反乱を鎮圧した功績を評価され後に晋の司空になったので、晋系統の人は割と顔見知り(56)。 東の大陸へ珈琲、竜舌蘭を取りに行った(70)。大宛馬をもらった(78)。 孟達 元鍾会軍。料理が得意でよく南斗や鍾会のためにお菓子を作っている。 孟達の父は葡萄酒に縁があるので鄧艾の葡萄酒作りに助言をしたり(48)。特技、明鏡を覚えた。 何進 元何進軍君主。孫の何晏と共に張魯軍滅亡後北斗軍加入(42)。 肉にこだわりがある(58)。方向音痴で書庫で行方不明になりかけた(48)。 何晏 何進の孫。自作の五石散を愛用して散歩が趣味(42)。書庫で不老不死の薬の研究中。 鍾会とは前回から交際があり、書庫でよく話をしていたり(42、49)。 前回殺された経緯から司馬懿が嫌い(49)。司馬懿の影武者について調査中(57)。 修行により知力が93まで上がった。 鍾会の下で南中の花や薬の輸出のお仕事に携わる(2-18)。 馬岱 程銀とともに涼州で記憶喪失になり(19)、十年以上すぎてやっと回復した(2-5)。一時、大熊猫係(25)。 冷苞 雲南攻略後、山河社稷図によってアフリカに行き、スフィンクスの近くで左慈に拾われて戻った(36、52)。 その後成都の土塁に弓を打ち続け弩Sになった(52)。衛カンが新大陸に行った時にも同行した(70)。 秦宓 永安の書庫によく来る人(15、27、37、58他)。特技、築城を覚えた(37)。 尹黙 元鍾会軍。病気になった胡烈をひきつぎ書庫で鍾会の指示を受けて目録を作ったり(31)。 書庫によくいるので出番多め(31、32、37、49他)。 永安の城壁の下で穴を掘って逮捕された黄承彦を助けた(49)。 ラテン語習得済(76)で、鍾会が漢中に移って以降は書庫管理人代理代行に。 馬謖 元劉備軍の捕虜から登用。諸葛亮は馬謖を斬ったことを後悔していると信じている(47、53)。 書庫の新しい兵法書と象で山越えの話にひかれて北斗軍加入(47)。 象を使った兵法の研究中に梓潼の施設を破壊して鄧艾に永安へ追い返された(53)。 馬超 元司馬懿軍の捕虜から登用(42)、263年、張任と鍾会と義兄弟に(63)。 文鴦に一騎討ちで勝利、捕虜にした(74)。飛刀をもらった(78)。五虎将軍に(2-18)。 黄承彦 超古代文明の遺跡を探して旅をしている(45)。諸葛亮の舅で尹黙と親しい(49)。 文鴦 元曹操軍捕虜から登用され、青竜偃月刀を貰った(78)。一騎討ちの口上が好きで、司馬炎を特に恨んでたり(66)。 鍾会に懐いていたり(2-7)、父親の文欽を怖がっていたり(2-18)。 姜維 元劉備軍捕虜から登用(77)。船が嫌い(68)。鍾会とは互いに親友認定中(2-3、2-26、2-31)。 傅僉や夏侯覇は元部下で親愛。五虎将軍(2-18)。南斗の廟イベントで特技「傾国」(2-25)。 夏侯覇 元曹操軍捕虜から登用(2-17)。釣りが趣味(2-10)だったり色々。 閻宇 元劉備軍捕虜から263年に登用。266年、鍾会と姜維の推薦で南中都督に大抜擢される。 100話記念で魅力+25(2-20)。 魏延 元劉備軍捕虜から登用(46)。于禁都督配下で会稽攻略(2-17)、後に揚州都督として独立(2-18)。 陳式とは割と仲がいい。文欽と喧嘩した。 五虎将軍に(2-18)なり、100話記念で能力all+5(2-20)、武力が100になった。 徐邈 元韓馥軍。2-17話で登用。涼州都督に(2-23、2-24)。 杜預 元司馬懿軍。薊の北で南斗の廟を発見したり(2-25)。 実質軍団制 第二部以降に採用。2-0話で解説。 第三部開始時点(269)では、鄧艾、鍾会、于禁に加えて、魏延、閻宇、徐邈軍団追加(3-1-1)。 鄧艾軍団(実質軍団制) 第二軍団は鄧艾都督、武威、安定、天水の三郡、軍団の方針は内政向上と河北攻略。 所属する武将は主に、元鄧艾軍、元司馬懿軍、元董卓軍、元韓遂軍、+馬謖。 後に涼州は切り離して徐邈が内政する軍団に。 鍾会軍団(実質軍団制) 第三軍団は鍾会都督、漢中、梓潼の二つ、方針は、内政向上と長安攻略、中原攻略。 所属武将は大体、元鍾会軍、元劉焉軍、元劉備軍の一部、元馬騰軍辺り。 于禁軍団(実質軍団制) 第四軍団は于禁都督、武陵、零陵、桂陽、長沙の4都市、方針は内政向上と江東攻略。 所属武将は、元劉備軍の一部の魏延や陳式たちと、後は元孟獲軍、元曹操軍など。 新長安 長安攻略時に盛大に燃やしたため鍾会が再開発中。大秦国風。 五虎将軍 鄧艾、馬超、魏延、張任、姜維(2-19)。 北(国号) 北斗が帝位について建国した国(2-34)。 勢力色は初期のこげ茶から黒に変更(2-30)。 [部分編集] 紙芝居登場一覧 かなりあちこちに話が飛ぶので確認用リスト +紙芝居登場リスト-第一部 紙芝居登場リスト-第一部 1──南斗 2──南斗、劉備、諸葛亮 3──南斗、使者 4──劉備、諸葛亮、龐統 5──南斗、北斗、使者、老婆、女子、子供 6──南斗 7──使者、師纂、楊欣、禰衡、宦官、男子、老人、賊将、女子 8──ナシ 9──南斗、北斗、于禁、女子、盗賊、男子 10──鄧忠、使者、劉備、諸葛亮 11──陳式、羅憲、禰衡、韓玄、趙範 12──禰衡、曹操、郭嘉、司馬懿、羊祜、司馬昭 13──張任、北斗、土地神 14──衛瓘 15──使者、秦宓、孟獲、朶思大王、兀突骨、孟優、祝融、李恢 16──使者、張嶷、呉蘭、雷銅、羅憲、衛瓘 17──鄧艾、鍾会、衛瓘、兵士 18──南斗、鄧艾、鄧忠、于禁、武芸者、張任、劉瑰 19──南斗、馬岱 20──使者、于禁、秦宓、鍾会、馬岱 21──胡烈、許儀、文官、南斗、北斗 22──張飛、諸葛亮、劉備、法正、龐統、董允、劉禅 23──譙周、男子、女子、李恢、孟獲 24──袁術、袁渙、閻象、陳蘭、橋蕤、張温、雷薄、李豊、楽就、梁剛 25──馬岱、程銀、禰衡、北斗、黄皓、劉禅、董允、孫策、周瑜 26──丘建、諸葛緒、鍾会 27──秦宓、文官、丘建、兵士、鍾会 28──孟達、北斗、南斗、鄧艾、師纂、丘本、使者、傅嘏 29──張嶷、馬忠、陳式 30──南斗 31──羅憲、老人、鍾会、尹黙 32──賊将、宦官、笮融、羅憲、旅人、鍾会、尹黙 33──田豊、袁紹、韓馥、麹義、沮授、陶謙、羅憲、尹黙 34──曹丕、曹奐、曹髦、曹操、曹洪、(武将) 35──諸葛亮、姜維、劉備、簡雍、龐統、龐徳、関索 36──冷苞、雷銅、張任、呂凱、(兵士) 37──忙牙長、馬岱、金環三結、尹黙、秦宓、于禁、(童子) 38──李異、譚雄 39──曹丕、曹髦、管輅、王基、(宿屋の女将) 40──鍾繇、鍾毓、蔡文姫、羊祜、(衛士)、曹丕、王粲、曹操 41──王経、曹髦、(漁師)、曹丕、南斗、関羽、北斗 42──何晏、鍾会、韓遂、閻行、馬超、戯志才、裴秀、 43──左慈、曹芳、曹操、郭嘉、劉カイ、冷苞、張任、鄧賢、 44──陳宮、呂布、王戎、(武将)、許劭、賈充、司馬昭、武安国、(兵士)、 45──黄承彦、黄月英、張翼、戴陵、鄧艾、鄧忠、党均、張魯、傅カ、何進、何晏、閻圃 46──魏延、孟獲、鍾会、南斗、衛瓘、譚雄、 47──秦宓、馬謖、尹黙、南斗、孟達、何進、何晏、 48──南斗、鍾会、何晏、尹黙、孟達、鄧賢、 49──尹黙、黄承彦、鍾会、何晏、于禁、 50──馬良、陸遜、陸抗、 51──陸遜、孫皓、衛瓘、譚雄 52──男子、子供、馬忠、冷苞、羅憲、黄崇、司馬師、羊祜、司馬懿、馬鈞 53──曹操、荀彧、鍾繇、女子、羊祜、賈充、鄧艾、馬謖、党均 54──孟達、鄧艾、鍾会、蒋斌 55──杜預、賈充、陳泰、杜畿、羊祜、周旨、陳寿 56──袁術、朱霊、公孫瓚、郭図、張華、衛瓘 57──北斗、張任、黄権、鍾会 58──何晏、何進、秦宓、 59──王朗、王粛、劉備、諸葛亮、廖化、劉諶、張苞、関興、劉禅、趙雲、 60──陳寿、李勝、曹爽、夏侯玄、李豊(魏)、 61──陸遜、甘寧、鍾毓、傅カ、荀顗、荀勗、 62──毌丘倹、陳式、陸凱、 63──鍾会、仙人、何晏、尹黙、 64──鄧艾、師纂、党均、木鹿大王、楊懐、雷銅、呉蘭、羊祜、秦朗、陳泰、老人、高定 65──馬岱、馬超、鍾会、何晏、 66──文鴦、許褚、鍾毓、高堂隆、 67──鍾会、張任、司馬昭、賈充、 68──姜維、孫乾、 69──鄧艾、鍾会、賊将、何晏、馬休、杜畿、羅憲、楊欣、張翼、張任、胡烈、傅彤、雷銅、馬超 70──董卓、使者、于禁、黄権、賈逵、裴秀、秦宓、費詩、冷苞、衛瓘、李異、譚雄、陸凱 71──夏侯玄、夏侯尚、 72──郭図、逢紀、田豊、呂布、陳宮、高順、張遼、孫策、周瑜、 73──北斗、南斗、孟達、黄月英、蔡文姫、 74──黄皓、胡遵、胡奮、文鴦、胡烈、 75──黄承彦、諸葛瞻、劉禅、黄月英、諸葛尚、 76──黄皓、鍾会、何晏、南斗、蒯良、尹黙、 77──尹黙、姜維、尹賞、張翼、 78──張任、馬超、鍾会、文鴦 79──鍾会、文鴦 80──鍾会、何晏、馬超、衛カン、張翼、張嶷 +紙芝居登場リスト-第二部 紙芝居登場リスト-第二部 2-0──夏侯覇、姜維、張嶷 2-1──女子、楊任 2-2──裴秀、于禁、魏延、孟獲、花鬘、陳式 2-3──鍾会、姜維、馬超、、 2-4──張春華、董卓、李儒、牛輔、楊済、師纂 2-5──馬休、龐徳、馬岱、馬超、馬鉄、傅彤、傅僉 2-6──鄧艾、鄧忠、陳泰、杜預、鍾会、張任、 2-7──曹操、曹沖、程昱、徐晃、傅僉、文鴦 2-8──張春華、羊祜 2-9──孫策、孫尚香、孫桓、諸葛瑾、陸遜、孫皓 2-10──夏侯覇、夏侯玄 2-11──全琮、全端、孫魯班 2-12──公孫瓚、公孫越、王渾、張華、陳琳、盧植 2-13──閻宇、孔伷、鍾会、郤正、 2-14──貂蝉、呂玲綺、陳宮、太史慈、張遼 2-15──姜維、夏侯覇 2-16──霊帝、献帝、張譲、鍾会、 2-17──(紙芝居なし) 2-18──文欽、李豊、鍾会、張任、 2-19──献帝、鍾会、曹丕、陸遜、黄月英 2-20──鄧艾、鄧忠、陳泰 21──夏侯覇、姜維、文鴦、傅僉、何晏 22──于禁、黄権、賈詡、張郃、劉曄 23──徐邈、文官、成宜、李堪 24──鍾会、姜維 25──杜預、南斗、(太歳星君) 26──鍾会、姜維、夏侯覇、裴秀、衛瓘、李豊、何晏 27──郭嘉、夏侯淵 28──郭嘉、朱桓、戯志才、 29──(紙芝居なし) 30──鍾会、郤正、張華、馬超、文鴦 31──張翼、姜維、夏侯覇、兀突骨、傅僉 32──鍾会、張任、馬超、鍾ヨウ 33──陸遜、 34──(紙芝居なし) +紙芝居登場リスト-第三部 紙芝居登場リスト-第三部 3-1-1──鍾会、傅僉、夏侯覇、(太歳星君) [部分編集] 主な内容&特徴 順番通りに見る必要性はわりと低めかも(20話以前は試行錯誤気味の所も) +主な内容 第1~9話 1話と2話はシリーズの説明になっています。 後のほうに比べると紙芝居少なめで、動画作成的に手探りな所多め。 内容的には説明回(1、2話)以外は飛ばしても後でそれほど問題ないかも。 →説明2回目(1話&2話説明ダイジェスト+補足) 第30話 第10~19話 15話から動画作成がWMMからPremiere Elements7に変更、16話から紙芝居の枠(人物名付)変更。紙芝居が増加傾向に。舌戦好き。 まだ試行錯誤気味、飛ばしても問題ないかも。 第20~29話 紙芝居、文章が増加傾向、話があちこちとぶように。 この辺からBGM適性を向上させるために音楽を途中で切らないように変更。 (補足)うp主は全武将を主人公にしたオムニバスっぽいものを作ってみたいとか 考えたことがあって、割とその趣味が反映していたり。 第30話~ 30話は説明2回目(1話&2話説明ダイジェスト+補足)兼用、30話以降PK導入&超級に変更。 それ以降 その回ごとの大体の内容やあらすじは マイリスト に。 80話で司馬懿軍を滅ぼした所で第一部完。 第二部 81話からいろいろな都合で第二部に。(→ 第二部解説&補足 ) 2-34で帝位についたので、第二部完。 第三部 北斗が帝位についた後。3-1-1は、第三部一章一話とか。 [部分編集] その他の作品 +歴戦、三国志関連 ■歴戦架空taleParty(B枠)参加作品【歴戦架空tale】『爆笑三国志』を鍾会が紹介してみたり。 ■history-reproduction参加作品【HR】曹髦挙兵 三国志11の劉禅の評定だけ。 三国志11PKイベントとか、5こ。 信長の野望・天道(体験版)チュートリアル6「戦法を発動するべし」 信長の野望・天道チュートリアル18「軍団に任せるべし」 10分1本勝負区星さんの日々。 10分1本勝負夢見る張譲さん。 10分1本勝負頴川好日。 勝手にHR殷浩先生伝─ある鍾会贔屓の客と鍾会を論ず 歴戦文化祭孟達伝風 歴戦文化祭飛び入り参加陸。~主に後漢末の陸遜や陸績について (三国志関連・歴史)三国志適当読書~『晋書』胡奮伝 コメント欄 ニート双星はわしが育てた -- 名無しさん (2008-11-28 19 11 02) あまりオタ臭のしない、珍しい動画。動画の最期で、紙芝居でクローズアップされた武将にちなんだ三国志演義のエピソードを紹介するという構成 -- 名無しさん (2008-11-30 20 04 18) この動画のまったり感がたまらない。 -- 名無しさん (2009-01-31 01 04 34) 安定した更新とまったりした独特の雰囲気が魅力。HRで見せてくれた「謎の技術」によるイベント風紙芝居や正史絡みのエピソードなど三国志好きなら見て損はない動画。 -- 名無しさん (2009-07-26 18 45 45) たまにしゃべり方が幼すぎる武将がいたりするが、それがいい -- 名無しさん (2010-08-23 13 56 41) まったりした感じがかなり癒される -- 名無しさん (2011-09-19 10 38 28) 落ち着く -- 名無しさん (2013-09-26 14 08 06) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi_jiseki/pages/19.html
程昱[仲徳] 田疇[子泰] 田豊[元皓] 田豫[国譲] 杜畿[伯侯] 杜恕[務伯] 杜預[元凱] 董允[休昭] 鄧艾[士載] 陶璜[世英] 滕脩[顕先] 董昭[公仁] 唐彬[儒宗] 程昱[仲徳] 141~220 最高官位:衛尉 『三国志』立伝 県丞の王度が反乱を起こした際、豪族の薛房を説得して城を固守した。王度らが城を落とせず敗走すると、官民を率いて追撃した 「統・武・知」 王彧は劉岱に「程昱は策謀を持っています」と進言した (知) 公孫瓚は袁紹の敵ではないと主張し、劉岱に袁紹と結び続けるよう進言した 「知」 荀彧に「民の人望がある」と評された (政) 張邈らが反乱を起こして呂布を迎え入れた際、笵県令のキン允を説得して裏切りを阻止した 「政」 騎兵を派遣して倉亭津を断ち切り、陳宮の進路を阻んだ 「知」 袁紹に人質として家族を送ろうとしていた曹操を諌めた 「知」 曹操に身を寄せた劉備を殺害をするよう進言した。また曹操が劉備に袁術を攻撃させると、反乱を予測した 「知」 寡兵で守っていたケン城に袁紹が接近した際、このままなら袁紹は攻めてこないと判断し、増援を拒んだ 「知」 逃亡者を集めて精鋭兵数千人を集め、曹操と共に袁譚、袁尚を討伐した 「統・武」(※) 劉備が呉に入ると、孫権と組んで成功することを予測した 「知」 田銀らの賊軍が降伏し、曹丕がそれを処刑しようとした際、処刑せずに曹操の判断を待つよう進言した 「政」 軍の食糧が欠乏した際、出身の県で略奪を行い、その食糧に人肉を混ぜたため、朝廷での人望を失った 「武・-政」 曹操に献帝擁立を進言した。曹操は曹洪を派遣したが、董承らに阻まれた [武帝紀] 高蕃に水路を断ち切られた際、それを攻撃しようという李典の主張に賛成した 「知」(※) [李典伝] 田疇[子泰] 169~214 最高官位:議郎 『三国志』立伝 読書を好み、剣術が上手だった 「武・政」 劉虞の配下は田疇を「多くの者から評価を受けています」と言って、朝廷への使者に推薦した (政) 劉虞の使者として朝廷へ向かう際、個人の旅行ということにして賊の目標になるのを避けた 「知」 騎都尉の任官を辞退し、朝廷にその道義心を感心された (政) 公孫瓚に捕らえられると、「罪なき主君を滅ぼした上に道義を守る臣下にあだなせば、将軍に付き従う者はいなくなる」と述べた。公孫瓚はその勇気に感心し、田疇を処刑しなかった 「政」田疇を拘束している公孫瓚にある人は「田疇は義士です。彼を拘束しては人心を失います」と進言した (政) 劉虞に「上奏への答書を待っていては事を起こす機会を見逃す心配があります。公孫瓚を早く始末すべきです」と進言した 「知?」 田疇が徐無山に入ると人民は彼に帰属し、数年の間に五千軒以上になった 「政」指導者に推し立てられると刑法を取り決め、婚姻の礼を制定し、学校教育の事業を起こした 「政」 烏丸と鮮卑は田疇の威光信義に服従し、貢物を贈った。田疇は彼らを慰撫して受納し、侵略しないよう命じた 「政」 曹操の烏丸征伐の際、小道を教え、そこを通って急襲するよう進言した 「知」 下賜された物品を全て親族友人に分け与えた 「政?」 田豊[元皓] ?~200 最高官位:冀州別駕 曹操との開戦に反対したが、退けられた 「知」 曹操が劉備を攻めると、その背後を襲うよう進言したが、子供の病気を理由に退けられた 「知」 袁紹に対し、曹操と短期決戦に臨まず持久戦に持ち込むよう勧めたが、退けられた 「知」 自身の進言が容れられず袁紹軍は敗れたが、かえって自らが処刑されることを予測した 「知」 権謀、機略に富み、博学多識、名声は故郷に轟いた 「知・政」 袁紹に献帝を擁立するよう勧めたが、容れられなかった 「知」 公孫瓚撃破の計略に貢献した 「知」 曹操は、田豊が袁紹に随行しなかったことで戦勝を予測し、勝利を収めた後も「もしも袁紹が田豊の計略を採用していたらどうなっていたか分からない」と述べた (知) 孔融は田豊を「智謀の士」と称えたが、荀彧は「強情で上に逆らう」と軽んじた [荀彧伝] 田豫[国譲] ?~? 最高官位:衛尉 『三国志』立伝 反旗を翻し城に押し寄せた王門を叱責し、退却させた 「政」 臨機応変の策に長じているが、公孫瓚は任用できなかった 「知?」 曹操に従属するよう鮮于輔に進言した 「知」 県令や太守を務め、いずれの任地でも治績を挙げた 「政」 異民族の騎兵を相手に苦戦したが、円陣を築き、弩弓を構え、手薄な箇所にも兵がいると見せかけ、敵の進軍を防いだ 「統・知」追撃して勝利を収め、その策略をもって、代郡平定に大きく貢献した 「統・武・知」 侯音と共に反乱した500人は逮捕されると皆死刑になるところだったが、田豫は彼らを説諭した上で釈放し、それによって反乱も静まった 「政」 鮮卑の頭領たちの仲を離間し、彼らが相争うよう仕向けた 「知」 鮮卑の軍に帰路を絶たれると、屯営を築いてまだその場にいるよう見せかけ、密かに別の道から退却を図った 「知」追撃、包囲を受けると、軍を分けて別軍に敵の意識を向けさせた上で、挟撃して勝利を収めた 「統・武・知」 恭順しなかった烏丸王骨進の元に百余騎で押しかけ、斬刑に処し、烏丸を従わせた 「武・政」 鮮卑の素利を誘い、山賊の高艾を斬らせた 「知・政」 護烏丸校尉として在任9年、常に異民族同士の合併を防ぎ、力を削ぐ策を用い、官に害をもたらす者をことごとく平定した 「知」 公孫淵の救援に訪れた呉軍が成山に漂着することを予測してそこで待ち受け、ことごとくを捕虜にした 「統・知」(※) 孫権が合肥新城に侵攻すると、そこに急行せず、攻撃させて疲弊したところに追撃をかけるよう勧めた 「知」 呉の襲撃に対応、敵はすぐに退いた 「統・武」再度呉が襲撃してきたと軍が慌てふためいたが、動揺することなく命を下した。結局呉の襲撃はなかった 「統・知」 并州刺史となると、周辺の異民族はその威名を伝え聞いていたので、連れ立って来貢した。州境は安定し、民の思慕を受けた 「統・政」 賞賜は全て将兵に分け与え、異民族からの贈り物も全て官に納めた 「政」 遼東を攻撃したが戦果を得ることはなかった 「-統?-武?」 [蔣済伝](※) 辺境統治の評判は牽招に勝るものだった 「政」 [牽招伝] 鮮卑間の争いが激しくなると、それを調停した 「政」 [鮮卑伝] 軻比能配下の、瑣奴の軍を攻撃し、敗走させた 「統・武」 軻比能配下の、鬱築鞬の軍を撃ち破った 「統・武」 杜畿[伯侯] ?~? 最高官位:尚書僕射 『三国志』立伝 若い頃父を失い、継母にいじめられたが、孝行者として名を知られた 「政」 数百人の未決囚に判決を下した。その全部が妥当だったわけではないが、郡中ではその全体的な把握を立派ともてはやした 「政」 京兆尹の功曹に任命されたが、種々の仕事に心を配らず、功曹に相応しくないと言われた 「-政?」 河東で衛固らが反乱した際、計略によって繋ぎ止めるため、単身彼らのもとを訪れた 「知」衛固らに兵をゆっくりと集めるよう、また将校や属官らに休暇を与えるよう進言した。結果、兵は集められず、人々はまとまりを失った 「知」 張辟で衛固らの軍を防いだ 「統・武」 荀彧に「大きな困難にぶつかれるだけの武勇、変化に対応できる英知を持つ」と評された (武・知) 河東太守に就任すると、寛大と恩恵を尊び、住民に対して干渉しなかった 「政」住民の内に訴訟を起こして告発し合う者がいると、直接会って根本的な道理を説明し、反省させた 「政」 管轄の県に、孝子、貞節な婦人、よく祖父母に仕える孫を推挙させ、彼らの労役を免除し激励した 「政」 牝牛、牝馬を住民に割り当てて飼わせ、豚や犬に及ぶまで全てに規則を作った 「政」 人民は農業に励み、家々は豊かになり充実した 「政」 学校を開き、自身で経典を手に教授した。冬には軍事訓練を行った 「統・政」 曹操が漢中を征討した際、五千人を派遣して輸送を担当させたが、一人の逃亡者も出なかった 「統」 曹操に寵愛されていた劉勳に棗を要求されたが、それを拒絶した。後に劉勳は法の裁きを受けた 「政?」 曹丕が呉を征討した際、留守中の政務を取り仕切った 「政」 寡婦を都に送る命令を受けた際、他の郡では生者の妻も送ったが、杜畿はただ寡婦だけを送った 「政?」 評判の高かった李豊を評価せず、評判の低かった郭沖を評価した。のち李豊は死刑に処され、郭沖は代郡太守となった 「政」 杜恕[務伯] 198~252 最高官位:幽州刺史、建威将軍、使持節護烏丸校尉 『三国志』付伝 誠実さを貫き、質実で表面を飾らなかったため、若い頃は名声を得ることがなかった 政治に過ちがある度に国家の大綱を引き合いに出して正論を吐き、辛毗らに才能を高く買われた 「政」 「刺史には兵を宰領させることなく、民政に専心させるべき」と主張し、鎮北将軍の呂昭を冀州刺史に就けることに反対した 「政」 勤務評定の制度について意見を述べた 「政」 他者の弾劾を好む廉昭を退けるよう上奏した 「政」 寛大で人民に対する愛情があった。しかし大筋を掴むことに努めるだけで、人民の歓心を得た点では父に及ばなかった 国境の砦を通らず州都にやってきた鮮卑族を斬り、それについて報告賞を提出しなかったため、程喜に弾劾された 『体論』『興性論』を書いた 「政」 杜預[元凱] 222~284 最高官位:鎮南大将軍、都督荊州諸軍事 『晋書』立伝 博学で、興廃の道に明るかった 「政」 蜀平定時、鍾会共々その属官まで皆殺されてしまったが、杜預だけは知恵でそれを免れた 「知」 律令とその注釈を制定した 「政」 河南尹を代行すると、官僚の昇降の制度を起案した 「政」 物資不足のまま鮮卑を攻めようとする石鑒に反対した。石鑒は怒り杜預は罷免されたが、鮮卑討伐は杜預の進言通りに進められた 「知」 農業促進や辺境防衛のための策、製鉄の方法や経済の管理など、様々な策を献じた 「政」 暦の計算方法を改めた『二元乾度暦』を作り、世に広めた 「政」 富平津から黄河に渡す橋を作るよう願い出た 「統・政」 周廟の欹器を再現した 「政」 度支尚書として在官7年、様々な物事を新設、改廃した。人々は杜預を賛美し「杜武庫」と呼んだ 「政」 呉討伐に先立ち武具を修繕した 「統」 呉の西陵督の張政を破った 「統・武」 捕虜にした呉の兵を解放する策で張政を左遷させた 「知」 呉の討伐を進言した 「知」 進撃させた将たちは次々に呉の城邑を攻略し、全ては杜預の策通り進んだ 「統・知」 呉軍の不意を突き、周旨らに夜の内に長江を渡らせ、降伏させた 「知」 伍延の偽りの降伏に惑わされず、攻撃して勝利を収めた 「統・武・知」 呉が降伏すると各地に晋の官吏を送り、荊州を粛然とさせた 「統・政」 諫言を退け、勢いのままに呉を一気に攻めて降伏させた 「知」 顔にこぶがあるのを揶揄した呉人をことごとく殺した 天下統一が成っても軍事訓練を怠らず、学校を建てて教化にも努めた 「統・政」 山中の異民族を攻め破り、各地の要害に屯営を置いて、治安維持に努めた 「統・武」 灌漑によって田を富ませた。田の区分けを整え、内外に利益をもたらした 「政」 水路のない地域まで長くそれを切り開いた 「政」 馬に跨ることや、弓矢で的を射ることはできなかった 「-武」 人との交流において礼を弁え、人の良く物事を教え、言葉少なく慎み深かった 「政」 『春秋左氏経伝集解』をはじめとする様々な著作や注釈書を著した 「政」 利益は求めなかったが、讒言で害を受けることを恐れ、要人には贈り物を届けた 董允[休昭] ?~246 最高官位:侍中守尚書令、輔国将軍 『三国志』立伝 諸葛亮に公明正大な人物と評価され、宮中の諸事を任された (政) 劉禅に対し常に忠言を尽くし、後宮の人数がみだりに増えることのないようにした 「政」 劉禅に媚びへつらう宦官の黄皓の台頭を防いだ 「政」 諸葛亮の死後、魏延と楊儀は互いに相手が反乱したと上奏したが、董允は楊儀の側を支持した 「知?」 [魏延伝] 葬儀の場で粗末な馬車に乗せられ、董允は戸惑いの色を隠せなかったが、同乗した費禕は平然としていた。董允の父の董和はこれ見て、費禕の方が優れていると判断した 「-政?」 [費禕伝] 仕事と共に遊びも満喫する費禕の生活ぶりを真似ると仕事を渋滞させてしまい、董允自身も能力の差を痛感した 「-政」 [費禕伝] 鄧艾[士載] ?~264 最高官位:太尉 『三国志』立伝 高い山や広い沼地を見るといつも、軍営設置にはどこが適当か測量したり、図形で示したりした。当時の人々からは嘲笑された 「知」 郭玄信に「大臣まで昇る器」と評価された (「政」) 田地に水を引くために運河の開通を訴え、『済河論』を記した。また許昌の田地を廃してその用水を東へ流し、淮水の南北で屯田することも進言した。これらの進言は受け入れられ、軍の船での移動や食糧確保に大きく貢献した 「政」 郭淮と共に姜維の侵攻を防いだ 「統・武」一度退却した姜維が再び来襲することを予測した 「知」 姜維が鄧艾の軍を釘付けにした上で洮城を襲撃することを予測。鄧艾は夜間密かに軍を動かして洮城へ向かい、姜維を防いだ 「統・武・知」 匈奴の去卑を厚遇して劉豹との間でその勢力を2つに割くこと、羌族を教化して中国に同化させることを進言した 「知・政」 意見のほとんどを司馬師に採用された 各任地で荒野を開墾し、軍民とも豊かにした 「政」 敗戦を喫した諸葛恪が呉において誅殺されることを予測した 「知」 治績評価に際し、穀物を人民を豊かにした者を第一に評価するよう進言した 「政」 毌丘倹が反乱すると、楽嘉へ急行し浮橋を作った。後に到着した本軍は本拠を楽嘉に置いた 「統・知」文欽を丘頭まで追撃し、敗走させた 「統・武」 諸葛緒を黎漿に派遣して呉の孫峻らを防ぎ、敗走させた 「統」 狄道で包囲されていた王経を救助した 「統」 王経が敗れた状況から、撤退した姜維の再出撃を予測。要害の地で防ぎ、段谷での決戦でこれを撃ち破った 「統・武・知」 長城で姜維を防いだ 「統・武」 侯和で姜維を破った 「統・武」 蜀に侵攻し、楊欣らを姜維を攻撃させ、彊川口で勝利を収めた 「統」 剣閣を守る姜維を避け、山に穴を開け、谷に橋を架けるなど山野を越えて成都に迫った 「統・知」 鄧忠らに諸葛瞻を攻撃させ、一度敗れても叱咤し、再戦させてこれを撃ち破った 「統」 蜀が降伏しても略奪を働くことはなく、人士を落ち着かせ、蜀の人々から称えられた 「統」 蜀の士人に対し自らの手柄を自慢し、嘲笑された 「-政?」 軍を蜀に留め、このまま一気に呉へ侵攻することを強行に進言し、謀反の疑いをかけられて逮捕された その死後、段灼は鄧艾について、「人の気持ちを軽々しく踏みにじり同僚と協調できなかった」ために弁護を得られなかったものであり、謀反の疑いについては否定し、穀物を蓄積し、軍事力を強化し、蜀を降伏させた等の功績を称えた 西方在任中に長城を修理し、砦を築き、その砦は後世まで官民の防備に活用された 「政」 王経を救援するに当たり、戦勝の勢いに乗る姜維の鋭鋒を避け機をうかがうよう進言するが、陳泰はこれを退け急ぎ姜維の軍を破り、王経を救った 「-知?」 [陳羣伝] 李密を登用しようとしたが、祖母への孝養に務める彼はこれを受け入れなかった [楊戯伝] 陶璜[世英] ?~290 最高官位:冠軍将軍、交州牧 『晋書』立伝 分水で楊稷と戦って敗戦を喫し、配下の将2人を失った 「-統?-武?」楊稷との戦いで敗れ、叱責を受けた後、董元に夜襲をかけて宝物を奪取し、功を称えられた 「武」 交阯で董元と再び戦い、伏兵を看破し、勝利を収めた 「統・武・知」 賊帥の梁奇に宝物を送り、援軍を得た 「知?政?」 董元配下の解系の弟である解象を厚遇し、董元の疑心を誘い、解系を殺害させた 「知」 謀略に長け、困窮者を救い、交州刺史として人心を得た 「知・政」 山越との戦いで苦戦する滕脩に対し、塩と鉄の交易を絶ってから討伐するよう勧めた 「知」 交阯で楊稷らを包囲すると、楊稷は降伏を申し出たが、その家族が処刑されないよう、百日を待ってから降伏するように援助した 「政」 九真で晋に服属した李祚を撃ち破った 「統・武」 代々服属しなかった武平郡などの異民族を撃ち破った 「統・武」 交州牧から転任となると、何千人もの州民が再任を請願した。威厳と恩恵は異民族にまで顕れ、没すると州民は号泣した 「政」 司馬炎が州兵の削減を図ると、交州の風俗と、その統治には兵力が必要であることを訴えた 「統・知・政」交州の困窮を訴え、真珠の徴発を控え、商人を往来させて米と交換できるようにしてほしいと訴えた 「政」 滕脩[顕先] ?~288 最高官位:鎮南将軍、広州牧 『晋書』立伝 広州刺史となり、統治には非常に威厳と仁愛があった 「政」 中央に召還された後、広州で郭馬が反乱すると、同地で民心を得ている滕脩が討伐を命じられた。その任に当たる前に、晋の侵攻に遭い帰還した 「政」 晋に帰順後も広州牧として南方のことを委ねられ、異民族からも支持を得た 「政」 陸凱の遺言において、重用を勧められた人物の一人となった (政) [陸凱伝] 山越の戦いで苦戦したが、陶璜の進言に従い、塩と鉄の交易を絶ってから討伐したことで勝利を収めた [晋書 陶璜伝] 董昭[公仁] 156~236 最高官位:司徒 『三国志』立伝 袁紹の布令文を偽作し、鉅鹿郡を騒がせていた孫伉らを斬って、郡を安定させた 「知・政」 魏郡の賊の使者を厚遇し、利用して賊の間に仲間割れを起こした。そしてその隙をついて襲撃し、大勝を収めた 「統・武・知」 曹操を「天下の英雄」と評し、張楊に手を結ぶよう進言した 「知」 楊奉に書簡を送り、曹操を鎮東将軍に取り立てさせた 「知・政」 楊奉を騙し、許昌に遷都するよう進言した 「知」 薛洪と繆尚を説得し、降伏させた 「政」 劉備に袁術を攻撃させた曹操を咎めた 「知」 魏郡太守の袁春卿に書簡を送り、降伏を促した 「政?」 曹操が烏丸を征伐した際、平虜と泉州に運河を掘って輸送路を通すことを建策した 「政」 五等級の爵位制度の復活を建言した 「政」 曹操を魏公、魏王に推戴した 「政」 樊城の戦いの際、孫権が関羽の領地を攻めることを、樊城にも関羽にも知らせるよう進言した 「知」 曹休が江南を攻めた際、臧覇が進軍しないことを予測した 「知」 夏侯尚が一本の浮橋を頼りに長江の中洲に進入した際、その危うさを指摘した 「知」 徒党を組み、仲間褒めをし合っている若者を批判する上奏を出した 「政」 唐彬[儒宗] 235~294 最高官位:前将軍、領西戎校尉、雍州刺史 『晋書』立伝 国を治められるほどの大きな気宇があったが、品行にはあまりこだわらなかった 若くして弓馬に長け、狩りを好んだ。走力は鹿に匹敵し、力の強さは人に勝った 「武」 経典や史書について学び、特に易経に詳しかった、師に従って学問を修め、郷里に帰って門徒数百人に教授した 「政」 魏には呉を併呑する力があると論じ、呉の討伐に消極的な主張に反論し、その論を王沈に称えられた 「知・政」 忠実、公正かつ謙虚で、諫言にあたっては人前ではなく密かにそれを行った 「政」 相国府に赴くと、その属僚たちはそろって唐彬の才を称賛し、属僚の一員とするよう推薦した (政) 陳騫は司馬昭に「唐彬の人となりは私より遥かに勝っています」と述べた (政) 相国府に辟召されると、司馬昭に何故抜擢を受けたと思うか問われた。唐彬は自らの長所を述べ、その言葉を司馬昭に称えられた 「政」 鄧艾殺害後の情勢を見て、それを不満に思い反乱が起きるようなことはないと判断、報告した 「知」 鄴県令となると、徳によって人士を導き、礼によって世を整え、1ヶ月で教化の成果が表れた 「政」 弋陽太守となると、禁令や防備を整えて人々を安心させた 「統・政」 監軍の候補として唐彬と楊宗の名が挙がると、文立は「どちらも失敗することはないでしょうが、唐彬は財、楊宗は酒を好みます」と述べた。司馬炎は財欲の方が満たしやすいとして唐彬を用いた 呉討伐の策を上奏し、司馬炎の意に適った 「知」 呉討伐に際して王濬軍の先鋒となり、疑兵を用いるなど臨機応変の策をもって勝利を得た。西陵、楽郷を陥落させると多くの捕虜を得た 「統・武」 孫皓の降伏を悟るとそれ以上の功は争わず、病と称して進軍を止めた。人々はその謙虚さを称えた 「政」 朝廷で論争が起こる度に、それに参与した 「政」 北方に赴任すると農業を奨励し、兵を訓練し武器を整備し、威信と恩信を示した 「統・政」その威信に服し、鮮卑の二人の部族長が子を送って入貢した 学校を作り、仁愛を広めた 「政」 放棄された旧領を開拓し、千里にわたる地を回復した 「政」 長城の砦に軍を分けて駐屯させ、守りを固めた 「統」 辺境は安定し、漢魏以来の四征四鎮将軍の中で、これほどの成果を挙げた者はいないほどだった 鮮卑が反乱すると、上奏して返事を待っては賊が逃散することを恐れ、独断で準備を進めた。罪に問われ召還されたが、事に至った理由が正当だったため許された 河北の人々はその徳を称え、唐彬の生前から石碑を築いた 「政」 高潔な処士を臣下扱いしないよう官職に任ずることなく、ただ招き寄せて談義を交わした 「政」 コメント欄 名前
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/55634.html
登録日:2024/01/26 Fri 12 30 00 更新日:2024/09/02 Mon 13 51 17NEW! 所要時間:約 25 分で読めます ▽タグ一覧 ザクⅠ プロヴィデンスガンダム 三国志 三国志を代表する暴君 三国演義 中国史 何故かなかなか立たなかった項目 動けるデブ 呂布 外道 太師 尚父 暴君 梟雄 残忍 涼州 羌族 群雄 董卓 蝋燭 貂蝉 遷都 董卓(とうたく)とは、いわゆる「三国志」の人物。 字は仲穎。 後漢末期の朝廷を牛耳り、その暴政によって後漢朝廷の権威を破壊し尽くし、群雄割拠の幕を開けたことで知られる。 【生涯】◆前歴・西方の名将 ◆黄巾の乱 ◆中央への進出 ◆帝都専横 ◆反董卓連合 ◆長安での暴虐 ◆最期 ◆天下定まらず 【人物】 【三国演義】 【各作品】 【余談】 【生涯】 ◆前歴・西方の名将 出生は涼州は隴西郡の臨洮県。 西方も西方なため、漢族と異民族(おそらく羌族)の混血と思われる。 生年は不明だが、 192年時点で母親が九十代だった(100年頃の生まれ?) 董卓本人は次男 息子の一人が171年生まれだった 孫娘が190年時点で14歳ぐらい(176年頃の生まれ?)その孫娘の父親は156年頃の生まれ? と言うことから、ざっと西暦120~130年頃と想像できる(*1)。 生まれついての怪力の持ち主で、さらに武芸にも励んだため、非常に強かった。 特に馬上の弓術に長けており、右手でも左手でも同様に引けた、つまり両利きになるよう鍛えた。 若いころにはよく羌族の居留地へと遊びに行き、羌族の豪傑たちとも親交を結んだ。馬術や弓術に長けていたことも、彼らから一目置かれる要因となっただろう。 董家自身は土地持ちの豪族であり、農耕にも励んでいたのだが、羌族の代表が訪れると、農耕に必要な牛を必ず屠殺してもてなしたため、彼らからは非常に慕われた。 おかげで董卓は、羌族にも顔が利き、頻発していたトラブルを解決できるということで、漢族における顔役になっていった。 そうなると周囲も放っておかず、隴西郡太守や涼州刺史、并州刺史といった地方官にも目を掛けてもらい、騎兵隊を預けられて、このころ頻発していた紛争の鎮圧に活躍した。 ある任務では略奪激しい胡人の一団を討伐し、数千もの胡人を討ち取った。 その活躍は後漢朝廷にも聞こえ、桓帝末年から朝廷にも抜擢される。 167年には護匈奴中郎将・張奐の配下で軍司馬となり、漢陽の羌族を討伐。 董卓は武術のみならず作戦立案能力でも優れたところを見せ、彼の補佐を得た張奐軍は一万以上の羌族を捕殺し、さらにその族長をも討ち取って、以後羌族は董卓の存在を恐れ、反乱を起こさなくなった。 大戦果を挙げた董卓は張奐からも讃えられ、郎中に昇進して上質の絹を九千匹も下賜されたが、董卓はそれら褒賞を全て部下に分け与えたため、部下からも強く慕われた。 以後は各地の地方官を歴任。 県令・郡都尉・西域校尉などを務め、一時免官となったがやがて復帰し、并州刺史や河東郡太守などにもなった。 いずれも異民族との最前線で、董卓は常に戦功をあげたという。 ◆黄巾の乱 184年には「黄巾の乱」が勃発。 董卓は後漢朝廷から中郎将に任命されて黄巾賊討伐を命じられるが、山岳地帯での異民族との経験は、平地での漢族への戦いには活かせなかったようで、失敗して免官されてしまう。 しかし翌185年には、今度は涼州で、韓遂・辺章が羌族も引き込んだ大規模な反乱を起こす。 後漢朝廷はこれに対処すべく、黄巾の乱を鎮圧した名将・皇甫嵩を司令官とする討伐軍を組織。 さらに「羌族相手ならこの男」ということで、董卓も中郎将に復職し、韓遂討伐軍に参加した。 だが皇甫嵩は苦戦し、また後漢朝廷を牛耳る宦官・十常侍に嫌われていたため、彼らの讒言・裏工作によって罷免されてしまう。 代わって朝廷は司空・張温を車騎将軍に任じ、援軍を兼ねた第二次討伐軍を組織。186年になっている。 董卓は皇甫嵩免官後も前線に残っており、破虜将軍に昇進しながら戦闘続行。 敵地に孤立するなど苦戦しながらも、川などの地形を生かして見事な用兵術を見せつつ羌族を翻弄し、時には反乱軍に痛撃を与えた。 なおこの討伐隊、第一次から董卓に加えて陶謙も参加しており、さらに第二次には孫堅も武将として加わっている。 さらに第二次隊には後詰で公孫瓚も合流予定であり(部隊編成中に幽州で反乱がおきたため、涼州への合流は断念)、三国志初期を彩る豪傑が揃い踏みした極めて豪華な布陣だった。 最終的に韓遂・辺章は撤収したが、張温軍も作戦目標を果たせず敗退。 張温麾下の六個大隊のうち五個大隊が大損害を出したが、ただ董卓の大隊だけはほぼ無傷だった。 そのため、戦後も董卓隊は防衛のため扶風郡に駐屯、斄(り)郷侯となり一千戸の領邑を受けた。 二年後の188年には、韓遂・辺章が再び逆襲。 董卓は今度は前将軍として、左将軍・皇甫嵩の麾下でこの反乱軍を迎撃し、ついにこれを打ち破った。 しかしこの戦いでは、上司の皇甫嵩は董卓の立案した作戦をすべて却下し、董卓が反対するところの作戦を用いて、韓遂軍を撃滅したため、戦功はほぼすべて皇甫嵩に帰し、董卓が不快になったという。 188年には少府に任命されるが、そのためには兵権を手放さねばならず、董卓は「いま任地を去れません」と拒絶。 朝廷の人事に逆らうというのはかなりの大事ではあったが、もはや黄巾の乱以来腐敗しきってしまった後漢朝廷に、彼を粛清するだけの力はなかった。 朝廷は翌189年に再び「并州の州牧に任ずるから兵権を皇甫嵩に譲れ」との辞令を出すが、董卓はこれも拒否してしまった。 ◆中央への進出 ところでこの189年、元号では中平六年、後漢朝廷では内宮まで巻き込んだ大乱が起きていた。 後漢はかねてより宦官の専横が問題となっており、特にこのころには大将軍何進を筆頭とした官僚たちと、いわゆる十常侍を中核とした宦官たち、およびそれに与する一部官僚で一触即発の状態だった。 そして何進がよからぬ策謀を立てる。各地の軍閥将軍たちを招き寄せ、その戦力で宦官たちを威圧して一気に勝負をつけようとしたのだ。 董卓も何進の招集命令を受けた。 しかし董卓は「いったい何のつもりだ?」と疑いを挟んだようで、とりあえず軍を率いて洛陽には向かったものの、その兵はわずか3000に絞り、さらに到着しても洛陽郊外にて軍を止めて様子をうかがっていた。 その様子見のあいだに、何進が宦官勢力によって暗殺されてしまう。さらにその事件を「大将軍暗殺は国家への反逆」と言い返した袁紹らのクーデターによって、宦官も滅ぼされてしまう。 それでも十常侍首領・張譲は皇帝である劉弁(少帝)と弟の劉協を連れて洛陽を脱出したが、その張譲らが、たまたまそこにいた董卓の軍に出くわしてしまう。 張譲たちは観念して自殺したが、遺された皇帝兄弟は董卓の手中に飛び込んだ形となった。 思わぬ宝が手のひらに転がってきた。 幼いといっても現役の皇帝である。それを期せずして救出し、擁立する形となった董卓は、しかも後漢朝廷の実権を握っていた何進と宦官が滅んだのに付け込んで、朝廷の権力を一手に握ることになった。 しかし、都に連れてきた軍は3000ばかり。 これでは、董卓と同時期に入ってきた将軍たちに位負けしてしまう。いやせっかくの皇帝兄弟を武力で奪われる危険がある。 そこで董卓は、とりあえず3000の兵を洛陽に入れると、夜になるとこっそり城から出し、翌日に「并州から来た援軍」として再入城させ、それを何度も繰り返すことでいかにも「大軍を揃えている」と偽装したという。 もちろん、偽装だけで済ませるわけにはいかない。ばれてしまえば元の木阿弥だ。そしてばれるのは時間の問題である。 しかし偽装でも、時間稼ぎにはなる。その時間稼ぎをしているあいだに、董卓は素早く立ち回った。 まず、何進や何苗(何進の弟だが宦官側についていたため、袁紹のクーデターで殺された)の軍が、指揮官不在で遊んでいたのに目をつけ、弟の董旻(*2)を後任の指揮官として何氏兄弟の兵力を吸収。まずは数の不足を補った。 ついで、董卓と同時期に洛陽に招集されていた丁原の家臣呂布にも狙いをつける。 彼は丁原の配下だった呂布を説得、丁原を暗殺させてその軍勢、そして呂布を吸収し、量のみならず質の面でも不足分を補った。 さらに時間を稼ぐうちに、并州から呼び寄せた本物の董卓直属の援軍も到着。 董卓の軍事力=権力はひとまず盤石となり、好機到来と見た董卓は博打に出る。 ◆帝都専横 権力を揃えた董卓は、さらに権威をも得るべく、皇帝をすげ替えるという挙に出た。 先のクーデターで、董卓の手元には劉弁(少帝)と劉協の兄弟がいる。皇帝なのは劉弁だが、彼は何進ら朝廷の大臣たちに擁立されたのであり、董卓の手駒ではない。 つまり政治情勢によっては、朝廷の大臣たちに奪い返される公算が高いということだ。 逆に、董卓が皇帝を擁立すれば、董卓の権威は「皇帝の後ろ盾」ということになり、大臣たちがどう画策してもまず奪い返されることはない。 そして個人レベルでは、子供二人のどっちが皇帝でも変わりはしない。 (劉弁よりも劉協のほうが聡明だったから……と言うのもよく言われるが、二十歳にもならない子供を並べて「どっちが聡明」などとまともに論じる方がおかしい。ただの口実だろう) 諸々考えた董卓は、「伊尹の故事」を口実にあっさりと少帝劉弁を廃して劉協(献帝)を皇帝に擁立。さらに劉弁とその母・何太后を暗殺して、ついに朝廷の実権を掌握した。 まず董卓は太尉・前将軍の官位と郿侯の封号を獲得。しばらくしてから官位を「相国」に進め、一族全員にも官位や封号を与えた。老いた母や、まだ少女と呼べる年齢であった孫娘の董白(*3)といった、本来ならとても官位や爵位につけない人物にも何かしらの称号を与えている。 宮廷においては「皇帝に拝謁しても名乗らずともよく、剣を帯びたまま殿中に登れる」という建国の元勲並みの特権を獲得。 さらに精鋭部隊を駆使して、国家の宝物を略奪したり、刑罰を勝手に発してわずかな恨みにも報復したりと、暴虐の限りを尽くした。 あるとき、軍を率いて陽城に来たところ、現地住民がたまたま祭りを行っていたのを見るといきなり攻め込み、男は殺して女は拉致し、牛や車や財産も略奪して、しかも「賊徒に天誅を与えた」と放言して「凱旋」した。 後宮に忍び込んでは宮女や公主(皇族女性)と姦通したともいう。 これら首都圏における暴虐に対して、一方では董卓はそれなりに覇者らしいこともやっている。 まず天下の人脈を得るために、かつて「党錮の禁」で宦官に弾圧された、陳蕃・竇武・李膺らと、彼らの系譜を継ぐ「清流人士」の冤罪を解除し、名誉を回復させた。 荀爽・蔡邕といった面々に相談のうえで、各地の太守・州刺史などに人員も派遣している。荊州刺史の劉表などもこの時の推薦された者たちだ。 少帝廃位・献帝擁立の一件で、袁紹たちが董卓と決裂して渤海へと立ち去ると、当初董卓は彼らを追討・処刑しようとしたが、 配下の伍瓊・周毖らの諌止と進言があって、袁紹を渤海太守に、張邈を陳留太守に、韓馥を冀州刺史に、孔伷を豫州刺史にするなどして、袁紹と彼の一派(あるいは故何進一派)を懐柔しようとした。 ◆反董卓連合 ところが190年、董卓に反発する勢力が「君側の奸・董卓を討つ」を大義名分として、独立するとともに連合して反旗を翻した。 しかもその主力となった面々が、先に董卓が「懐柔のため」地方官に抜擢した、袁紹・張邈・韓馥・孔伷たちだったため、董卓の受けた衝撃は大きかった。 董卓はまず、彼らを推挙した伍瓊・周毖らや、洛陽に残る袁一族などを全員処刑(内応の予防や、反乱幇助の罪を問うたもの)したうえで、 いきなり洛陽から長安への「遷都」を強行する。この少し前に娘婿の牛輔が河東郡で白波軍に大敗したことも「不利」と思わせる遠因となったらしい。 ただしいきなり逃げを打ったのでなく、長安遷都を強行する軍とは別に、主力軍には洛陽から東に進撃させ、反董卓連合を各個撃破するべく打って出る。 まずは河内太守の王匡の軍を河陽津にて迎撃、陽動を駆使した見事な攻撃でこれを壊滅させる。 また配下の猛将徐栄に兵を与えて、まずは滎陽県にて曹操・鮑信の軍を、次いで梁県にて孫堅の軍を破り、反董卓連合の主戦力を打ち負かす。 この董卓の強固な反撃に反董卓連合の諸侯は恐れ、かつまた彼ら自身そんなにやる気がなかったこともあって、ほとんどの諸侯は後方に下がり動かなくなった。 そんな中、南方に展開する袁術が、敗走したあ孫堅軍に補給を与え、再建させる。 董卓軍は孫堅討伐のため、胡軫と呂布に一軍を与えて派遣したが、指揮官同士の内紛に加えて孫堅が猛攻を掛けたため、軍は破れて華雄が戦死。 孫堅・袁術の勢いを恐れた董卓は、「遷都強行」で荒れていた洛陽に火を放ちつつ、すでに先行していた遷都部隊を追うようにして長安へと去っていった。 この董卓の長安遷都は、一石二鳥を狙った戦略である。 まず、董卓の本拠は涼州にあり、洛陽は遠いが長安ならほど近い。 また長安は反董卓連合の参加諸侯にとっては距離がありすぎ、追撃しようにも補給が厳しい。 つまり董卓の軍を増強しつつ地の利も得られ、逆に反董卓連合の矛先を逸らして戦意をなまらせることができるわけだ。 それに董卓は、涼州での山岳戦には強いが、どうも平地の戦いは得意ではなかったようである。黄巾党にも敗れているのだ。 結局、董卓に逃げられた反董卓連合は、戦略目標と大義名分を見失ったことで、すでに衰えていた団結力をますます失い、諸侯同士の内紛が多数勃発。 自然連合は空中分解し、求心力を発揮していた袁術と袁紹がそれぞれの派閥を構築するようになる。 ◆長安での暴虐 長安に合流した董卓は、連れてきた大臣たちを束ねてとりあえず「朝廷」を作り上げると、献帝を擁立して実質的に君臨する。 自分の階級は「太師」とし、太公望よろしく「尚父」と呼ばせ、服飾や馬車、邸宅などの様式は皇帝と同じ形式で揃え(*4)、閣僚の任免も政庁ではなく自分の屋敷に呼びつけて辞令を発するようになる。 皇帝と名乗っていないだけで、もはや実質の皇帝であった。 暴虐も相変わらずで、捕虜を斬殺したうえに死体を料理にして会食に振る舞わせたり(*5)、かつて恨みのあった張温(*6)を殺害したり、新任した司隷校尉に長安内部で恣意的な摘発と賄賂の収奪をやらせたりと、それはもうやりたい放題。 銅貨の五銖銭を廃止して粗悪な銅貨を発行したために、貨幣価値が乱れて食料の値を暴騰させたりもしている。 また、長安を離れること260里(約100km)の郿県に、自分の塢(砦)を作っている。 いわゆる『郿塢(びお)(*7)』だが、その規模たるや「高さは長安の城壁に迫り、食料は三十年分を抱え込む」「黄金は三万斤、白銀は九万斤、碧玉・錦絹・財宝は山のごとく、総数計り知れず」というほどの規模で、仮に天下に敗れてもここに籠城するだけで、死ぬまで安泰、と豪語したという。 公孫瓚「なるほど」 ……しかし「天下の皇帝」を気取るはずの董卓が、首都から遠く離れた場所にこんな城を作るというのは、意外と気が小さかったのかもしれない。 また、董卓は長安内部でこそこのように「絶対権力者」として思うがまま振る舞っていたが、長安・関中から離れて関東に目を向ければ、もはや地方官への統制は完全に失われていた。 いや、何もしていなかったわけではなく、配下の李傕、郭汜、張済、牛輔、といった面々を各地に派遣し、陳留郡や潁川郡を攻撃したり、中牟にて河南尹の朱儁を撃破したりはしている。 しかし、「董卓に擁立される献帝など、後漢皇帝としては認めない」とする袁紹や袁術たちが、州牧・州刺史・郡太守・県令などの各地の長官たちを束ね、果ては勝手に「任命」している状況では、董卓政権が発する辞令も、効果はほとんどなかった。 ◆最期 さて、長安でかくのごとく「暴君」として振る舞う董卓だったが、こんな政権が長続きするわけもなく。 暴君の死を狙うものは、天下にいくらでもいた。 長安において董卓は司徒の王允と、侍中の蔡邕、そして側近の呂布を信頼していたのだが、その王允と呂布が結託して董卓の暗殺を謀るのである。 呂布の場合、かねてより董卓付きの美貌の侍女と密通しており、これが発覚すれば董卓から憎まれて消されることを恐れていた。 さらに董卓は少し前に、呂布のちょっとした口論にいきなり激怒して戟を投げつけ、呂布が間一髪避ける、という一幕があった。 呂布と董卓は、いつしか「殺さなければ殺される」関係となっていたのだ。 その亀裂を、王允は見逃さなかった。 (ちなみに王允は并州は太原郡の祁県の出身で、呂布は并州・五原郡・九原県の出身。距離はかなり遠いが、州レベルで言えば呂布とは「同郷」となる) 192年、献帝の病気が快復したため、董卓も快気祝いに拝謁することとなる。 呂布は同郷の李粛と協力して、出迎えの衛兵を自身の私兵にすり替え、董卓が到着したところを李粛隊が襲撃。 董卓が護衛の呂布を呼んだところで、出てきた呂布が満を持して「これが勅命だ」と宣告し、驚愕した董卓を一撃で殺害した。 晒し者にされた遺体に蠟燭を突き立てたところ、元々肥満体だったため数日間燃え続けたと言われる。 また、死者への扱いとしてあまりにも忍びないため、彼を慕っていた臣下達が密かに葬儀を執り行ったが、天の怒りか暴風雨で墓はたちまち破壊されてしまったという逸話がある。 直後、王允を中心とする一団が軍を率いてクーデターを起こす。董卓に滅ぼされた袁家の縁故者など、多くの人員が彼らに呼応した。 まず彼らは軍を率いて郿塢に殺到し、董旻をはじめとする董卓の一族を老若男女の区別もなく皆殺しにした。董卓の九十歳になる母親も殺害されている。 郿塢に蓄えられた金銀財宝も、殺到した兵士たちに略奪される。 次いで董卓に引き立てられていた官僚・武将・人士などもことごとくが捕えられ、リンチ同然に投獄・殺害された。 ……そしてこのとき殺害された中には、高名な学者の蔡邕もいた。 蔡邕は董卓に抜擢され、かつ篤く信任されていたため、董卓誅殺を聞くと嘆き悲しんだ。 (董卓に心服していた、というわけでは必ずしもなく、彼の独善と、自分の諌言が通じないことから、逃げようとはしていたが、結局果たせなかった。ただ、それはそれとして、厚恩を受けたことは事実としていたのである。ちなみに、晋の名将・羊祜は、蔡邕の孫にあたる) しかし「董卓誅殺を嘆き悲しんだ」ことを知った王允は激怒し、蔡邕の謝罪や周囲の弁護も聞き入れず殺害。これで王允を見限る者も多く出た。 また王允は、呂布を初めとする武将たちにも露骨に見下げる態度を取り、呂布からの「接収した財物を将兵に分配して、彼らの心をこちらに傾けさせなければなりません」という珍しく真っ当な進言も拒絶している。 さらに、李傕や郭汜といった長安にも郿塢にもいなかった董卓の残党に対しても、「許してやって味方に加えましょう」という呂布の本当に真っ当な進言を無視して必ず皆殺しにしてやる、と決意していた。 いや、単に決意するだけならいいが、彼の場合、そうした意向を強く表明してしまったことが、問題となる。 ◆天下定まらず 董卓は死んだが、李傕・郭汜を筆頭とする董卓残党はいまだ存在している。 そして李傕たちは、王允が董卓残党を決して許さず皆殺しにする覚悟でいることを知ると、参謀の賈詡の諌言もあって、開き直っての徹底抗戦を決意。 対する王允は呂布・李粛・徐栄・胡軫・楊定といった、味方に付いた元董卓配下を動員して戦わせたが、肝心の王允が狭量で人望がなかったため(*8)に胡軫や楊定たちが離反、李粛と徐栄は戦死して呂布も敗退するという惨敗を喫する。 そのまま長安に入城した李傕たちによって、王允を初めとする朝臣は多くが殺され、あるいは逼塞した。 この李傕政権によって、ついに後漢朝廷は自立した組織としては消滅する。 その後も献帝は曹操のもとに逃げ込み、大義名分としてはそれなりの効力を発揮するが、もはやそれは「後漢朝廷」としてではなく「中原曹操政権」の一要素に過ぎなかった。 董卓残党も、内紛や同士討ちで四分五裂。 董卓の娘婿・牛輔は部下に殺され、実力者・樊稠は李傕に殺され、相棒だった李傕と郭汜が仲違いを起こして勢力を二つに割り、同じく実力者・張済は飢えて荊州に落ち延びて戦死……と、ゴダゴダを起こしまくって自然崩壊した。 董卓・李傕・郭汜らの暴走や暴虐により、長安一帯の人口は大きく減ったという。 【人物】 「三国志」を代表する暴君として知られている。 皇帝を殺して国を私物化したことから、後世では秦の趙高、前漢(新)の王莽に匹敵する悪臣として挙げられることが多い。 董卓が権力を握った期間はたった三年であるが、庶民にも士大夫層にも閣僚クラスにも等しく暴虐を振るい、また皇帝廃立によって後漢王朝の権威も衰えさせた。 「三国志」魏書では曹一族と各王妃の紀伝の次が董卓伝(董二袁劉伝(*9))となっており、「後漢末期の乱世はこの男に始まる」と言わんばかりの体裁をしている。 董卓の暴虐については「過去の暴君のテンプレ像を応用しただけで、実はそこまで暴君ではなかったのでは?」と言う異論もよく提起される。 + 特にモデルと思しき人物 特にモデルと思しき人物としては、孫呉末期の孫峻と孫綝が挙げられる。 孫峻は「廃位された元皇帝の殺害」「多くの大臣・官僚への殺戮」「幼帝(孫亮)を傀儡とする」など、孫綝とは「皇帝廃立を行う」「自身がクーデターで殺される」など、それぞれ董卓と似た逸話がある。 陳寿は三国志編纂に当たって孫呉の資料(特に孫呉政権が作った「呉書」。滅亡寸前まで編纂が続けられていたという)を参考にしているし、元孫呉政権の人物で存命中の人々にももちろん取材しただろう。 また、董卓は陳寿が三国志の編纂を始めた時期から百年も前に死んだこと、董卓死後に長安が崩壊したこと、献帝や官僚たちが長安から許昌へと逃げたこと(=資料を持ち出す余裕もなかったこと)などから、董卓に関する正確な歴史資料が陳寿のところにどれほど残っているかも疑問。 そうなると「董卓の具体的な暴虐像」に、陳寿たちが知りうるもっとも身近で生々しく知りうる「暴君」として孫峻と孫綝の逸話が引用された可能性は大いにありうる。 実際、ある程度の誇張はあったのだろう。後の魏の始祖である曹操は、本来漢王朝の臣下である。そんな彼が漢王朝の命令を無視して独立行動を開始したのは、「反董卓連合」に参加してからであった。 つまり「始祖・曹操が漢王朝に謀反を起こした」と言う歴史的事実を「始祖・曹操は董卓打倒のために義兵を起こした」と粉飾する必要があり、そのスケープゴートとして、董卓は「暴君」として利用された、とすることはありうる。 また彼は明らかに異民族文化圏の出身であり、中原の儒教文化圏で生まれ育った士大夫層が、董卓という人物の存在そのもの(あるいは彼が自然に放つ異民族らしさ)に激しい嫌悪感を抱いたことも充分考えられる。 実際、董卓には「敵は武力で片付ける」という行動パターンが多い。その「敵」になるなら士大夫や同僚、名門貴族でも「武力殲滅」一辺倒なので、異民族との戦場における思想パターンをそのまま政界に持ち込んでしまった感もある。 一方、同じく憎んでいた皇甫嵩に対しては、彼が頭を下げると許してやったという話もある。元々皇甫氏自体涼州出身の名族であったため、許す気しかなかった可能性もある。 (董卓は殺そうとしたが、皇甫嵩の息子が董卓と親しく、彼が弁明したため助かった、という話もある) 「敵と見なせば武力殲滅一辺倒」だが、逆に「手下と見なせば優しい」という描写も結構ある。 若いころの異民族社会にいたころの逸話や、涼州時代の受け取った部下たちへの褒賞品の分配などは彼の支持・人望を大いに高めた。 長安時代にも、司馬懿の兄・司馬朗が董卓の元から逃げようとして捕まった際には「お前は、去年死んだわしの息子と同い年ではないか。なぜわしを見放すのだ」とまるで子供のように見ていたらしい発言も記録されている(*10)。 死後も、少なくとも李傕は董卓の神像を作って祀るという奇行敬意の表明をしている。 まあ呂布に対しては董卓から刃物を投げつけて離反されたので、必ずしも部下に丁寧だったというわけでもなさそうだが…… ただ、董卓の「暴政」について「長安への遷都強行」と「悪質貨幣の流通による経済の破壊」は、独特かつ具体的。 つまり少なくともこの二件は事実で、そして強制疎開された(農地や生活基盤を奪われた)あげくに貨幣も使えなくなった庶民への被害は相当だっただろう。 「皇帝廃立」も、「少帝と何太后が董卓の執政と同時に偶然に病死した」とは考えにくいため、やはり董卓が主導権を握るために実行したと考えるのが自然。実際、現役皇帝を廃位するかはともかく、新君主を擁立して臣下が権力を握るというのは歴史上よくある手である(*11)。 董卓死後の、幹部たちの内紛と李傕・郭汜の暴走や暴虐も相当事実を反映しているとみられ(*12)、幹部たちの質も大概であったと思われる。 配下の兵たちも首都圏・遠方を問わず好き勝手していたようだ。その意味でも董卓の責任は免れそうもない。 外交面では官位を送っていろいろと画策するのだが、ほとんど成功していない。 袁紹たちには早々に離反されるし、公孫瓚や陶謙なども結局は董卓のために何かをすると言うことはなかった。 「董卓は呂布に殺されるまで誰も止められなかった」と言う評もあるが、むしろ権力を握ってからたった三年で仕留められたとも言える(*13)。 しかし「後漢滅亡の大戦犯」かというと、それは違うだろう。 董卓が政権を獲得する前から、後漢帝国はすでに手遅れだった。 184年の黄巾の乱をはじめ、185年の韓遂・辺章の反乱、187年の張純・張挙・丘力居の反乱は、董卓とは無関係である。彼は189年まで、後漢朝廷の政治には関わっていない。 いやそれ以前に、霊帝の売官政治や宦官の跳梁跋扈などは、皇帝・官僚・宦官を中核とした、後漢朝廷の腐敗と堕落の結果である。 なんでも「三公のうち太尉段熲・司徒崔烈・太尉樊陵・司空張温は、いずれも1000万銭から500万銭でその地位を買った」とのことで、しかもこの官職を売ったのはほかならぬ霊帝だった。 つまり「皇帝がカネで官位を売り、官僚もカネで地位を買っていた」わけで、そりゃあ後漢も乱れるというものである。 袁紹たちの反董卓連合は、「董卓の擁立した献帝を認めない」ということを標榜して、後漢朝廷そのものの権威にも反発したわけで、むしろこれを以って後漢の滅亡と言えなくもない。 とはいえその袁紹たちにしても、もはや後漢王朝は政府として機能していない、という認識だったのだろう。つまり仮に董卓が台頭しなくても、いつかどこかのタイミングで、袁紹・袁術・曹操たちは自立していったと思われる。 それこそ、董卓の台頭以前から、劉焉が遠い巴蜀で皇帝然として振る舞っていたように、である。 「董卓が後漢滅亡の元凶である」というからには「董卓が現れなければ後漢は滅びなかった」と言わねばならない。 しかし、仮に董卓が歴史に現れなくても、数年は伸びたかもしれないが、いずれ後漢帝国は崩壊したであろう。 とすれば、董卓はあくまで「後漢崩壊の数ある要因の一つ」に過ぎず、決して無関係ではないものの、直接原因とまで過大評価するほどのものでもないだろう。 まあ、彼が執政をしても漢王朝は衰える一方だったので、彼が後漢王朝を再建する名臣になり得る男だった、あるいは暗殺さえなければ新しい王朝を築ける男だった、ということも、絶対にないと言えるが。 ただ董卓の死後に乱世が巻き起こったことについて、陳寿は「王允がクソなせい」と吐き捨てた一方、裴松之が「ゴミは涼州閥を開き直らせた賈詡だよ」と史家でも対立が起きている。 また、陳寿がこうした悪行を史書に大々的に書いたことについては、曹操・劉備・孫堅・袁紹の共通の敵であったのみならず、陳寿と同時代に皇帝弑逆という大罪を行った人間……すなわち賈充に対する口撃だった可能性もある。 大本となる皇帝の司馬昭は三国統一前に亡くなったが、賈充は健在だ。董卓のように武勇に秀でてはいないが、晋建国の功臣かつ司馬昭の子で皇帝の司馬炎に気に入られ、政治を専断している時の権力者でもあった。 しかして賈充自身の代では何も起きなかったものの、その死後に起きた八王の乱で賈氏は董卓と同様三族皆殺しで与していた者も処刑と相なり、その後も内紛がダラダラウダウダ続く。その結果として晋という国を三国統一後僅か30年余りで終わらせ、群雄割拠の新たな乱世にしてしまっている。 【三国演義】 案の定徹頭徹尾暴君。 「かつては族長たちと親しく、部下には優しかった」と言うシーンはカットされ(*14)、暴虐シーンだけが残る。 また、黄巾の乱では黄巾賊に敗れて逃げるところを劉備・関羽・張飛らに助けてもらうが、三人が無位無冠の義勇兵と知るとさっきまでの感謝を忘れて追い払うと言う、酷薄な面も描かれる。 (でも主人公が悪の大ボスと直接対面するという、展開としてはかなりおいしいイベント) 袁紹のクーデターと宦官の悪あがきで宮廷から出てしまった少帝・献帝を救出すると、少帝を廃して献帝を擁立し、以後洛陽で暴虐の限りを尽くして反董卓連合を起こされるのは史実通り。 曹操からは七星剣で命を狙われるが、タイミングの良さもあって七星剣をせしめて生き延びる。 最後は王允の「美人計」により、貂蝉の色香に迷って呂布に殺される。 貂蝉を差し向けたのが王允というのは演義オリジナルだが、呂布が董卓の侍女と密通していたことや、董卓が呂布に短剣を投げつけたこと、その件を相談された王允が暗殺計画に呂布を引き込んだことなど、史実由来のエピソードも多い。 部下には悪辣な軍師として李儒(娘婿でもある)が登場。李儒は史実でも「廃位された少帝を暗殺した」ことで知られる。「皇帝弑逆の片棒を担いだ」と言うことで大幹部に抜擢されたのだろう。 李儒は「丁原が連れている呂布を見て董卓の怒りを鎮める」「呂布の勧誘に、董卓の秘宝・赤兎馬を差し出すという李粛の策に同意する」「洛陽を捨てて長安に逃げるよう進言する」などさまざまに献策。 特に赤兎馬を差し出す際には、李粛の進言には決断できない董卓も李儒の「天下と馬、どちらを取りますか」というさりげない名言を聞いてついにうなずくという、信頼の厚さも見せていた。 しかし、王允・貂蝉の「美人計」も見抜いたのだが、女の色香と若い男への嫉妬に狂った董卓は初めて李儒の進言を拒絶。 李儒は絶望するものの逃げずにとどまり、最後は連座で殺されるという、悪人ながらも忠誠心を見せた(*15)。 董卓自身、呂布への出動を命令したら自薦してきた華雄の出撃を認めたり、劉備三兄弟に敗れた呂布をとがめなかったりと、李儒への信頼も含めて、部下への扱いは良かったりする(貂蝉に会うまでは、だが)。 【各作品】 どの作品でも「序盤の大ボス」「倒すべき巨悪」として大抵最初の目標とされている。 容姿は史実から肥満体だった事もあり恰幅良くされがちだが、単なるデブではなく「魔王」としての威厳と威圧感を持った巨体という風に描かれることが多い。 他、妙に欲望に忠実なキャラクターにされがちであり、特に女性に目がない。 しかし「戦い」を主体とする三国志ゲームにおいては文武両道の董卓と武力最強の呂布、そうでなくても武に優れる華雄や徐栄、知略に長ける李儒や賈詡などが序盤に来てしまうということで構成を悩ませたりする。 安能務版「三国演義」 洛陽から長安に遷都し、しかも都から離れたところに郿塢を作ったことについて「天子を擁立して天下を取るだけの野心や器量がなく、逃げ込むところを欲した」「本人の力量は地方軍閥が限界で、僥倖で朝廷を牛耳ったが、実力で得たのではないため本能的に不安がっていた」と分析されている。 そして彼が暗殺されたのは、暴虐そのものではなく(董卓並みの暴君はいくらでもいるので士大夫たちは対策を知っている)、辞令を出して金儲けの機会を作るという、士大夫たちへの余禄を潤すことを、しなかったことに原因があるという。 いくら衰退・形骸化していても「朝廷からの辞令」は群雄や中小豪族は欲しがるし、それを売りつければ役人や士大夫は懐が潤う。しかし董卓は長安に引きこもり、天下に辞令を出すことに消極的だった。それで、士大夫たちが「金儲けの機会を与えない董卓は殺そう」と決意した。 美人計自体は簡単な策略で、こういう陰謀に掛けて董卓は、四百年宮廷で画策ばかりしていた士大夫の敵ではなかった、とまとめられている。 コーエー三国志 シリーズ皆勤武将。勢力のイメージがカラーは黒系統、特に灰色が多い。 武力と統率力が80台と安定して高く、知力も60~70台と決して低くはない。 ただし政治力と魅力値は低い。とはいえさすがに韓玄など一桁台のような扱いはされていないが。 戦闘向けの特殊能力や個性を持つことも多いのでいっそ前線に出した方がいいぐらいの能力値だが、悲しいかな、ほとんどの場合君主なので、立場と絶妙に噛み合っていない。(*16) 金収入を増やす「徴税」系の特技を持つ事も多いので、戦場に出ずとも役に立つし配下に加える価値もある。 ただし配下として見た場合、当然のように義理最低・野望最高、しかも曹操や呂布と違い、引き留め役の「嫁」も存在しないので引き抜きや独立が怖い。 最初から洛陽・長安を押さえているシナリオでは、武将は呂布・華雄・張遼といった大物から李傕・郭汜・張済・樊稠といった有象無象中堅まで豊富、文官は李儒・賈詡を筆頭に後漢朝廷の官僚たちが合流して、なかなかの人材大国。 なんと言っても皇甫嵩や朱儁、王允や士孫瑞といった、後漢朝廷の官僚たちが部下にいるというのは非常に大きい。 しかも、大抵大兵力を有しているため、めちゃくちゃ強い。 逆に、距離の近い袁術や曹操でプレイする場合には、「いかに董卓軍の猛攻をしのげるか」と「いかに董卓陣営から人材を引き抜けるか」が鍵になる。 「黄巾の乱」シナリオでは何進(官軍)と張角(黄巾)の脇に控える小勢力として登場。 二大勢力の激突を高みの見物しつつ、空き地の益州で国力をじっくり蓄えるも良し、機を見て中央に躍り出るも良しの第三勢力プレイが楽しめる。 しかし弱点も多い。 不利なイベントが多い 「反董卓連合」系シナリオでは、基本的に連合結成イベントがシナリオ開始と同時に発生し、最初から多数の勢力が連合して敵対&改善不可能となるので、外交面がまずシビア。 「連環の計」が再現されるタイトルの場合、発生させると董卓自身が死ぬ上に勢力も大きくガタつくので、未然にその芽を摘んでおかないと辛い。 また、その前段階の「長安遷都」に至っては実施する意味が全く無いのでやらないようにしよう。COMが担当すると長安遷都しておきながら空き地の洛陽にイソイソと舞い戻ってくるという朝令暮改の極みを見せつけてくることが多い 勢力相性の悪さと魅力の低さ 勢力相性では袁術や曹操、孫堅とはそんなに悪くない(*17)のだが、上述した後漢朝廷の官僚たち(≒主力文官層)は董卓の勢力と相性が悪いのでなかなか居ついてくれない。 また部下たちの初期忠誠が低い上に自分の魅力も乏しいために忠誠心の維持も困難で、部下の引き抜かれや離反が起きやすい。 近隣にも董卓と相性と離れている武将=初期忠誠が低い・季節毎に忠誠が低下する武将の方が圧倒的に多く、たとえ勢力拡大しても俸禄払いに追われがち。 さらに勢力相性の悪さと魅力の低さは外交の信用上昇度にも悪い影響を及ぼすので、他の君主より親善費が嵩んでしまう。 最初から資金に恵まれる反董卓連合シナリオ以外では無視できない、痛いハンデだ。 被嫌悪武将の多さ コーエー董卓最大の特徴が嫌悪されている武将の多さである。『14PK』ではその数驚異の24名! それも曹操や孫堅に袁紹、関羽や張飛、盧植といった英雄ばかり。彼らを配下に加えられないのは痛すぎる。 一応初期で配下にいることもあれば、嫁や義兄弟経由で登用することもできるのだが、配下にいる被嫌悪武将は物凄い勢いで忠誠が下がり、引き抜きどころか下野する可能性すら出てくる。 また、嫌悪されている武将に有力な君主が多いのも問題。こちらを嫌悪している君主との外交は著しく不利になる(*18)上に 自身を捕縛すると高確率で処断してくるので、彼らが相手だと自らが前線に出にくくなってしまう。 国力や人材のアドバンテージを失った上で曹操や袁紹たちと対峙することになる英雄集結系シナリオではこの弱点が特に響く。 董卓自身の寿命が短いことと、後継者の不在 最大の弱点。 張角と違って董卓は不自然死扱いなので192年を迎えて即死するようなことはないが、それでもせいぜい200年台までしか生きられない。 そのくせろくな後継者も存在しない。いっそ養子の呂布か、親族でもっとも魅力の高い董白という手もありかも。 以上の点から勢力としては強大だが、CPUに任せると思ったよりも伸びてくれない。プレイヤー操作の場合は豊富な権限や人材層を武器にして攻めの姿勢で挑んでみたい。 三國志13には「死を偽装していた董卓が官渡の戦い直前に中華に舞い戻った」というトンデモ設定のシナリオ『魔王帰還』が存在している。 とうに死亡しているはずの董卓一派や後漢の名将たちをなぜか加え、かつ馬騰軍や劉璋軍をも吸収している最大勢力で、シナリオ開始直後から第二次反董卓連合の猛攻を受けることになるが、しばらく持ち堪えればまたもや勝手に連合が瓦解するので後はやりたい放題。 ちなみに「13」の董卓は固有のセリフが多くそれなりに優遇されているのだが、女性武将が戦功を挙げると寝室に呼ぼうとする。既婚者だろうと孫娘の董白だろうと。おいジジィ……。 三国無双 詳細は董卓(三國無双)を参照。肥満体の野心家。 横山三国志 人物像や出番は概ね演義準拠だが、肥満体に描かれることが多い昨今に対し、痩躯に描かれている。 アニメ版のCVは大友龍三郎だが、原作者の横山は「大塚周夫も似合うと思いますよ」と発言していた。 蒼天航路 アニメ版のCVは大塚芳忠。 暴虐の限りを尽くすが、周辺の影響に流されてではなく「董卓自身の人間性」を一切包み隠さず表現し、それこそが尊貴なる王者の姿だと豪語する人物。 「王者としてのあり方」を問い、表現した、本編中における初の人物。詳細は項目参照。 白井式三国志 閻魔大王のような風貌のデブ。 極めて残虐なドSで処刑した罪人の生首を持ち歩くような狂人だが、好色な上に少女趣味かつ自意識過剰な変態。 三国志魂 常にパンツ一丁の超肥満体。あまりに肥満すぎて腹の脂肪に李儒が収まっている。 屁の威力が甚大で、焚火に放屁して長安を大炎上させている。 一騎当千 CV.浪川大輔 洛陽高校の頭。大変な美男子で物憂げな雰囲気を漂わせている。 闘士大会を計画・立案した張本人であり極めて有能な人物であるが、冷酷かつ残忍でなおかつメンヘラ。 触れた物体を内部から破壊・寸断する特殊な頸を有する序盤の強敵。 恋姫†無双 CV:木村あやか(PC版)、猪口有佳(PSP版) 真名は「月」とかいてゆえと読む。 はかなげな姿をした、線が細く心優しい少女という、逆の意味でぶっ飛んだキャラ。 悪人ではなかったのだが、周囲から「暗逆非道な暴君」と言う誤情報を押しつけられ、それが天下に広まってしまったのだという。 リメイク作の真の更にリブートにあたる革命では朝廷関係が補完され、腐敗が進み統治能力が低下した漢朝廷を立て直すため劉協と共謀して霊帝を退位させ相国となり、腐敗貴族や役人の大粛清を行ったことが明かされた。 この粛清から逃れた袁紹と袁術が「悪逆非道な暴君」と吹聴して各地の豪族などに呼びかけ結成されたのが反董卓連合ということになっている。 外伝の白月の灯火では地方豪族時代が描かれた他、一刀が多方面でいい感じに活躍したことで革命では失敗した漢朝廷の立て直しに成功する。 十三支演義 CV.中村浩太郎 序盤の敵キャラ。 一般的なイメージ通りの悪政を敷いており、主人公ら猫族を蔑視するなど史実とは逆に民族主義者である。 BB戦士三国伝 CV 小村哲生 「『暴虐の太師』董卓ザク」の名前で、第一部「風雲豪傑編」におけるメインの敵として登場。 演者は一応旧ザクという事になっているが、一応第一部のラスボスという事もあってか実際には全身真っ黒、キャタピラやキャノン砲など他のジオン公国軍MSの特徴をちゃんぽんした全くの別物になっている。 呂布トールギスを差し向けて時の皇帝である霊帝ガンダムを暗殺、玉璽を簒奪し「太師」として暴虐の限りを尽くす。 少年漫画風の世界観という事もあって史実や演技よりも更にストレートな鬼畜外道であり、経緯の違いこそあれ殆どの媒体では味方を巻き添えにする事も厭わぬ戦術に耐えかねた呂布の裏切りに遭い殺害されている。 ただし初代のコミックワールドでは末路が異なり、そちらでは半ば暴走状態にあった孫権ガンダムの駆る天玉鎧「弩虎」の攻撃に巻き込まれる形で命を落としている。 プラモデルはアニメ化に際して「真」名義で大型キットが発売。当時のSDガンダム系キットでは珍しく肘・膝にも可動域が設けられた特別仕様となっている。 また2018年にはパッケージを初代仕様に変更の上、ヅダ顔の部隊兵とセットになった成型色変えキットも発売された。 SDガンダムワールド 三国創傑伝 CV.石井康嗣 演者はプロヴィデンスガンダム。 董卓ザクに勝るとも劣らない厚顔無恥・残虐非道な独裁者で、ラクヨウ・シティを牛耳り市民から搾取の限りを尽くし町の資源を私物化している。 劇中のほぼすべてのキャラクターから憎悪を一身に浴びており、部下である呂布シナンジュや貂蝉クシャトリヤからすら金づるとしか思われていないし、本人もそのことは知った上で重用している。 攻め込んできた関羽νガンダム、張飛ゴッドガンダムの二人を相手に「凶龍形態」(どう見てもティラノサウルスであり、「暴君竜」の名に恥じないと言える)に変身して圧倒するが、増援に駆け付けてきた孫堅ガンダムアストレイと対峙した次のカットではボコボコにやられて倒され、その後何の説明も無く死亡した。 なんとも竜頭蛇尾な人生であった。 ちなみに黒幕は部下として潜入していた司馬懿デスティニーガンダムである。もう何が何やら。 三国志大戦 基本的には武力、知力共に高い上に勇猛、魅力などを持つ文武両道のステータス。 西涼軍、もしくは群雄勢力の顔として呂布と共に並び立つ。 計略も非常に強力ながら破滅的なデメリットがつきまとうものや敵の撃破をトリガーにするものであり、やるかやられるかの刹那的な判断が要求される玄人向けのカードと言えよう。 ストーリーを追う群雄伝でもその高いステータスの他、武力の高い華雄や呂布、強制的に舞いこちらの城ダメージを狙う貂蝉と言った愉快な仲間たちとともに特に初心者プレイヤーを苦しめる。 無論その言動も暴君のそれであるが、董卓伝など彼が主人公の章では部下思いの一面もしっかりと書かれている。 リブート後は漢勢力でも登場。圧倒的破壊力を秘めた計略を使うが、カードをせわしなく動かさないと真価を発揮しないためかかなりマイナー。 他にも悪の教典の先生になったりもし、味方を全員食らいつくす。弓呂布とは「引き継ぎ」という形で食い合う関係に。 ちなみに董卓軍に女性キャラクターを増やしたかった為か不明だが、董卓の孫娘というえらくマイナーな人物がカード化されていることでも有名である。 英傑大戦ではその董白が先に実装されてネタになったが本人も遅れて登場。(当の董白に「遅い、待ちくたびれちゃった」と若干メタな台詞を言われたが) 若い頃の姿であるが計略自体は相変わらず多大な効果とデメリットを持つものである。 劉備に対しては一瞬小物と断じるもすぐに撤回し「あれも一種の怪物」と称する台詞が印象的と言えよう。 天地を喰らう(AC) 本宮ひろしの漫画『天地を喰らう』のアーケード版初代作は、前半面で黄巾賊討伐編、後半面で董卓軍討伐編を描いている関係上、何と 今作における最終ボス としての登場。 モンスターストライク 星6の降臨モンスターとして登場する。種族は魔王族。 進化は赤い肌に巨大なハサミを持った閻魔のような外見をし、神化は緑色の肌に巨大な銃を持った亡霊の姿をしている。 肝心の性能はというと、どちらの形態も攻撃力は高く希少なキラーを持っているが、アンチアビがなく友情が弱く足も遅い為、あまり使えるクエストは少ない。 覇者の塔や呂布のクエストではサソリ状態で登場し、弱点以外の部分に攻撃するとダメージが1になる。ぶっ飛ばしSSのような固定ダメージを与えるSSが有効である。 【余談】 董卓が緊急避難シェルターとして用意していた郿塢は、21世紀に発掘されて実在が確認された。 2008年ごろから陝西省に高速道路を拡張するにあたり、郿県一帯の発掘調査が行われ、その過程で陶器、かんざしなどの装飾品、青銅器、そしてそれらを作成する工房跡などが大量に発見された。 それらは漢代の特徴を多く備えていたという。 さらに調査を続けていくと、2010年にはこの一帯を包む城壁の痕跡も発見。これらが、『水経注』『元和郡県図志』などの漢代から唐代の文献資料とも一致していたため、とうとうこれが董卓の郿塢の痕跡と分かった。 この城壁の痕跡を調べたところ、漢代の県の城壁としてははるかに小さいことが分かっている。 もともと「塢」というのは、董卓のものに限らず当時の豪族が拠点として広く作っていたもので、いわば要塞化した豪邸・村落、というものである。 この董卓の塢も、壁の長さは推定640m。一般的な県城なら2500~6000mなので、むしろ城内にすっぽり収まるサイズである。 しかしそれにしても、個人レベルの邸宅が小さいとはいえ城壁を持っていた、というのはさすがに董卓というところだろう。 この城は北魏のころまでは使用されていたらしい。 また、董卓は郿塢と長安をよく行き来していたが、そのために専用の高速道路を造らせていた。 これも実は発見されていて、「郿塢嶺」と呼ばれているという。 その道路には董卓の弟・董旻が鄠県侯に封ぜられた土地も通っており、兄弟で仲良く参内していたのかもしれない。 追記・修正は中央入りの野心を、そして引っ越しの苦労を知る人にお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 暴君の側面と覇者の側面を併せ持つ人物…なんだろうか -- 名無しさん (2024-01-26 14 41 26) 日本の話だが、木曾義仲は、都に上ったが部下の統制に失敗して朝廷に怒られ、東からは頼朝、西からは平家に攻められてにっちもさっちもいかなくなって後白河法皇を攻撃する暴挙に出た。董卓の立場もものすごく善解すれば異民族の部下をちゃんと統御できていなかったのが発端なのかも知れない。 -- 名無しさん (2024-01-26 15 40 37) 董卓だけ項目が存在していないのが気にかかっていた、ありがたい。遂に三国志の主だった群雄に遂に出揃ったって感じだな -- 名無しさん (2024-01-26 16 27 39) なぜか死体ローソクのエピソードが有名だったりしない?三国志マニアならけっこうな確率で知ってる気がする -- 名無しさん (2024-01-26 18 26 19) ↑3 董卓について「異民族と接することが多い辺境の生まれ育ちで、よくも悪くも漢民族の伝統にそぐわない振る舞いが歴史家を務めるような上流階級には特に否定的に映り後世の酷評に繋がったのではないか?」とは聞いていたけれど、思えば「ただでさえ移民問題は揉めるのに、中華の中心たる帝都にろくに移住先の風土や風習を学ぶ機会を得られるはずもないまま異民族かつボスのためなら戦も厭わぬようなよくも悪くも猛々しい者達がゾロゾロと押し掛ければトラブルが起きないはずもない(中華圏ほど広大なら、ヘタすりゃ遠方はマジで言葉が通じないまであってもおかしくなかったろうし)」わな……。ありがとう -- 名無しさん (2024-01-26 19 27 52) 郿塢の存在に驚き、悪名高く描かれたのは当時の賈充に対する口撃説に目から鱗が落ちた -- 名無しさん (2024-01-26 20 31 44) 三国志項目の質の高さは目を瞠るものがある。記事作成ありがとうございました。 -- 名無しさん (2024-01-26 21 14 44) ↑6日本史の人物だと平清盛か三好長慶イメージだったけど確かにこの項目を読むと木曽義仲の方がイメージに合う -- 名無しさん (2024-01-27 00 16 46) ↑5 アレほどインパクトのある話はそうそうありませんから。しかも夏侯惇が目玉食った話と違って史書に書かれてるし -- 名無しさん (2024-01-27 00 47 14) 五誅銭に関してはこの後の連中のやらかしを押し付けられただけじゃないか? -- 名無しさん (2024-01-27 06 10 27) 遅かれ早かれ後漢は滅んでただろうし、責任を全部押し付けられた印象はある。やらかしがなかったとはもちろん言わんけど -- 名無しさん (2024-01-27 10 56 39) 思ってたほど徹頭徹尾の暴君ではないが、やっぱ暴君ではあるな… -- 名無しさん (2024-01-27 15 33 50) 結局のところ正史董卓は蒼天の曹操の董卓評が合ってるのかもな、「途中までやったことだけなら名君だけどそれ意向は暴君」 -- 名無しさん (2024-01-28 00 51 01) 運良く(もしくは運悪く)頂点に立っただけで劉焉や劉表辺りと同じく地方軍閥のトップ位の器だったんだろうな -- 名無しさん (2024-01-29 08 58 55) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/ssfate/pages/1034.html
No.5064 伍子胥 前のサーヴァント:イペタム 次のサーヴァント:黒河内伝五郎 データ 登場歴 データ ┏━━━━━━━━━━━━━━━┓ ≪クラス≫:バーサーカー ┣━━━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┓ 【真名】:伍子胥 【属性】:混沌・悪 ┣━━━━━━━┳━━━━━━━╋━━━━━━━┳━┻━━━━━┳━━━━━━━┳━━━━━━━┓ 【筋力】:B 【耐久】:B 【敏捷】:B 【魔力】:A 【幸運】:D 【宝具】:A ┣━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┻━━━━━━━┫ / {;i;i;| 、i !i !\ ヽi !i !i !i !ヽ / ィ };i;i;| ,;ィi ! 、 ヽi !i !i !i 、 i !i !i !i !i ! ,,// ′ j;i;i;i| ,i !小i !i ! i !i !、 ヽ. 、 i !i !i !i !i !、i !i !i !i !i ! {;iし′/ jハ;i;| , /|! |i !i !i ! i !i !i !i !i !i !i !、i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i ! ノ;’ / j! j ! j ;iゝ'/l| l| Vi !i !iト、i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i ! j;j |i! j ! // ヽl | l∨i !i{l \i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i ! ,,,ィ;jノ |i ! /i ! ,イ/_ ヽl | l∨i { || \i !iト、i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !i !ト ! fし∪;i;l |i li |! 厶i !l / ! `ヾx、 、!l Vi { |!,. /\、 \ !i !i !i !i !i !i !i トi !i| ‘ ,;i;i;i;ij 八i !iト、 ム Vi !i| ._ヾミx、 ヽⅥ、. /〃 ,ィ/ ヽ\i !i !ト、i !| ヽ! };i;i;if′ ヽ! ∨;i;iYハト、! .. i⌒`ヾミミヽ ヽ ! V. / ,ィ彡'¬! }i !/ハi ! {;i;i;ij j;i;i;iハ 、 l、 (・)ヾミ゙y 〕 j } し彡,ィ・) / /ヘ / };i;i{ ノ;i;i;i{、ヽ . . ヾミヽ.____, ゞ' ノ'⌒ヽ て ____/〃 'i / n};i;i} 「;i;i;i;i;i;ih、 ヽ ... ゛/;)'"~´"´` '/ ヾミУ " /ソ / l;i;i;i{ ノ;i;i;i;i;i;if ゝ!.. .. ;;/ } /_/ ヽ;i;i;’、 ∩};i;i;i;i;i;iリ ハ /;/. .. . ..... .. ′ ト、 };i;i;i{ j;i|j;i;i;i;i;i;i;{ /;;ノ ;ィ、_ ` - ´ __, / 洲ゝヽ i;i} {ハ;i;i;i;i;i;i;i;iノ /;;∧ ヽ 〔寸ーニニニ-r〕 . / 洲{ };i{ };i;i;i;i;i;i;{__ / ;;ノヘ|ヽ } ト´ヽ._________,イ〈 イ 洲ムィ1;i;「i三 |;i;i;i;i;i;i;i| /.;i//^i|! ソ、 ! ヽ-‐‐‐‐‐-ィ レ// \_,.斗=¬ 洲洲! };i;i}l三 |;i;i;i;i;i;i;il´/;i;i〃 |! ヽ'/,、.. . ⌒ . ィ'// .; . /! ヽ 洲洲ムヽ;i;!三 };i;i;i;i;i;i;レ;i;i;i/′, |! ヽ i トミ≧=‐=≦/ / /i||! t=-、 、-―‐-- 洲洲圦三};i;∨;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i∧ ′∟ ヽ !  ̄=/´ / /\l||!i 弋Ξ、\ 洲洲洲ム三ヽ;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i/ 、 ‘, `! /, ∧、 / >t--、_〉三 \ヽ 洲洲洲圦三ハ;i;i;i;i;i;i;i;i;i;{ \ ‘, i ! /´ ′ il ./ \ \三三 ヽ‘ , 洲洲洲洲ム/ 〉;i;i;i;i;i;i;i;iノ;i;、 ヽ \ \ j;ト、 { 、| / \ ヽ三三‘, ∨ 洲洲洲洲圦∧;i;i;i;i;i;i;/;i;i;i‘, . ヽ. \〕i ゝ ;i |./ \ヽ三三〉 〉 洲洲洲洲洲ム};i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i ;、 \、_ 〕 / ーr―=≦ 洲洲洲洲洲#};i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;く \` ′/ ヽ三三ヽ 洲洲洲洲洲/;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;iヽ .;i ; ‘, / .., ヽ三三ヽ 洲洲洲洲ζ;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;ヽ ' ‘、 / _ヽ ヽ三三 、 洲洲洲洲f;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i} .. ;. /( _ソ ヽ三Ξ ヘ洲トミ洲ノ;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;リ , ;i;i;i . | ヽ Ξ ;i;i洲);i;iー';i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i i;i;i;i;i/ ヽ i i;i;i } .. ;i;i;i;i;i;{≧;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;/____┌―┴―――― ┐________ ≠ ゞ;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i/三三三三三| i三三三三三三l|三三三三三三三三≠ ;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;i;/三三三三三|fっ三三三三三| |三三三三三三三 ≠ AA:エレン・イェーガー(進撃の巨人) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【クラススキル】 ◆狂化:A 理性と引き換えに驚異的な暴力を所持者に宿すスキル。 Bランク以上だと全能力が上昇するが、理性の大半を奪われる。 今の彼は復讐心以外の全てを削ぎ落した復讐の鬼である。 ◆復讐者:EX 復讐者として、人の怨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。 周囲から敵意を向けられやすくなるが、向けられた負の感情はただちに彼の力へと変わる。 彼の復讐心は際限なく膨張する。楚の国を自らの手で滅ぼすその日まで。 ◆忘却補正:A 人は忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。 時がどれほど流れようとも、その憎悪は決して晴れない。 たとえ、憎悪より素晴らしいものを知ったとしても。 忘却の彼方より襲い来るバーサーカーの攻撃はクリティカル効果を強化する。 ◆自己回復(魔力):B 復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。 魔力を微量ながら毎ターン回復する。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【保有スキル】 ◆二重召喚:B ダブルサモン。 二つのクラス別スキルを保有することができる、極めて希少なスキル。 彼の場合はバーサーカーとアヴェンジャーのダブルクラス。 ◆滅楚の誓い:B 親友申包胥に宣言した滅楚の誓い。 楚に属する敵に対しての攻撃にプラス補正がかかる。 ◆鑑識眼:-(C) 人間観察を更に狭くした技術。 対象となる人間が将来的にどのような形で有用性を獲得するかの目利きに優れている。 現在狂化によって上手く機能して居ない。 ◆神性:D その体に神霊適性を持つかどうか、神性属性があるかないかの判定。 ランクが高いほど、より物質的な神霊との混血とされる。 バーサーカーは銭塘江の潮神として信仰されている為、神性を獲得している。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ / У j! /′_、≧、,ィ j! |!,ゝ .ヽ ヽィ i| |!´. < ; ; y イ_, i| i |! / ,≧メイ^!ヽ く λ || l |v^Y_ ヾ汽,ィ≦! ;ゝ /λ || l |√ 〉〉 __ ゞ'/; l //λ __|| l / ヽ ! |〈´ ̄ソ ハ!′ ///λ / /リ !ノ ∧宀、≧<___ //// 丶 ,ノ. / f ノY ∧。! |、Y ; /≧、_ `マ////丶 { { ! / / ゝ!├‐、xト、厂_ `マ/// \ 八 V ´ !/ ヽ ノ ハ二}}ニ!ユヽ ‘ , `マ///\-==ヽ ヽ j У // ` \、 .| ,斗=‐ `<//\ \ 、 ∠ニヽー=- z__ Y》 __ / 〃 ` '<\ r┴ ‐ ァ'´ヾ丱⌒| " ` Y刈!し、 /゙ {{_______ ` '\ `¨¨″ //ア、 ∧ c '/ /゛  ̄ ̄ ̄ ̄`\ `'\ γ´ `イ ,ィハ // [`ー′ /゙ \ ^\ ノ ,ィ斧=ハヽ '/ L_ /゙ ` 入 _/ヽ //(刈/』}∧ / / 「ヾ ,,__ /゙ _ (_ノし1i / `)廻胤《/ハ ∨/ / |!/ヽ`く ‘ヾi_⊆)|厶rfrェェェ≧儿ノ`ー凵/______jⅥ'゙ 厂 _」Lゝヘ斗'~´ rく≧=L゚!_{{ ̄}}_リ{!/ ,.ィ升r乞孑'`》 ,.斗イ≧\三ニ= ̄-=ニ彡v,===、__,斗ャュ、 ___ /∠、 \/弋《___ (( _/三三ニ=≧ミニニニニニニヽ /())_}ノ-く/ γ7/ ̄ ̄/ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄' {,ノ亠、y´-=ニ三三三ニ=><三ニ=Y、ヽ/く ヾ。/、 ア'/====/ /=====/7=- 、\ノ ノ\三三二ニ=-イ-//  ̄ ̄`ヽく\ \(_/》 ' / / /________/ / /_\. 、__ノ  ̄ _j,≦、 ,ィ=くハ \\ \fr' / / / / i i i i / / ////7ノ ̄}!≧、__ -イ| /マゝ-‐く_/ ハ \\/´ 、___/ / / ̄ ̄, / //// (( ̄='イー--r'´ |.| / マー= ´ /Уト、/く^。》 ^ー‐≧-ヽゝ---/〈-- /〈/〈ノ辷゚≫ニニ/ ,|.|" / i i iマニニく/ .| ハ′`¨´ └┘ ̄ ̄,≧x ̄≧x/〈// ̄ ,/ く\.!/ i i i,ゝーマム .| |‘, `⌒ハ ̄ ̄冂¨′ / (__ 、\/{{ニニニニヽ | | _|ニ!__ノ/ / く \\,リニv、ニニム | | i ,.≦ニニ ノ―{ { / _,*'゛’ \ ヽ/ニニハニニニム /∧| /ニニニニ( ノ,イニニf厂 \.イ{ニニ { ヽニニハ '∧_V!___,.*・*, /ニニニニニニニYニニr ´Τ !{ニニ.ノ V〈_// /ニニ=厂 . /ニニニニ>'⌒ー‐'´|!/| ヾ==′ `^ヽニ='ニニ/ ,ノニニ / |! | `'くニ/ /ニニ./ |! | ¨ ´ニニ / |!/| ニニ.イ |! | ニrシ .|! | ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【宝具】 ◆『死墜復讐(ごししょ、ししゃにむちうつ)』 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1-2 最大捕捉:1 王墓を暴き、平王の死体を三百回に渡って殴打した鞭。 伍子胥の永遠に膨張し続ける復讐心の出力先。 相手を憎悪している程この宝具によるダメージは向上する。 死者であってもその復讐からは逃れる事は出来ず、肉体を貫通して存在の根元たる魂を直接打ち据える。 魂に与えられたダメージは肉体と精神に現れ、魂本体を修復する手立てがない限りその傷は癒えない。 対象が魂で構成されるサーヴァントであれば、霊核や霊基の破損度合によってステータスやスキル、宝具が失われていく。 肉体に守られていない霊体化中にこの宝具で攻撃されると致命的。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ /ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ ‘, ,ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミλハミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ’ jiミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミノ川{ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ‘ ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミリ介,寸ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ ’ iミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ/ミミ∧ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ‘ |ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミィニ/ミミミミ ミミミミ/ニ∧ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ‘ |ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ/ニ/ミミミミ ミミミミ/ニニ∧ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ‘ |ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ/ニニ/ミミミミ ミミミミ/ニニニ∧ ミミミミミミミミミミミミミミミミミミ; 、 |ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ./ニニ/ミミミミ ミミミミ/ニニニニ∧゙ミミミミミミミミミミミミミミミミミ , ,ノ`ー~ `ヽ | ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ/ニニ/ミミミミミミミミミ/ニニニニニ∧ミミミミミミミミミミミミミミミミミ| _ノ 、_,丿 八 ミミミミミミミミミミミミミミミミミr===ミ、/ミミ.ミミミミミミ./ニニ,>=ミ、=ニ}ミミミミミミミミミミミミミミハミ| `. ヽミミミミミミミミミミミミミミミミ/ゞx(..)_, ミミミミミミミ /ニニゝ--=彳=ニイミミミミミミミミミミミミミミ |ミ| 丿 人ミミミミミミミミミミミミミミ/ニニニノミミミミミミミミ/ニニニニニニニ/ミミjミミミミミミミミミミミミレミリ / (/ ヽミミjミミミミミミミミミミ{ニ  ̄ ノミミミミミミミ/ニニニ=- ̄ ̄ノミミノミミミミミミミミミミミミ|ニ\ / }ニニニヽハミミミミミミミミミミ、 「ミミミミハミ∠ニニニ´ jミミ/ミミミミミミミミミミミミミノニニ.\ } _ 丿ニニニニヽミミミミミミミミト^ヘ」ミミミミ//`ニニ′ /.ミ/ミミミミミミミミミミミ∠ニニニニニヽ { `ヽ {ニニニニニハミミミミミミ |、_i 「ミミミミ イ _ ニ ノ ミイミミミミミミミミ/}ミミ/ニニニニニ ) }≧x. ニニニゝ、 ヽニニニニニニヽミミミミ ハ、 ^!ミミミミ{゙リ、\__/ _,r'~/ミミ/」ミミミミミミミミ{/ミミ'ニニニニニニ{ ノニニ≧、 ニニニ ) \ニニニニニヽミミ/、 \ハミミ〔+、`ゝ~~く`′+ノミミ, イミミミミミミミミ/ミミ/ニニニニニ,ノ/ニニニニニヽ ニニニ{ `ー'´ ̄ ̄`ヽニV|ニ \/ヘミミ{、_ `r++ ナ´_r'iミミ{ ノミミミミミミミミ{ミミ,ニニニニニ/,ノニニニニニニ ニニニ丿 }ニヽニヽ \ '.ミミ厂`¬冖冖´ |ミミレ1ミミミミミミミミ∧ミミ、ニニニ./ ノニニニニニニニ ニニニ{ {ニニヽニヽハ}ミミ ー======‐ j/ニノミミミミミミ/ニ}ミミノニ=‐'゙ /ニニニニニニニニ ニニニゝ、 }ニニニニ〕 \{  ̄ ̄ ̄ / ミミ「ノミミミミ/'⌒ー'´ ̄ /ニニニニニニニニニ AA:謎の巨人(進撃の巨人) ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ ◆『復讐鬼・嚇怒(バーサーク・アヴェンジャー)』 ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:- 膨張する復讐心の極地。復讐心を納める「器」の変形。 理性の枷を壊して復讐心以外の全てを削ぎ落した伍子胥は、人である事すら止めて文字通り「復讐の鬼」と化す。 主に対して忠誠を誓っている間は発動せず、主に裏切られたり、守る事が出来ずに主を失ってしまった時、彼の最後の枷が外れてこの宝具が発動する。 全ステータスがそれぞれ一段階上昇して怪力スキルを取得。 巨体化する為、多人数を相手にしてもそれだけで劣勢には立たず、与えるダメージを大幅に増加させる。 ただし、道具を用いる理性すら失う為に第一宝具は使用できず、一度この姿を取ればもう彼は人へと戻れない。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i i /ナi /三≧ュ /i i i / |i i i| i i i i i i i i| i i i i| i i i| i i i i i i/ ̄ヽi i i i i i i i i i i i i i i i / /i i/ 三≧ュイ |i i i| i i i i i i i i| i i i i| i i i| i i i i / ⌒'. Ⅵ i i i i i i i i i i/レ /i i 仏斗====ミト、三≧ュ li i八i i i i i i i | i i i il i i/ i i i i; / ‘, Ⅵ i i i | i i i / {イf{{ イ示㍉ ‘,寸三≧ュ / / |/ |i i i i i /| i i i/}/ i i i i| ∧ Ⅵ i i lⅥi| j{{ rっ i jし rュ i} 三彡/ /r=≦三ミ|i i i i / 1i / i i i i| / ハ i i| Vi| 小、 乂辷少 j} -=ィ /三云_'⌒ j i i i/ !/ i i i il { { Vil }| し \_________,ノ/ ''"⌒i /ィ示ミヽ /}/ / Ⅵ∧ ヽノ }l リ 彡 { j{ rっJrュ } ′ }i ∧ { ゝ ゞ='’. / |i i i∧_____,、 ‘, ー=彡′ |i i i i i i i i i ハ j . - / ../ ノ} i i i i i i i/ し ィr=- __ ′ / 呉に仕えて…とにかく楚王を ヽイi i i i i i / ‘, {ト ⌒ーt.._ ‐- __ ′ ノi i i/レ ‘, \}__ ー―t.._ーァ / ゝ¨ ー‐ ス │ ┼__ | 、 イi / } 、 `ー―--_ ____}ハ/ / _) ヽ つ 、_, __ノ ゝノ │、_, ∨ ノ です ∧ } \ ______`¨¨¨´ / ...∧ } \  ̄ ̄ / ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【Weapon】 ◆属鏤の剣 呉王夫差から賜った剣。 この剣にて復讐の人伍子胥は自害を命じられた。 第二宝具を発動する際に必要。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 【来歴】 中国春秋時代の政治家、あるいは軍人。 無実の罪で処刑された父兄の仇を討つ事に生涯を捧げた男。 伍子胥の家系は代々楚の重臣を担った家系で、父の伍奢は楚王弃疾の子・太子建の太傅だった。 だが費無忌の讒言により楚王は太子建を疎み、廃嫡する上で危険視した伍奢とその息子伍尚と伍子胥を殺す事にした。 伍奢は楚王に捕らえられ、息子二人の元にも出頭する様に使者が送られる。 出頭命令が罠だと見抜いていた伍子胥達だが伍尚は父を見捨てられないと命令に従う。 「俺は父上と共に死ぬ。だが伍子胥、お前は逃げて俺達の仇を討て!」 伍子胥は復讐を誓い、太子建と共に鄭に脱出する。 その途中で親友の申包胥と出会い、彼にこの様に言い放つ。 「必ず俺は戻ってくる。王を殺して費無忌を殺し、──この国を滅ぼしてやる!!」 申包胥と伍子胥は親友である。 故に、彼は伍子胥を役人に引き渡す事など出来なかった。 だが彼も伍子胥にこの様に言い返した。 「子胥、君が楚を滅ぼすというのなら、──僕は、臣として楚を守ろう!!」 その後、匿われた鄭にて太子建が反乱を起こし、逆に殺される。 伍子胥は建の息子勝と共に今度は呉に逃亡。 呉にて伍子胥は公子光に仕え、公子に野心ありと見抜いて専諸を推挙し、呉王僚を暗殺させて呉王に即位した光、改め闔閭の側近となる。 また、知遇を得ていた孫武を闔閭に推挙し、彼と共に呉国内の整備に尽力。 そして機が熟すと伍子胥と孫武のコンビで大国楚を相手に連戦連勝して、ついに楚の首都郢を陥落させる。 ……だが、その時既に楚王弃疾は死んでいた。 呉にて体制を整えている間に彼も費無忌も冥府へと旅立っていた。 弃疾に捧げられた諡は「平」。楚王弃疾を君臣は肯定的に評価したのである。 伍子胥は平王の墓を暴いてその骸を三百回に渡り打った。 だが、その憎しみはいつまで経っても消える事は無い。 父兄の仇に「平」と諡した楚を滅ぼすまで、彼の復讐は終わらない。 だが此処で邪魔が入る。 首都陥落直前に逃亡した平王の息子昭王を捜索せども見つからず、その隙を突いて越王の允常が呉に攻め入った。 そして申包胥が七日七晩泣き通して秦の援軍を取りつけ、更に従軍していた闔閭の弟夫概が勝手に帰国し呉王を名乗る。 伍子胥は泣く泣く楚を後にして夫概を討ち、再び闔閭の補佐に務めて呉の国力を並ぶ者が無きまでに向上させた。 ──楚を滅ぼす事を阻むのであれば、その全てが父兄の仇だ! 孫武の反対を押し切り、逝去した允常の喪中の隙を狙って闔閭と伍子胥は越の討伐に乗り出した。 だが、允常の子で後を継いだ勾践の家臣、范蠡との知恵比べに敗れ、呉軍は越軍に大敗する。 更に闔閭も越の武将が放った矢による破傷風が原因で病に伏せて、伍子胥の推挙で夫差が闔閭の跡を継ぐ。 闔閭は夫差に「勾践が父の仇と忘れるな」と言い残して逝去した。 夫差は父との約束を果たすべく、伍子胥の補佐の元、越討伐の準備を着々と進めていた。 それを恐れた勾践は范蠡の反対を押し切り、越軍を率いて呉に攻め入るが大敗。 その勢いのまま呉軍は越に攻め入り、勾践を越の首都近くの会稽山へ追い詰めた。 復讐者であるが故にその危険性を熟知していた伍子胥は、許しを乞う勾践を殺す事を進めたが、夫差はこれを許してしまう。 以後、越は恭順したふりと賄賂で夫差の警戒を次第に解いて行く。 更に范蠡は西施を始めとした美女を送り込み、彼女達は夫差を篭絡する。 そして密偵を放ち、伍子胥の中傷を吹き込ませた結果、夫差と伍子胥の仲は上手く行かなくなってくる。 夫差は中原の覇者になろうとしたが、越の真意を見抜いていた伍子胥は何度も夫差に諫言する。 だが夫差は伍子胥の言葉に耳を貸さず、中原諸侯と覇を競い、呉の国力は急激に消耗していった。 このままではいつか越に呉は滅ぼされると見切った伍子胥は斉に使者に行った際に息子を斉に預けた。 だが、己の境遇に共感して協力してくれた先王には多大な恩がある。 彼自身は呉の事を見捨てる事は出来なかった。 しかし息子を斉に預けた事が本国で問題となり、伯嚭の讒言により伍子胥は夫差から剣を賜り自害を命じられる。 史実ではその後、自ら首を刎ねて死に、その際の言葉が夫差の逆鱗に触れて墓も作られず、遺体は馬の革袋に入れられ川に流されたとされる。 だが実際は違う。 伍子胥の復讐心は自ら首を刎ね、それで安らかに死ねるほど生半可なものでは無かった。 彼は平王を憎んだ。費無忌を憎んだ。憎んだそれらを庇い立てする全ての者を憎んだ。 伍子胥の身長は九尺を超えると伝えられている。 だが彼は元々そこまで身長が高い人間だった訳では無い。 膨張する復讐心が魂を収める器である肉体をも膨張させた結果、彼の肉体は第三次成長期を迎えたのである。 膨れ上がる復讐心を抑え込めるだけの理性を彼は持っていた。 故に彼はあくまで人間の域に留まり、破裂寸前の復讐心を理性の鎖で縛りながら呉王に忠誠を誓い続けて来た。 だがその忠誠が自害を命じられた事で揺らぎ、──抑え込まれて来た復讐心が理性の鎖を破ってしまった。 「皆殺しにしてやるぞこの畜生共がああああああ───!!」 復讐心は伍子胥(おのれ)の肉体(うつわ)を復讐鬼へと相応しい姿へと作り替えた。 確かに夫差に賜った剣にて、「人間」伍子胥は死んだのである。 理性を失った復讐鬼伍子胥は散々暴れまわった挙句、孫武率いる呉軍の手で討伐される。 夫差は自身の命に背き、寵愛する西施の命を狙った伍子胥の遺体を怒りに任せて川に流した。 そして孫武は自らの手で莫逆の友を討った事で心に大きな傷を負い、表舞台から姿を消したのである。 【性格】 復讐心に燃える激情家。仲間想いで情に厚い。 復讐の為ならば親友ですら敵に回して仇とするが、仲間を自分の復讐の為だけに犠牲にする様な真似はしない。 復讐を志すからこそ仲間を大切にする。だから呉の君臣の中でも伍子胥を慕うものは多かった。 だが、楚を滅ぼせなかったのは自分に余計な物がまだ残っていたからと考え、狂気に身をやつす事を選択。 現在は狂化の影響により、聖杯を手にする事を阻む者は味方でも仇と見なして殺す無鉄砲で暴力的な危険人物になっている。 それでも彼に味方する者を命がけで守るわずかな情が残っていて、それが彼をまだ「人間」に留める。 【聖杯への願い】 自らの手で楚を滅ぼす事。 それを邪魔する者は皆父兄の仇である。 【代理AAを選んだ理由】 復讐キャラで迫力あるAAがあるのが一つ、後は申包胥にアルミンを充てれば丁度関係性合うかなと。 【その他コメント】 死墜復讐は失意の復讐とかけている。 大人しく鞭之三百にした方が無難ではあるが。 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┫ 登場歴 【R-18】自由気ままに亜種聖杯戦争 http //yarufox.sakura.ne.jp/test/read.cgi/FOX/1632310471/
https://w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/437.html
十八史略 魏相 2011-01-22 13 54 08 | 十八史略 三年、丞相魏相薨。故事、上書者皆爲二封、署其一曰副、領尚書者、先發副封、所言不善、屏去不奏。自霍光薨後、相即白去副封、以防壅蔽。及爲相、好觀漢故事及便宜章奏、數條漢興以來便宜行事、及賢臣賈誼・鼂錯・董仲舒等所言、請施行之。敕掾吏案事郡國。及休告從家還至府、輒白四方異聞。或有逆賊風雨災異、郡不上、相輒奏言之。與御史大夫丙吉、同心輔政。上皆重之。 三年、丞相魏相薨(こう)ず。故事(こじ)に、上書は皆二封を為(つく)り、其の一に署して副と曰(い)い、尚書を領する者、先ず副封を発(ひら)き、言う所善からざれば、屏去(へいきょ)して奏せず。霍光薨(こう)じてより後、相、即ち白(もう)して副封を去り、以って壅蔽(ようへい)を防ぐ。相と為るに及んで、好んで漢の故事及び便宜の章奏(しょうそう)を観、数しば、漢興ってより以来の便宜の行事、及び賢臣賈誼(かぎ)・鼂錯(ちょうそ)・董仲舒(とうちゅうじょ)等の言う所を条し、請うて之を施行す。掾吏(えんり)に敕(ちょく)して、事を郡国に案ぜしむ。及び休告して家より還って府に至れば、輒(すなわ)ち四方の異聞を白(もう)さしむ。或いは逆賊風雨の災異にして、郡の上せざる有れば、相、輒ち之を奏言す。御史大夫丙吉と、心を同じうして政を輔(たす)く。上、皆之を重んず。 神爵三年(前59年)に丞相の魏相がみまかった。漢ではしきたりとして上書する者は、皆同文二通をつくり、一通に副と表書きした。取次ぎの役人が副の封書を見て、その内容が善くないと判断すれば握りつぶして奏上しないことになっていた。丞相の霍光が薨じたのち、魏相は早速宣帝に上奏して、副封の制を止めて障碍を取り払い、すべての上奏文が帝に伝わるようにあらためた。その魏相が丞相になると、漢室のしきたりや、便宜を図って出された上奏文をつぶさに調べ、漢が興って以来簡素化したことがらや賈誼・鼂錯・董仲舒等の建言を箇条書きにして裁可のうえ施行した。また役所の属官に命じて、郡国を巡察して不行き届きがないか調査させた。そして休暇明けで役所に戻った者には帰省中に見聞した、変事を報告させた。また地方で賊や災害で郡から上申しない事があると、魏相はいつもそれを奏上した。御史大夫の丙吉と心を合わせて政治を補佐したので帝はこの二人を重任した。 薨 貴人の死、天子を崩、大夫を卒、ほかを死といった。 屏去 退け抜き去る。 白 もうす。 壅蔽 ふさぎおおう。掾吏 下級官吏、属官。 勅 天子の命令。休告 休暇の申し出ること。 十八史略 宰相は細事をみずからせず 2011-01-25 14 58 33 | 十八史略 至是吉代爲丞相。吉尚寛大好禮讓。嘗出、逢羣鬭死傷、不問。逢牛喘。使問遂牛行幾里矣。或譏吉失問。吉曰、民鬭京兆所當禁、宰相不親細事、非所當問也。方春未可熱、恐牛暑故喘、此時氣失節。三公調陰陽、職當憂。人以爲知大體。 是(ここ)に至って、吉、代って丞相と為る。吉、寛大を尚(たっと)び、礼譲を好む。嘗て出でて、群闘死傷するに逢う、問わず。牛の喘(あえ)ぐに逢う。牛を遂(お)うて行くこと幾里ぞ、と問わしむ。或るひと、吉の問を失うを譏(そし)る。吉曰く、民の闘うは、京兆(けいちょう)の当(まさ)に禁ずべき所、宰相は細事を親(みずか)らせず、当に問うべき所に非ざるなり。春に方(あた)って未だ熱す可からず、恐らくは牛、暑きが故に喘ぐならん、此れ時気の節を失するなり。三公は陰陽を調う、職として当に憂うべし、と。人以って大体を知ると為す。 こうして魏相が亡くなると、丙吉(へいきつ)が代って丞相となった。丙吉は寛容で、礼儀が正しく人に遜(へりくだ)ることを好んだ。ある時、外出して数人が喧嘩をして死傷者まで出ている所に行きあわせたが、何も問わずに過ぎた。次に牛があえぎながら来るのに出あった。従者に「一体何里引かせて来たのか」と聞かせた。ある人が、丙吉の問いが的はずれではないかと非難したが、丙吉は「民が争うのは、京兆の長官が取り扱うべきことがらで、宰相が細かいことを自ら口出すことはない。今は春でまだ暑くなる時季ではないのに、牛はあえいでいる、これは時候が順当ではないのだ。三公というものは、陰陽を調えて民の利益を図るもので、当然宰相の職務として憂うべきことなのだ」と説明した。人々はこれを聞いて、丙吉は大きな筋道を心得ていると評した。 三公 前漢時代最高位にある、丞相、大司馬、御史大夫の三つの官職。 十八史略 韓延壽 2011-01-29 09 52 15 | 十八史略 五鳳元年、殺左馮翊韓延壽。延壽爲吏、好古教化。由潁川太守、入爲馮翊。民有昆弟相訟。延壽閉閤思過。訟者各悔、不復爭。郡中翕然相敕。恩信周徧、莫復有詞訟。民吏推其至誠、不忍欺紿。至是坐事棄市。百姓莫不流涕。 五鳳元年、左馮翊(さひょうよく) 韓延壽を殺す。延壽、吏となり、いにしえの教化を好む。潁川(えいせん)の太守より、入って馮翊となる。民に昆弟(こんてい)相訟うるもの有り。延壽、閤(こう)を閉じて過ちを思う。訴うる者、各々悔い、復た争わず。郡中翕然(きゅうぜん)として相敕(ちょくれい)す。恩信周徧(おんしんしゅうへん)にして、復た詞訟(ししょう)有ること莫(な)し。民吏、其の至誠を推(お)し、欺紿(きたい)するに忍びず。是(ここ)に至って、事に坐して棄市(きし)せらる。百姓(ひゃくせい) 流涕(りゅうてい)せざるは莫し。 五鳳元年(前57年)に左馮翊(さひょうよく) 韓延壽が殺された。延壽は官吏となってから、古の聖人が民を教化したやり方を踏襲したいと考えていた。潁川郡の太守から朝廷に入って左馮翊の長官になった。その民で兄弟が互いに訴え出た者があった。延壽は部屋に閉じこもり、自分に落度があったのではないかと思い悩んだ。訴えでた兄弟は互いに後悔して、二度と争わなくなった。郡中の民は相いましめ、励ましあった。延壽の恩情と信望はあまねく行きわたって、訴えを起こすこともなくなった。民も役人も延壽の至誠にうたれ、他人を騙すことをしなくなった。ところがこのたび、ある事件に連坐して死罪になり、市中にさらされた。これを見た市民は皆涙を流した。 昆弟 兄弟。 閤 小窓。 翕然 集まるさま。 敕 いましめ励ます。 欺紿 欺くこと。 十八史略 凡そ治道は、其の太甚(はなはだ)しき者を去るのみ 2011-02-05 15 58 51 | 十八史略 三年、丙吉薨。黄覇爲丞相。覇嘗爲潁川太守。吏民稱明不可欺。力教化後誅罰。許丞、老病聾。督郵白欲逐之。覇曰、許丞廉吏、雖老尚能拝起。重聽何傷。數易、送故迎新之費、及姦吏因縁、絶簿書盗財物、公私費耗甚多。所易新吏、又未必賢、或不如其故。徒相爲亂。凡治道去其太甚者耳。覇以外寛内明、得吏民心、治爲天下第一。至是代吉。覇材長於治民。及爲相、功名損治郡時。 三年、丙吉薨ず。黄覇丞相と為る。覇嘗て潁川の太守と為る。吏民、神明にして欺くべからずと称す。教化をつとめて誅罰を後にす。許丞(きょじょう)老いて聾を病む。督郵白(もう)して之を逐わんと欲す。覇曰く、許丞は廉吏なり、老いたりと雖も尚能く拝起す。重聴(ちょうちょう)すること何ぞ傷(いた)まん。数しばを易(か)えば、故を送り新を迎うるの費、及び姦吏因縁(いんえん)し、簿書を絶ち、財物を盗み、公私の費耗(ひこう)甚だ多し。易うる所の新吏、又未だ必ずしも賢ならず、或いは其の故に如かざらん。徒(いたずら)に相益(ま)して乱を為さんのみ。凡そ治道(ちどう)は、其の太甚(はなはだ)しき者を去るのみ、と。覇、外寛に内あきらかなるを以って、吏民の心を得、治、天下第一と為す。是(ここ)に至って吉に代る。覇の材、民を治むるに長ず。相と為るに及んで、功名、郡を治むるの時よりも損す。 郡の長官を補佐する役。 督郵 行政を監督する役目の官。 姦吏 不正をはたらく役人。 五鳳三年に、丞相の丙吉がなくなった。黄覇が代って丞相になった。黄覇もかって潁川の太守であったが、役人も民も覇が極めて聡明で、欺くことができないと評判しあった。民を教化することに力をそそぎ、誅罰を二の次にした。補佐官の許丞が老いて耳が遠くなったとして督郵が罷免したいと申し出た。黄覇は「許丞は廉潔な役人である。老いたりとはいえ、拝礼はとどこおりなく行えるし、同じ事を聞き直すからとて何の差し障りがあろう。たびたび補佐官を代えていたら、歓送の費用もかかる。悪い役人がドサクサ紛れに重要な帳簿を匿したり、官の財産を盗んだりするなど、公私の冗費がはなはだ多い。また交替させた役人が必ずしも有能とは限らず、前任者に及ばないこともあろう、ただたがいに混乱を益すだけだ。およそ民をおさめる道は、特にその甚だしいものを除きさればそれで良いのだ」と。黄覇は外は寛大、内は聡明であったので、官民こぞって信服し、その治績は天下第一と称せられた。 丙吉が亡くなって代って丞相になった黄覇だが実地に人民を治めることには長じていたが、丞相になってからからは、功績も、名声も郡を治めていたときよりも劣った。 十八史略 人生行樂耳 2011-02-12 09 35 21 | 十八史略 四年、太司農耿壽昌白、令邊郡皆築倉、穀賤増價而糴、以利農、穀貴減價而糶、以利民。名曰常平倉。 殺前光祿勲楊。廉潔無私。人上書告爲妖惡言。免爲庶人。家居、治産自娯。其友孫會宗戒之。報曰、過大行虧。當爲農夫以没世。田家作苦、歳時伏臘、烹羊炮羔、斗酒自勞。酒後耳熱、仰天拊缶、而呼嗚嗚。其詩曰、田彼南山、蕪穢不治。種一頃豆、落而爲萁。人生行樂耳、須富貴何時。淫荒無度、不知其不可也。人上書告、驕奢不悔。下廷尉案、得所與會宗書。帝見而惡之、以大逆無道要斬。 四年、太司農(たいしのう)耿壽昌(こうじゅしょう)白(もう)して、辺郡をしてみな倉を築かしめ、穀賤(いや)しければ価を増して糴(てき)し、以って民を利し、穀貴(たっと)ければあたいを減じて糶(ちょう)し、以って民を利す。名づけて常平倉と曰(い)う。 さきの光祿勲(こうろくくん)楊(よううん)を殺す。、廉潔にして私無し。人上書して、妖悪(ようあく)の言を為す、と告ぐ。免ぜられて庶人(しょじん)と為る。、家居(かきょ)し、産を治めて自(みずか)ら娯(たの)しむ。其の友、孫会宗これを戒む。、報じて曰く、過ち大にして行い虧(か)く。当(まさ)に農夫と為って以って世を没すべし、と。田家作苦(でんかさくく)し、歳時伏臘(ふくろう)、羊を烹(に)、羔(こひつじ)を炮(あぶ)り、斗酒自ら労(ねぎら)う。酒後耳熱し、天を仰ぎ缶(ふ)を拊(う)って、嗚嗚(おお)と呼ぶ。其の詩に曰く、彼(か)の南山に田つくるに、蕪穢(ぶあい)にして治まらず。一頃(いっけい)の豆を種(う)うれば、落ちて萁(き)と為る。人生行楽せんのみ、富貴を須(ま)つ何れの時ぞ、と。淫荒(いんこう)度無くして、其の不可なるを知らず。人、上書して告ぐ、、驕奢(きょうしゃ)にして悔いず、と。廷尉に下して案ぜしめ、会宗に与えし所の書を得たり。帝、見て之を悪(にく)み、大逆無道を以って要斬す。 五鳳四年(前54年)、太司農の耿寿昌が言上して、辺境の郡に倉庫を造らせ、穀物の相場が安い時には、値を高くして買い入れて農民を助け、相場が高いときには値を下げて売り出して、人びとを助ける事にした。これを常平倉と名づけた。 前の光祿勲の楊が殺された。楊は廉潔で公正無私であった。ところが、ある者が「楊は世を乱す怪しげな言葉を撒き散らしております」と上書したので罷免せられて庶民となった。それ以後、楊は家に居て財産をふやして、気ままに楽しんでいた。友人の孫会宗がそれを諌めると、楊は書をしたためて「私は過ちが多く、行いもよろしくありませんでした、農夫となって身を終えるのがふさわしいというものです。いったいに農家の作業は厳しく、夏の酷暑と真冬の酷寒の一日づつ、羊を煮、子羊を炙って酒を傾けてみずから労うのです。酒が進んで耳が熱くなったころ、天をあおぎ、缶(ほとぎ)を打って嗚嗚と大声で歌います。その詩とは 『彼の南山で耕せど、草がはびこり手に負えぬ。百畝の豆を植えてみたが、豆がらばかりが枯れ落ちる。ならばいっそ楽しまむ富貴を待つは無駄なこと。』 やがて際限もなく酔いしれてゆき、自分でそれが悪いこととも気づかないのです」と。ある者が「楊は驕りをほしいままにして悔いることがありません」と訴え出た。そこで帝は廷尉に下して取り調べさせたところ、孫会宗にあてた書簡を手にいれた。宣帝はこれを見て楊を悪み、大逆無道の者として腰斬りの刑に処した。 太司農 九卿の一、銭穀を司どる。 糴・糶 かいよね・うりよね 光祿勲 九卿の一、宮中に宿衛する。 虧 欠に同じ。 伏臘 伏は真夏の酷暑の日、臘は十二月の異称とも、酷寒の日。 缶 ほとぎ、酒や水を入れる土器、かめ。 南山 終南山、朝廷の比喩。 蕪穢 土地が荒れていること、朝廷の群臣の比喩。 十八史略 2011-02-15 13 02 17 | 十八史略 甘露元年、公卿奏、京兆尹張敞、之黨友。不宜處位。上惜敞材、寝其奏。敞使掾絮舜有所案驗。舜私歸曰、五日京兆耳、安能復案事。敞聞舜語、即収繋獄、竟致其死。後爲舜家所告。敞上書、從闕下亡命歳餘、京師枹鼓數警。上思敞能、復召用之。 甘露元年、公卿(こうけい)奏す、京兆の尹(いん)張敞(ちょうしょう)はの党友なり。宜しく位に処(お)るべからず、と。上、敞の材を惜しみ、其の奏を寝(や)む。敞、掾(えん)の絮舜(じょしゅん)をして案験する所有らしむ。舜、私に帰って曰く、五日(ごじつ)の京兆のみ、安(いづ)くんぞ能(よ)く復(また)事を案ぜん、と。敞、舜の語を聞き、即ち収めて獄に繋ぎ、竟(つい)に其れを死に致す。後、舜の家の告ぐる所と為る。敞、上書して、闕下(けっか)より亡命すること歳余、京師、枹鼓(ふこ)数しば警(いまし)む。上、敞の能を思い、復た召して之を用う。 甘露元年(前53年)に三公九卿が「京兆の長官、張敞は楊の一党であります。その職にとどまることは宜しくありません」と上奏した。宣帝は、張敞の才能を惜しんで、その上奏を取り上げなかった。その後、属官の絮舜という者に命じてある事件を取り調べさせた。絮舜は勝手に家に帰ってしまった。「どうせあと五日の長官さまだ、調査などしておられようか」と人に言った。その言葉が張敞の耳に入ったから、すぐさま捕えられ獄に繋がれついに死刑に処された。その後絮舜の家人が訴えでると、敞は辞職の文書を上(たてまつ)ったうえで朝廷から一年余り姿をくらました。 その間、都では非常を警告する太鼓のばち音がしばしば聞かれるようになった。帝は改めて張敞の有能さを思い知って、呼び戻して任用した。 寝 止める、握りつぶす。 掾 属官。 闕下 闕は宮城の門、朝廷のこと。 枹鼓 枹は太鼓のばち。 十八史略 股肱の美を思い、麒麟閣に図画す 2011-02-19 12 14 26 | 十八史略 匈奴亂、五單于爭立。呼韓邪單于上書、願欵塞稱藩臣。甘露三年、来朝。詔以客禮待之、位諸侯王上。 上、戎狄賓服、思股肱之美、乃圖畫其人於麒麟閣。惟霍光不名、曰大司馬・大將軍・博陸侯、姓霍氏。其次張安世・韓増・趙充國・魏相・丙吉・杜延年・劉・梁丘賀・蕭望之・蘇武、凡十一人。皆有功。知名當世。 匈奴乱れ、五単于立つを争う。呼韓邪(こかんや)単于、書を上(たてまつ)り、願わくは塞(さい)を欵(たた)いて藩臣(はんしん)と称せん、と。甘露三年、来朝。詔(みことのり)して客礼を以って之を待ち、諸侯王の上に位いせしむ。 上(しょう) 戎狄(じゅうてき)賓服(ひんぷく)するを以って、股肱の美を思い、乃ち其の人を麒麟閣に図画(ずが)す。惟だ霍光のみは名いわずして、大司馬・大將軍・博陸侯、姓霍氏と曰う。其の次に張安世・韓増・趙充國・魏相(ぎしょう)・丙吉・杜延年・劉・梁丘賀・蕭望之(しょうぼうし)・蘇武、凡(あわ)せて十一人。皆功徳(こうとく)有り。名を当世に知らる。 匈奴が乱れ、五人の君主が争い立った。その中の呼韓邪単于が書をたてまつって、漢のとりでの門をたたいて、臣下になりたい、と願い出た。そして甘露三年(前51年)に来朝した。宣帝はみことのりを下して賓客の礼でもてなし、諸侯,諸王より上席に位いさせた。 帝は戎狄が来朝し臣従するようになったのは、側近の補佐がすぐれているからと考えて、その功を後世にのこすために麒麟閣に肖像と名を描かせた。ただ霍光だけは名を書かず、大司馬・大將軍・博陸侯、姓霍氏と記した。次いで張安世・韓増・趙充國・魏相・丙吉・杜延年・劉・梁丘賀・蕭望之・蘇武に至るまであわせて十一人、皆功績徳望が高く、名を知られた者たちであった。 藩臣 藩はかきね、まがき。天子を守る垣根になるの意。 麒麟閣 未央宮の中にある https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/90 十八史略 2011-02-22 17 36 00 | 十八史略 十八史略 宣帝崩ず。 帝在位、改元者七、曰本始・地節・元康・神爵・五鳳・甘露・黄龍。凡二十五年。崩。葬杜陵。帝興於閭閻、知民事之艱難、精爲治。樞機周密。品式備具。拜刺史・守・相、輒親見問。常曰、民所以安其田里、而無歎息愁恨之聲者、政平訴理也。與我共此者。其惟良二千石乎。以爲太守吏民之本。數變易、則民不安。故二千石有治理效、輒以璽書勉、秩賜金。公卿缺、則選諸所表、以次用之。漢世良吏、於是爲盛。信賞必罰、綜核名實。政事・文學・法理之士、咸精其能、吏稱其職、民安其業。遭値匈奴衰亂、推亡固存、信威北夷。單于慕義、稽首稱藩。功光祖宗、業埀後裔。可謂中興高宗・周宣矣。太子即位。是爲孝元皇帝。 帝、位に在り、改元する者(こと)七。本始・地節・元康・神爵・五鳳・甘露・黄龍と曰(い)う。凡(すべ)て二十五年。崩ず。杜陵(とりょう)に葬る。帝、閭閻(りょえん)より興り、民事の艱難を知り、精を励まし治を為す。枢機周密(すうきしゅうみつ)にして、品式(ひんしき)備具(びぐ)す。刺史・守・相を拝するとき、輒(すなわ)ち親しく見て問う。常(かつ)て曰く、民の其の田里に安んじて、歎息愁恨の声無き所以の者は、政(まつりごと)平らかに、訟(うったえ)理(おさ)まればなり。我と此を共にする者は、其れ惟(ただ)良二千石(せき)か、と。以為(おも)えらく、太守は吏民の本なり。数しば変易(へんえき)すれば、則ち民安んぜず、と。故に二千石、治理の効有れば、輒ち璽書(じしょ)を以て勉励し、秩を増し金を賜う。公卿(こうけい)欠くれば、則ち諸々の表する所を選び、次(じ)を以て之を用う。漢の世の良吏、是に於いて盛んなりと為す。信賞必罰、名実を綜核す。政事・文学・法理の士、咸(みな)其の能を精(くわ)しくし、吏は其の職に称(かな)い、民は其の業に安んず。匈奴の衰乱に遭値(そうち)し、亡を推(お)し存を固くし、威を北夷(ほくい)に信(の)ぶ。単于、義を慕い、稽首(けいしゅ)して藩(はん)と称す。功は祖宗(そそう)に光り、業は後裔に垂(た)る。中興、徳を高宗・周宣に(ひと)しうすと謂う可し。太子、位に即く。是を孝元皇帝と為す。 閭閻 共に村の門、民間の意。 枢機 重要なところ、枢は戸の心棒、機は弩弓の弾き。 周密 行き届くこと。品式 品章程式 規則と方式。 刺史 地方監察官。 守 郡の行政官。 常 嘗てと同じ。 良二千石 二千石は守・相の俸禄、善良な地方長官の意。(我が国で知事を良二千石ということがある) 璽書 璽は玉璽、天子の印章が捺してある文書。 綜核 綜はくくる、核はあきらかにすること。 遭値 共に出会う意。 信 伸びる、伸ばす。 稽首 首が地に着くほど体を屈して拝すること。 祖宗 創業の祖と中興の祖。 高宗・周宣 殷の高宗と周の宣王 十八史略 徳を高宗・周宣に(ひと)しうすと謂う可し 2011-02-24 10 52 57 | 十八史略 前回のつづき 宣帝の在位中、年号を改めること七回、本始・地節・元康・神爵・五鳳・甘露・黄龍がそれで二十五年間であった。崩御して長安の南、杜陵に葬った。宣帝は市井から見出されて立ち、人々の苦しみをよく知っていたので、力を尽くして政治を行った。重要な点は周到に、制度方式も整備した。刺史・守・相を任命するときはその都度、親しく会って政道について下問された。嘗て「人民がその村里に安心して生活し、ため息をついたり、愁いや恨み言をいわないのは、政治が公平で訴訟も正しく行われているからに相違ない。私と供にその任務を果たせるのは、そなたのような善良な地方官なのだよ」と言った。また太守はその郡の役人や人民の中心であるから、頻繁に交代させては人々が安心して生活ができないと考えて、治績をあげた地方官にはその都度詔書を送って励まし、あるいは知行を増したり、黄金を贈ったりした。そして朝廷の高官で欠員が生じた場合は、さきに表彰した者から選び順次挙げ用いた。かくて漢代の良吏は宣帝の治世に最も多く輩出したといわれる。宣帝は功ある者は必ず賞し、罪ある者は必ず罰し、評判と実像を総合して見極めるようにした。政治、学問、法律に携わる者はその長所を発揮し、役人はその地位にかなって、民が安心してその家業にいそしむことができた。 たまたま匈奴が衰え乱れ立った時期に出会い、すでに亡びようとしている国は倒し、存続すべき国は保護して、漢の威光を匈奴一帯に示し広めた。単于は宣帝の義を慕って頭を地に垂れて、みずから漢室を守る臣下と称するようになった。宣帝の功績は祖先にまでも光り輝き、大業は子々孫々までも伝えられるもので、漢の中興に於いてその徳は殷の高宗、周の宣王に並ぶべきものといえよう。 太子が位に即いた。これが孝元皇帝である。 十八史略 2011-03-01 11 10 21 | 十八史略 孝元皇帝名奭。初爲太子、柔仁好儒。見宣帝所用、多文法吏、以刑名縄下。嘗燕、從容言、陛下持刑太深。宜用儒生。宣帝作色曰、漢家自有制度。本以覇王道雜之。奈何純任教、用周政乎。且俗儒不達時宜、好是古非今、使人眩於名實不知所守。何足委任。乃歎曰、亂我家者太子也。宣帝少、依太子母家許氏。許后以霍氏毒死。故弗忍廢太子。至是即位。 初元元年、立皇后王氏。 孝元皇帝名は奭(せき)。初め太子たりとき、柔仁(じゅうじん)にして儒を好む。宣帝の用うる所を見るに、文法の吏多く、刑名を以って下(しも)を縄(ただ)す。嘗て燕(えん)するとき、従容として言う、陛下刑を持すること太(はなは)だ深し。宜しく儒生を用うべし、と。宣帝色を作(な)して曰く、漢家自から制度あり。本より覇王の道を以って之に雑(まじ)う。奈何(いかん)ぞ純(もっぱ)ら徳教に任じて、周の政を用いんや。且つ俗儒は時宜に達せずして、好んで古を是とし今を非とし、人をして名実に眩(げん)して守る所を知らざらしむ。何ぞ委任するに足らんや、と。乃(すなわ)ち歎じて曰く、我が家を乱る者は太子なり、と。 宣帝少(わか)きとき、太子の母家の許氏に依る。許后、霍氏の毒を以って死す。故に太子を廃するに忍びざりしなり。是(ここ)に至って位に即く。 初元元年、皇后王氏立つ。 孝元皇帝(元帝)は名を奭という。太子であった時から、温和柔順で仁愛に富み、儒学を好んだ。宣帝の用いる者を見ると、司法に関与する役人が多く、刑名の法に基づいて臣下を糺してきた。ある時、酒宴の席上で、おもむろに申し上げた。「陛下は大変仕置きを厳しくなさっておいでですが、聖人の道を説く儒生を登用されてはいかがでしょうか」と。宣帝は顔色を変えて「漢家には漢家の制度がある、それは覇道と王道を交えもちいている。道徳の教化に頼る周代の政治に倣うことがあろうか。それに儒者どもは時勢の変化について行けず、昔を良しとし、今を悪いと決めつける、建前と実状とについて人を惑わし何に従い何を守るべきかを知らせない。そんな者に政治を委ねることなど出来ようか」さらに歎息して「わが漢家を衰え乱す者はおそらく太子であろう」と言った。 宣帝は若い頃、太子の母(宣帝の后)の実家の許氏に身を寄せていた。ところが許后は霍氏によって毒殺されたので不憫に思い廃位に踏み切れなかった。かくて宣帝が崩御すると太子が位に即いた。 初元元年(前48年)、王氏を立てて皇后とした。 文法 法律。 刑名 刑は形に通じ、行い。名は言で言行。 言行の一致を要求し、それにより賞罰することを政治の根幹とする法家の学説。 燕 宴に同じ。 覇王 力で統治するのが覇道、徳で統治するのが王道。 十八史略 蕭望之・周堪・劉更生を獄に下し、庶人と為す。 2011-03-03 09 34 11 | 十八史略 二年、下蕭望之・周堪及宗正劉更生獄皆免爲庶人。時吏高以外屬領尚書事。望之・堪副之。二人帝師傅。數言治亂、陳正事、選更生給事中、與侍中金敞、竝拾遺左右。四人同心謀議。史高充位而已。由是與望之有隙。 二年、蕭望之(しょうぼうし)・周堪(しゅうかん)及び宗正(そうせい)の劉更生(りゅうこうせい)を獄に下し、皆免じて庶人と為す。時に史高(しこう)、外属を以って尚書の事を領す。望之・堪、之に副たり。二人は帝の師傅(しふ)なり。数しば治乱を言い、正事を陳(ちん)し、更生を給事中(きゅうじちゅう)に選び、侍中(じちゅう)の金敞(きんしょう)と、並びに左右に拾遺(しゅうい)せしむ。四人心を同じうして謀議す。史高は位に充つるのみ。是に由(よ)って望之と隙(げき)有り。 初元二年(前47年)に蕭望之と周堪および宗正の劉更生を獄吏におくり、罷免したうえで身分を庶人に落とした。当時、史高が外戚として尚書の事務を執っていた。蕭望之と周堪は共に副官となっていた。二人は元帝の師であり、守り役でもあったので、しばしば国家の治乱について言上し、正しいことを陳(の)べ、劉更生を給事中の官に推薦し、侍中の金敞と共に、帝の左右にあって過ちを正させた。この四人が心を一つにして何事をも相談したから、史高は名前だけ連ねているだけであった。このため史高と望之とは仲が悪かった。 宗正 皇族の諸事を掌る官。 尚書事 内閣の事務を掌る。給事中 上奏の取次ぎ及び顧問役。 拾遺 遺失したものを拾う。天子の見落としたものを拾う、つまり天子を諫言すること。 十八史略 宦官石顯台頭す 2011-03-05 11 32 46 | 十八史略 中書令弘恭、僕射石顯、自宣帝時、久典樞機。及帝即位多疾。以顯中人無外黨、遂委以政事、事無大小、因顯白欠。貴幸傾朝、百僚皆敬事顯。顯巧慧習事、能深得人主微指。内深賊持詭辯、以中傷人、與高表裏。望之等患外戚許・史放從、又疾恭・顯擅權、建白。以爲、中書政本、國家樞機。宜以通明公正處之。武帝遊宴後庭、故用宦者。非古制也。宜罷中書宦官、應古之不近刑人之義。上不能從。 中書令の弘恭、僕射(ぼくや)の石顯(せきけん)は宣帝の時より、久しく枢機を典(つかさど)る。帝、位に即くに及び多疾なり。顕の中人にして外党無きを以って遂に委するに政事を以ってし、事大小と無く、顕に因(よ)って白決(はっけつ)す。貴幸、朝(ちょう)を傾け、百僚皆顕に敬事す。顕、巧慧(こうけい)にして事に習い、能く人主の微指を探得(たんとく)す。内深賊(しんぞく)にして詭弁を持し、以って人を中傷し、高と表裏す。望之等、外戚許・史の放縦(ほうしょう)なるを患い、又恭・顕の権を擅(ほしいまま)にするを疾(にく)んで、建白す。以為(おも)えらく、中書は政の本(もと)、国家の枢機なり。宜しく通明公正を以って之に処(お)くべし。武帝は後庭に遊宴す、故に宦者(かんじゃ)を用う。古制に非ざるなり。宜しく中書の宦官を罷(や)め、古の刑人を近づけざりしの義に応ずべし、と。上、従う能わず。 中書令の弘恭と僕射の石顕は宣帝の時から久しく政治の枢要にあった。宣帝は即位以来病気がちであった。ところが石顕は宦官で一族係累がいないというので気を許して、次第に政治を任せ、事の大小を問わず全て石顕の奏上によって決するようになった。帝の恩寵は石顕の一身に集まり、百官みな顕を敬い仕えた。顕は知恵才覚に富み抜け目がなく、よく帝の微かな意中を察することができた。しかし内心は陰険で詭弁を弄して人を貶(おとし)めた。石顕と史高は宮中と朝廷と表裏一体となって気脈を通じていた。蕭望之らは、外戚の許延寿や史高の放縦をうれい、弘恭と石顕が権力を専(もっぱ)らにするのを悪(にく)んで、帝に建白書をたてまつって「思いますに、中書は政治の根本で、国家の枢機を扱っています時勢に明らかで公正な人物がその官に就くべきです。武帝はよく後宮で遊宴をされておられましたので、宦官を用いられましたが、これは古の制ではありません。どうか中書にいる宦官を罷免して古の帝が宮刑を受けた者を近づけられなかった道理に適うようになさってください」と。しかし元帝はこの措置をとることができなかった。 中書令 宮中の書記を総括する。 僕射 尚書僕射、宰相の一。 中人 宮中の宦官、この時代から権力に関わってきた。 外党 宮中外の徒党。 白決 白は申し上げる、奏上して裁決すること。 十八史略 蕭望之鴆(ちん)を飲んで自殺す。 2011-03-08 12 00 51 | 十八史略 恭・顯奏。望之・堪・更生、朋黨相稱譽、數譖詐大臣、毀離親戚、欲以專檀權勢、爲不忠。誣上不道。請謁者召致廷尉。時上初即位、不省召致廷尉爲送獄、可其奏。後上召堪・更生。曰、繋獄。上大驚曰、非但廷尉問邪。令出視事。恭・顯使高説上、竟罷免。後上復徴堪・更生爲中郎、且欲以望之爲相。恭・顯・許・史皆側目。知望之素高節不詘辱詘、建白。望之不悔過服罪。深懐怨望、自以託師傅、終不坐。非頗屈望之於獄、塞其怏怏心、則聖朝無以施恩厚。上曰、太傅素剛。安肯就吏。顯等曰、人命至重。望之所坐、語言薄過。必無所憂。令謁者召望之、因急發執金吾軍騎、馳圍其第。望之飲鴆自殺。 恭・顯奏す。望之・堪(かん)・更生、朋党相称誉(しょうよ)し、数しば大臣を譖詐(しんさ)し、親戚を毀離(きり)し、以って専ら権勢を檀(ほしいまま)にして、 不忠を為さんと欲す。上(しょう)を誣(し)うるは不道なり。請う謁者をして召して廷尉に致さしめん、と。時に上、初めて位に即き、召して廷尉に致すとは獄に送ることたるを省(せい)せずして、其の奏を可とす。後に上、堪・更生を召す。曰く、獄に繋ぐと。上、大いに驚いて曰く、但だ廷尉の問うのみに非ざるか、と。出でて事を視しむ。恭・顯、高をして上に説かしめ、畢(つい)に罷免す。後に上復た堪・更生を徴(め)して中郎と為し、且つ望之を以って相と為さんと欲す。恭・顯・許・史皆目を側(そばだ)つ。望之の素(もと)より高節にして詘辱(くつじょく)せられざるを知って、建白す。望之、過を悔いて罪に服せず。深く怨望(えんぼう)を懐いて、自ら以って師傅(しふ)に託し、終に坐せられずとなす。頗る望之を獄に屈して、其の怏怏(おうおう)の心を塞ぐに非ずんば、則ち聖朝以って恩厚を施す無からん、と。上の曰く、太傅もとより剛なり。安(いず)くんぞ肯(あえ)て吏に就(つ)かんや、と。顕等曰く、人命は至重なり、望之の坐する所は、語言の薄過(はくか)なり、必ず憂うる所無からん、と。謁者をして望之を召さしめ、因(よ)って急に執金吾(しっきんご)の軍騎を発し、馳せてその第(てい)を囲む。望之、鴆(ちん)を飲んで自殺す。 十八史略 蕭望之鴆(ちん)を飲んで自殺す(通釈) 2011-03-10 09 00 23 | 十八史略 弘恭・石顕の二人が帝に「蕭望之・周堪・劉更生は徒党を組んで互いに誉めあい、度たび大臣を讒訴(ざんそ)し、皇族を仲違いさせて自分たちで思うままにして不忠をはたらこうとしています。陛下をあざむくことは道にはずれたことであります、謁者に命じて廷尉に引き渡させたく存じます」と奏上した。時に元帝は即位したばかりで、召し出して廷尉に引き渡すとは獄に送ることとは気づかず、その奏上を裁可した。後に帝が周堪と更生とを召し出そうとしたところ、牢につながれているとの返事に大いに驚いて「廷尉が取り調べるだけではないのか」と言った。すぐに牢から出して政務を執らせた。しかし弘恭と石顕の二人は史高を通じて帝を説得して、とうとう三人を罷免してしまった。その後元帝は再び周堪と劉更生を召して中郎とし、さらに蕭望之を宰相にしようとした。弘恭・石顕・許延寿・史高の四人は横目で見合って危ぶんだ。そして望之が生来気骨が高く、屈辱に耐えられない質であることを知ってこう建議した「望之は過ちを悔い罪に服そうとはせず深く怨みを抱いており、自分は帝の師傅であったことを頼みに結局罰せられないと思っているようです。少しく獄に留め置き不平不満を懲らさねば、聖朝の恩沢をあまねく施すとは申せません」元帝は「太傅蕭望之はもとより剛直な性質である。どうして獄吏の手にかかることを承服しようぞ」と。石顕等は「人の命はきわめて重く、望之の罪は言葉の上の僅かな過失です、ご心配には及びません」と、そこで取り次ぎ役を遣って望之を召させ、一方執金吾の兵を出し、蕭望之の邸をとり囲んだ。望之ははたして鴆毒を飲んで自殺した。 譖詐 かげ口を言ってそしる。 毀離 仲違いさせる。 誣うる あざむく。 謁者 客の取次ぎをする者。 出でて事を視しむ 獄舎から出して政務を執らせた。 中郎 宿衛の事を掌る官。 詘辱 屈辱に同じ。 師傅 もり役。 怏怏 不平の気持ち。 執金吾 宮門警護 金は武器、吾は禦(ふさ)ぐ。鴆 毒鳥、羽を浸した酒を飲むと死ぬという。 十八史略 我が道を得て身を亡ぼさん者は、京生ならん 2011-03-12 17 25 48 | 十八史略 先ず東北地方太平洋沖地震に罹災された方と不幸にして亡くなられた方に哀悼の意をささげます。 弘恭死。石顯爲中書令。 五年、匈奴郅支單于漢使者、西走康居。 永光元年、匈奴呼韓邪單于北歸庭。 建昭二年、殺魏郡太守京房。房學易於焦延壽。延壽嘗曰、得我道以亡身者、京生也。爲郎屢言災異有驗。嘗宴見言事、意指石顯。顯奏出之、尋徴下獄、棄市。 弘恭死す。石顕中書令と為る。 五年、匈奴の郅支(しっし)単于、漢の使者を殺して、西のかた康居に走る。 永光元年、匈奴の呼韓邪(こかんや)単于、北のかた庭(てい)に帰る。 建昭二年、魏郡の太守京房(けいぼう)を殺す。房、易を焦延壽(しょうえんじゅ)に学ぶ。延壽嘗て曰く、我が道を得て以って身を亡ぼさん者は、京生ならん、と。郎と為り、しばしば災異を言いて験有り。嘗て宴見(えんけん)して事を言い、意、石顕を指す。顕奏して之を出だし、尋(つ)いで徴(め)して獄に下し、棄市す。 弘恭が死んで、代わって石顕が中書令になった。 初元五年(前44年) 匈奴の郅支単于が漢の使者を殺して、西方の康居に逃げた。 永光元年、匈奴の呼韓邪単于が北方の自分の領土に帰った。 建昭二年、魏郡の太守京房を処刑した。京房は、焦延壽から易を学んだが、ある時延壽が「わたしの易学を体得して、そのために身を亡ぼす者がいたとすれば、それは京房であろう」ともらした。京房は郎中になり、数しば天災地異を言い当てた。ある時、元帝の暇な折りに謁見して、或ることを予言したが、暗に石顕をほのめかす意味が込められていた。石顕は奏上して朝廷から追い出し、間もなく呼び出して投獄したのち、処刑して市中にさらした。 康居 西域の国の名。 郎 郎中、天子近侍の官、宴見 宴はくつろぐ。棄市 殺して屍を市中にさらすこと。 十八史略 牢か石か五鹿の客か 2011-03-15 10 07 39 | 十八史略 顯威權日盛。與中書僕射牢梁、少府五鹿充宗、結爲黨友。諸附倚者得寵位。民歌之曰、牢邪石邪、五鹿客邪、印何纍纍、綬若若邪。 三年、西域副校尉陳湯、矯制發兵、與都護甘延壽、襲撃郅支單于於康居斬之。四年春、傳首至京。縣藁街十日。 顕の威権日に盛んなり。中書僕射の牢梁(ろうりょう)、少府の五鹿充宗(ごろくじゅうそう)と結んで党友となる。諸々の附倚(ふい)する者寵位を得たり。民之を歌いて曰く、 牢か石か五鹿の客か、印何ぞ累累(るいるい)たる、綬(じゅ)若若(じゃくじゃく)たるか、 三年、西域の副校尉陳湯(ちんとう)、制と矯(いつわ)り兵を発して、都護の甘延壽と郅支(しっし)単于を康居に襲撃して之を斬る。四年春、首を伝えて京(けい)に至る。藁街(こうがい)に縣くること十日なり。 石顕の威光権勢は日増しに盛んになり、中書僕射の牢梁と少府の五鹿充宗らと徒党を組んだ。そしてこれらにおもねり従う者が位を得た。人々はこの事を歌にして「牢か石か五鹿の客か、印は累るい、綬は長ながと」と歌った。 建昭三年、西域の副校尉の陳湯が勅命と偽って兵を動かし、都護の甘延寿とともに康居にいた郅支単于を襲撃して之を斬り殺した。翌年の春、その首を都に送り匈奴の居留区に十日間さらした。 少府 宮中の衣服・宝物・食事をつかさどる。 印 官印 綬 印のひも 十八史略 王昭君、呼韓邪單于に降嫁す 2011-03-17 10 11 01 | 十八史略 竟寧元年、呼韓邪單于來朝、願婿漢。以後宮王嬙字昭君賜之。 帝崩。在位十六年。改元者四。初元・永光・建昭・竟寧。帝雖喜儒術、得韋玄成・匡衡爲相、無相業、帝徒優游不斷、漢業衰焉。太子即位。是爲孝成皇帝。 竟寧(きょうねい)元年、呼韓邪(こかんや)単于来朝し、願わくは漢に婿(むこ)たらん、と。後宮の王嬙(おうしょう)字は昭君を以って之に賜う。 帝崩ず。在位十六年。改元する者(こと)四。初元・永光・建昭・竟寧。帝儒術(じゅじゅつ)を喜び、韋玄成・匡衡を得て相と為すと雖も、相業なく、帝徒(いたずら)に優游不断(ゆうゆうふだん)にして、漢業衰う。太子位に即く。是を孝成皇帝となす。 竟寧元年(前33年) 呼韓邪単于が来朝して、漢室の女婿(むすめむこ)になりたいと願いでた。そこで後宮の王嬙、字は昭君を皇女として賜った。 この年元帝が亡くなった。在位十六年。改元すること四。初元・永光・建昭・竟寧である。元帝は儒者の道を好み、韋玄成・匡衡を丞相にしたが、この二人は丞相としての功績はなく、帝もきわめて優柔不断であった。そのため漢の帝業は衰退した。太子が即位した。これを孝成皇帝(成帝)という。 王昭君については有名な伝説があるが、ここでは触れない。李白の五言絶句と 我が朝の凌雲集より七言絶句を紹介する。 王昭君 李白 昭君玉鞍(ぎょくあん)を払い 馬に上って紅頬(こうきょう)啼く 今日(こんにち)漢宮の人 明朝胡地(こち)の妾(しょう) 王昭君 滋野貞主(しげののさだぬし) 朔雪(さくせつ)翩翩として沙漠暗く 辺霜惨烈として隴頭(ろうとう)寒し 行く行く常に望む長安の日 曙色(しょしょく)東方看るに忍びず 朔雪 北方から吹き付ける雪。 隴頭 長安の西方隴山のほとり 十八史略 黄霧(こうむ)四(よも)に塞がる。 2011-03-19 11 57 45 | 十八史略 孝成皇帝名驁。母王氏、生帝於甲觀。少好經書。其後幸酒樂燕樂。元帝時爲太子幾廢。頼史丹伏青蒲、涕泣諌止。至是即位、尊王氏爲皇太后、以元舅王鳳、爲大司馬大將軍、領尚書事。 建始元年、石顯以罪免歸、道死。 封舅王崇爲安成侯、賜譚・商・立・根・逢時爵關内侯。黄霧四塞。 孝成皇帝名は驁(ごう)。母は王氏、帝を甲観に生む。少(わか)き時経書(けいしょ)を好む。その後、酒楽(しゅがく)を幸(こう)して燕楽(えんらく)す。元帝の時太子と為り、幾(ほとん)ど廃せられんとす。史丹、青蒲(せいほ)に伏し、涕泣(ていきゅう)して諌むるに頼(よ)って止む。是(ここ)に至って位に即き、王氏を尊んで皇太后と為し、元舅(げんきゅう)の王鳳を以って、大司馬大将軍と為し、尚書の事を領せしむ。 建始元年、石顕罪を以って免ぜられて帰り、道に死す。 舅の王崇を封じて安成侯と為し、譚・商・立・根・逢時に爵関内侯を賜う。黄霧(こうむ)四(よも)に塞がる。 孝成皇帝名は驁といい、母は王氏で、成帝を太子の宮殿の甲観で生んだ。若い時は経書を好んだが、その後酒と音楽に気が向き、酒宴に耽るようになった。元帝の時太子に立ったが、ほとんど廃位されようとした。史丹という者が元帝の寝室にまで入り、玉座のそばにひれ伏して泣いて諌めたので廃せられずに済んだ。元帝がなくなって即位するや、母の王氏を皇太后とし、母の長兄の王鳳を大司馬大将軍に任じ尚書の政務をまかせた。 建始元年に石顕が罪によって罷免されて郷里に帰ったが、途中で死んだ。 皇太后の弟の王崇を安成侯とし、同族の王譚・王商・王立・王根・王逢時の五人に関内侯の爵位を授けた。この日、不吉な黄色の霧が四方にたちこめた。 経書 四書五経の類。 燕楽 宴楽。 青蒲 青い蒲で織った敷物。 元舅 母方の伯父で一番年長者 十八史略 趙飛燕皇后に立つ 2011-03-22 12 02 55 | 十八史略 19日と同じものを入れてしまったので再送しました。 河平二年、悉封諸舅爲列侯。 陽朔三年、王鳳卒。王音爲大司馬、王譚領城門兵。 鴻嘉四年、王譚卒、王商領城門兵。 永始元年、封太后弟之子莽、爲新都侯。 立皇后趙氏。名飛燕。女弟合爲婕。 二年、王音卒、王商爲大司馬。 河平二年、悉(ことごと)く諸舅(しょきゅう)を封じて列侯と為す。 陽朔(ようさく)三年、王鳳卒す。王音(おういん)大司馬と為り、王譚(おうたん)城門の兵を領す。 鴻嘉(こうか)四年、王譚卒し、王商城門の兵を領す。 永始元年、太后の弟の子の莽(もう)を封じて、新都侯と為す。 皇后趙氏を立つ。名は飛燕。女弟の合徳を婕(しょうよ)と為す。 二年、王音卒し、王商大司馬と為る。 河平二年(前27年)皇太后の兄弟をすべて列侯に封じた。陽朔三年(前22年)王鳳が死んだ。王音が大司馬となり、王譚が宮城の衛兵を統括した。 鴻嘉四年(前17年)、王譚が死に、王商が代わって衛兵を統括した。 永始元年(前16年)、太后の弟の子王莽を新都侯に封じた。 趙飛燕を皇后に立てた。妹の合徳も婕として宮中にいれた。 二年、王音が死に、王商が大司馬となった。 女弟 妹のこと。 婕 高位の女官。 十八史略 願わくはその景を察せよ 2011-03-24 09 06 58 | 十八史略 故南昌尉梅福、上書曰、方今君命犯、而主威奪。外戚之權、日以盛。陛下不察其形、願察其景。建始以來、日食・地震、三倍春秋、水災無與比數。陰盛陽微、金鐡爲飛。此何景也。書上。不報。 四年、王商卒、王根爲大司馬。 故(もと)の南昌の尉、梅福、上書して曰く、方今(ほうこん)君命犯されて、主威奪わる。外戚の権、日に以って益々盛んなり。陛下其の形を察せずんば、願わくは其の景(かげ)を察せよ。建始以来、日食・地震、春秋に三倍し、水災与(とも)に比数(ひすう)する無し。陰盛んにして陽微に、金鉄ために飛ぶ。此れ何の景(かげ)ぞやと。書上(たてまつ)る。報ぜず。 四年、王商卒し、王根大司馬と為る。 もとの南昌の尉の梅福が帝に書をたてまつってこう言った「昨今帝の命令は犯されて、君主の威厳が損なわれております。そして外戚の権勢は日増しに盛んになってきております。陛下にはその実態を察しておられないならば、どうかそれに起因する天変地異を察知してください。建始以来起こった日蝕や地震は春秋の世に三倍しており、水害などは比べようもありません。陰の気が盛んで陽の気が衰え、鉄が飛び散ったこともありました。これは一体何の現れでありましょう」と。書は上呈されたが、何の沙汰もなかった。 永始四年、王商が死んで王根が大司馬となった。 金鉄ために飛ぶ 鉄を鋳込んだとき空高く飛び散ったことがあった。 十八史略 張禹王氏の怨む所となるを恐る 2011-03-26 10 32 46 | 十八史略 安昌侯張禹、以帝師傅、毎有大政、必與定議。時吏民多上書言、災異王氏専政所致。上至禹第、辟左右、親以示禹。禹自見年老子孫弱、恐爲王氏所怨、謂上曰、春秋日食・地震、或爲諸侯相殺、夷狄侵中國。災變之意、深遠難見。故聖人罕言命、不語怪神。性與天道、自子貢之屬不得聞。何況淺見鄙儒之所信。新學小生、亂道誤人。宜無信用。上雅信愛禹。由是不疑王氏。 安昌侯張禹(ちょうう)、帝の師傅(しふ)を以って大政(たいせい)ある毎に、必ず定議に与(あづか)る。時に吏民多く上書して言う、災異は王氏専政の致すところなりと。上(しょう)禹の第(てい)に至って左右を退け、親(みずか)ら以って禹に示す。禹自ら年老い子孫弱きを見て、王氏の怨むる所と為るを恐れ、上に謂って曰く、春秋の日食・地震は、或いは諸侯あい殺し、夷狄中国を侵すが為ならん。災変の意、深遠にして見難し。故に聖人罕(まれ)に命を言い、怪神を語らず。性と天道とは、子貢の属よりして聞くを得ず。何ぞ況(いわん)や浅見鄙儒(せんけんひじゅ)の言う所ならんや。新学の小生、道を乱り人を誤る。宜しく信用するなかるべし、と。上、雅(もと)より禹を信愛す。是に由って王氏を疑わず。 安昌侯の張禹は帝の教導役ということで大事のある毎に評議に加わっていた。その頃、吏民からこういった天災地変は王氏一族の専横に起因するという訴えが多く出されていた。成帝は張禹の屋敷に行き、左右の者を遠ざけて、みずから上書を張禹に見せた。張禹は自分がすでに年老いて、子や孫もまだ非力であることを考えて、王氏に恨まれることを恐れて、帝に言った「春秋の日蝕や地震は諸侯が殺し合ったり、夷狄が中国を侵したためでありましょう。天災地変の理(ことわり)は深遠で測り難いものであります。故に聖人孔子も天命については滅多に口にせず、怪異や鬼神も語られなかったのです。人の本性と宇宙の道理については、子貢のような高弟でも聞くことができませんでした。まして浅学の儒者風情が言うことではございません。学問をはじめたばかりの青二才どもは道を乱し、人を誤らせます。信用なさらぬことです」と。帝はもとより禹を信愛していたので、王氏を疑わなかった。 第 邸に同じ。 罕言命 論語子罕篇(しかんへん)に「子罕(まれ)に利と命と仁とを言う」とある。 親 天子みずから。 雅 つねに、もとからの意 十八史略 朱雲、折檻す 2011-03-29 10 38 00 | 十八史略 龍逢・比干に従って、地下に遊ぶを得ば足れり 故槐里令朱雲、上書求見。願賜尚方斬馬劔、斷佞臣一人頭、以其餘。上問、誰也。對曰、安昌侯張禹。上大怒曰、小臣居下、廷辱師傅。罪死不赦。御史將雲下。雲攀殿檻。檻折。雲呼曰、臣得下從龍逢・比干、遊於地下足矣。未知聖朝如何耳。左將軍辛慶忌、叩頭流血爭之。上意乃解。及當治檻、上曰、勿易。因而輯之、以旌直臣。 故(もと)の槐里(かいり)の令、朱雲、上書して見(まみ)えんことを求む。願わくは尚方(しょうほう)の斬馬剱を賜り佞臣(ねいしん)一人の頭を断って、その余(よ)を励まさんと。上問う、誰ぞやと。対(こた)えて曰く、安昌侯張禹なりと。上、大いに怒って曰く、小臣下(しも)に居り、師傅(しふ)を廷辱(ていじょく)す。罪、死をも赦さず、と。御史、雲を将(ひき)いて下る。雲、殿檻(でんかん)を攀(よ)づ。檻折る。雲呼んで曰く、臣、しも龍逢・比干に従って、地下に遊ぶを得ば足れり。未だ聖朝の如何知らざるのみ、と。左将軍辛慶忌(しんけいき)、叩頭(こうとう)して血を流して之を争う。上の意乃(すなわ)ち解く。当(まさ)に檻を治むべきに及んで、上曰く、易(か)うること勿れ。因って之を輯(あつ)めて、以って直臣を旌(あらわ)せ、と。 もと槐里の県令であった朱雲が上書して拝謁を願い出でて言うには「願わくは、尚方(しょうほう)の斬馬剣を拝領して佞臣一人の首を刎ね、ほかの人達を励ましたと存じます」と。帝は「それは誰か」と問うと、「安昌侯張禹でございます」と答えた。帝は非常に怒って「小臣者が下賤の身でありながら朝廷でわが師傅を辱めたその罪は死んでも赦されぬ」御史が朱雲を引き立ててさがろうとしたが、朱雲は御殿の檻(てすり)にすがりついて、引きはがそうとすると檻が折れた。朱雲は大声で「臣は地下で龍逢・比干に従って遊ぶことができれば満足でございます、ただ朝廷の行く末が知れないのが気がかりでございます」と叫んだ。左将軍の辛慶忌(しんけいき)が頭を床に打ち付け、額に血を流しながら朱雲の助命を嘆願したので成帝も怒りを解いた。その後檻を修理する時になると、「とり易(か)えてはならぬ、木片を集めて元通りにして直諌の臣を表彰せよ」と命じた。 槐里 地名、峡西省にある。 尚方 御物を管理する役所。 檻 欄干。折檻の典拠になった。龍逢 関龍逢、夏の桀王の臣、王を諌めて殺された。比干は殷の紂王の叔父で胸を裂かれて殺された。 十八史略 王莽大司馬となり、成帝崩ず 2011-03-31 14 06 36 | 十八史略 綏和元年、王根病免、王莽爲大司馬。 二年、帝崩。在位二十六年、改元者七、曰建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和。帝有威儀。臨朝若神。然荒于酒色、政在外家。張禹・薛宣・翟方進、爲相、漢業愈衰焉。太子即位。是爲孝哀皇帝。 綏和(すいわ)元年、王根病んで免ぜられ、王莽大司馬と為る。 二年、帝崩ず。在位二十六年、改元すること七、 建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和と曰(い)う。帝、威儀有り。朝に臨んで神の若(ごと)し。然れども酒色に荒(すさ)み、政は外家(がいか)に在り。張禹・薛宣(せっせん)・翟方進(てきほうしん)相と為り、漢業愈々衰う。太子位に即く。是を孝哀皇帝(こうあいこうてい)と為す。 綏和元年(前8年)に王根が病気のため職を免ぜられ、王莽が大司馬になった。 綏和二年に成帝が崩御した。在位すること二十六年、改元すること七度、建始・河平・陽朔・鴻嘉・永始・元延・綏和である。成帝は威厳があり、朝廷に出られたときには神々しいほどであった。しかし酒色に溺れ、政治の実権は外戚の手に握られた。張禹・薛宣・翟方進が宰相になったが、漢室は益々衰えるばかりであった。太子が即位した。これが孝哀皇帝(哀帝)である 十八史略 哀帝 2011-04-02 08 26 41 | 十八史略 孝哀皇帝名欣。定陶恭王康之子、元帝之孫也。祖母傅氏、母丁氏。成帝無子。故立爲太子。至是即位。丁・傅用事罷大司馬莽就第。 建平元年、用夏賀良言。漢歴中衰。當更受天命、宜急改元易號。乃改元太初、更號陳聖劉太平皇帝。尋罷改元更號事、誅夏賀良等。 帝幸董賢。元壽元年、以賢爲大司馬。二年、帝崩。賢自殺。 帝在位七年、改元者二、曰建平・元壽。太皇太后、以王莽爲大司馬、領尚書事、迎中山王即位。是爲孝平皇帝。 孝哀皇帝名は欣。定陶恭王(ていとうきょうおう)康の子、元帝の孫なり。祖母は傅(ふ)氏、母は丁氏。成帝子無し。故に立てて太子と為す。是(ここ)に至って位に即く。丁・傅、事を用い、大司馬莽を罷(や)めて第(てい)に就(つ)かしむ。 建平元年、夏賀良(かがりょう)の言を用う。漢歴中ごろ衰う。当(まさ)に天命を更(あらた)め受くべく、宜しく急に元を改め号を易(か)うべし、と。乃(すな)ち太初と改元し、更に陳聖劉太平皇帝と号す。尋(つ)いで改元更号の事を罷(や)めて、夏賀良等を誅す。 帝、董賢を幸(こう)す。元壽元年、賢を以って大司馬と為す。二年、帝崩ず。賢自殺す。 帝、位に在ること七年、改元する者(こと)二、建平・元壽と曰う。太皇太后、王莽を以って大司馬と為し、尚書の事を領せしめ、中山王を迎えて位に即かしむ。是を孝平皇帝と為す。 孝哀皇帝名は欣といい、 定陶の恭王、康の子で、元帝の孫にあたる。祖母は傅氏、母は丁氏である。成帝に子がなかったので、立てて太子とした。帝が亡くなるに及んで位に即いた。丁氏・傅氏が政権を握り、王莽を罷免して自邸に帰らせた。 建平元年に夏賀良という者が、「漢の運気が衰えかけております。今改めて天命を受けるべく、年号を改め、帝号を変えられるのがよろしいと存じます」と言上した。そこで年号を太初と改元して、更に帝号を陳聖劉太平皇帝とあらためた。ところが一向に効果が無いとして改元、改号のことをとり止め、夏賀良等を誅殺した。 哀帝は董賢というものを寵愛し、元壽元年に、董賢を大司馬とした。二年に、哀帝が」崩御し、董賢は自殺した。 帝は位にあること七年、年号を改めること二度、即ち建平、元壽である。帝の没後、太皇太后(王氏)は、王莽を大司馬にして尚書のことを統括させた。また中山王を迎えて帝位に即かせた。これを孝平皇帝(平帝)という。 十八史略 平帝 2011-04-05 12 59 35 | 十八史略 孝平皇帝名箕子。後更名衎。中山孝王興之子、元帝孫也。哀帝崩、立爲嗣。太皇太后臨朝。大司馬莽秉政。百官總己以聽。元始元年、莽爲安漢公。 四年、聘莽女爲皇后、加安漢公號宰衡、位諸侯王上。 五年、太師孔光卒。成哀以來、光等爲三公、養成漢禍、諂佞成風。上書頌莽者、至四十八萬人。加莽九錫。 孝平皇帝名は箕子(きし)。後に名を衎(かん)と改む。中山(ちゅうざん)の孝王興(こう)の子、元帝の孫なり。哀帝崩じ、立って嗣となる。太皇太后、朝(ちょう)に臨む。大司馬莽、政を秉(と)る。百官己を総(す)べて以って聴く。 元始元年、 莽を安漢公と為す。 四年、莽の女(むすめ)を聘(へい)して皇后と為し、安漢公に号宰衡を加えて、諸侯王の上に位せしむ。 五年、太師孔光卒す。成哀以来、光等、三公と為り、漢の禍を養成し、諂佞(てんねい)、風(ふう)を成す。書を上(たてまつ)って莽を頌(しょう)する者、四十八万人に至る。莽に九錫を加う。 孝平皇帝は名を箕子と言い、のちに衎と改めた。中山の孝王の子で元帝の孫にたる。哀帝が崩御したため帝位を嗣いだ。帝は幼かったので太皇太后が朝廷に臨み、王莽が政務を執った。百官はみな自分の職務について王莽に指図を仰ぐようになった。 元始元年(後1年) 王莽に安漢公の尊号を与えた。 四年、王莽の娘を皇后にし、安漢公に宰衡という号を加えて、諸王、諸侯よりも上の位にした。 五年、太師孔光が死んだ。成帝、哀帝以来、孔光等が三公となって漢のわざわいを醸成し、媚びへつらう風習が蔓延した。それで上書して王莽を讃える者が四十八万人におよび、王莽に九錫(きゅうしゃく)を賜った。 宰衡 その昔、周公は冢宰(ちょうさい)となって成王を補佐し、殷の伊尹(いいん)は湯王を補佐して阿衡と呼ばれた。この二人を合わせ持ったとして与えられた称号。 九錫 天子から賜る九種の品や特典。輿馬、衣服、楽器、虎賁(勇者三百人)、弓矢、鈇鉞(ふえつ=殺生の権)、秬鬯(きょちょう=祭酒)、朱戸(朱塗りの門)、納陛(宮殿内の階段、取り次ぎ無しで直接天子に謁見できる権利)。 十八史略 王莽、平帝を毒殺し孺子嬰を立てる 2011-04-07 11 05 53 | 十八史略 臘日、莽上椒酒於帝、置毒。帝崩。在位六年、改元者一、曰元始。太皇太后詔徵宣帝玄孫嬰、爲皇太子。號曰孺子嬰。莽居攝踐祚、贊曰假皇帝、民臣謂之攝皇帝。 孺子嬰爲嗣之初、是爲王莽居攝元年。劉崇起兵討莽、不克死。 二年、東郡太守翟義、故丞相方進子也。起兵討莽、不克死。 臘日(ろうじつ)、莽、椒酒(しょうしゅ)を帝に上り、毒を置く。帝崩ず。在位六年、改元する者(こと)一、元始と曰(い)う。太皇太后、詔(みことのり)して宣帝の玄孫嬰(えい)を徴(ちょう)して皇太子と為す。号して孺子嬰(じゅし、えい)と曰う。莽、摂(せつ)に居て祚(そ)を践(ふ)み、賛するに仮皇帝と曰い、民臣は之を摂皇帝(せつこうてい)と謂う。 孺子嬰、嗣たるの初め、是を王莽の居摂(きょせつ)元年と為す。劉崇(りゅうしゅう)、兵を起こして莽を討ち克(か)たずして死せり。 二年、東郡の太守翟義(てきぎ)は、故(もと)の丞相方進の子なり。兵を起こして莽を討ち克たずして死せり。 十二月臘祭の日、王莽は椒酒を献上したが、その中に毒を仕込んでいた。それを飲んで平帝が亡くなった。在位六年、改元は一度、元始といった。太皇太后が詔を下し、宣帝の玄孫で二歳の嬰を召し出して皇太子とした。これを孺子嬰という。王莽は摂政でありながら践祚した。また祭祝の辞文には自身を仮皇帝といい、官民は摂政にして帝位に就いたことで摂皇帝といった。 孺子嬰が世嗣となった年を王莽の居摂元年(西暦6年)という。この年、劉崇が兵を起こして王莽を討とうとしたが勝たずに死んだ。 二年に東郡の太守で、もとの丞相の子の翟義が兵を起こして、王莽に敗れて死んだ。 臘日 冬至後第三戌の日に行う猟の獲物を先祖に供える祭り。椒酒 山椒の実に薬種を加え浸した酒。 十八史略 王莽帝位を簒奪し、国号を新と改める 2011-04-09 08 59 59 | 十八史略 初始元年、莽即眞天子位、國號新。更號漢太皇太后、曰新室文母太皇太后。 王莽者王曼之子也。孝元皇后兄弟八人。獨曼早死不侯。莽幼孤。羣兄弟皆將軍、五侯子、乗時侈靡、以輿馬聲色、佚游相高。莽折節爲恭儉、勤身博學、被服如儒生。外交英俊、内事諸父、曲有禮意。封新都侯。爵位尊、節操愈謙。虛譽隆洽、傾其諸父。遂得漢政。哀帝崩、迎立平帝。五年而弑帝、攝位三年、畢簒位、國號新。 初始元年、莽、真天子の位に即き、国を新と号す。漢の太皇太后を更(あらた)め号して、新室文母太皇太后と曰う。王莽は王曼(おうまん)の子なり。孝元皇后 の兄弟(けいてい)八人あり。独り曼、早く死して侯たらず。莽、幼にして孤なり。群兄弟は皆将軍、五侯の子、時に乗じて侈靡(しび)、輿馬(よば)声色を以って、佚游(いつゆう)して相高ぶる。莽、節を折って恭倹をなし、身を勤めて博く学び、被服、儒生の如し。外は英俊に交わり、内は諸父に事(つか)え、曲(つぶさ)に礼意有り。新都侯に封ぜらる。爵位益々尊く、節操愈々謙なり。虚譽隆洽(きょよりゅうこう)なること、その諸父を傾く。遂に漢の政(まつりごと)を得たり。哀帝崩じて、平帝を迎立(げいりつ)す。五年にして帝を弑(しい)し、位に摂すること三年、竟(つい)に位を簒(うば)い、国を新と号す。 初始元年(後8年)に王莽が天子の位に即き、国を新と改めた。また漢の太皇太后も改めて新室文母太皇太后といった。 王莽は王曼の子で、孝元帝の皇后王氏つまり太皇太后には八人の兄弟があったが、王曼だけが早く死んで、諸侯になれなかった。王莽は幼くして孤児となった。多くの従兄弟たちは将軍や五侯の子として時運に乗じて贅沢にふけり、車馬もきらびやかに歌舞や妓楼に遊びほうけていた。王莽だけは身を低く慎み深く振る舞い、勤めて学問をひろく修め、衣服は書生のように質素であった。外にあっては英俊と交わり、内では伯父たちにつかえて礼節をつくした。やがて 新都侯に封ぜられた。さらに爵位が上がるにつれて謙虚にふるまった。虚名はあまねく天下に知れ渡り、その人気は伯父たちを凌ぐようになり、ついに漢の政治の実権を握った。哀帝が崩御して平帝を迎えて擁立し、五年後には毒殺し、摂政となること三年、ついに天子の位を簒奪して、国号を新とした。 https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/85 十八史略 揚雄、閣上より身を投ず。 2011-04-12 14 37 43 | 十八史略 始建國元年、廢孺子嬰爲定安公。 二年、漢太皇太后崩。 天鳳四年、荊州盜起。新市人王匡爲之帥、馬武・王常・成丹往從之、藏於緑林山中。 五年、莽大夫揚雄死。雄字子雲、成帝之世、以奏賦爲郎、給仕黄門、三世不徙官。及莽簒、以耆老久次、轉爲大夫。嘗作太玄・法言、卒章稱莽功、比伊周。後又作劇秦美新之文、以頌莽。劉棻嘗從雄學奇字。棻坐事誅。辭連及雄。時雄校書天禄閣上。使者來欲収之。雄從閣上自投下。莽詔勿問。至是死。 始建国元年、孺子嬰を廃し定安公と為す。 二年、漢の太皇太后崩ず。 天鳳四年、荊州に盜起こる。新市の人王匡、之が帥(すい)と為り、馬武・王常・成丹、往(ゆ)いて之に従い、緑林山中に蔵(かく)る。 五年、莽の大夫揚雄死す。雄、字は子雲、成帝の世、賦を奏するを以って郎と為り、黄門に給仕して、三世、官を徒(うつ)さず。莽の簒(さん)するに及んで、耆老久次(きろうきゅうじ)を以って、転じて大夫と為る。嘗て太玄・法言を作り、卒章に莽の功徳(こうとく)を称して、伊周に比す。後また劇秦美新の文を作り、以って莽を頌(しょう)す。劉棻(りゅうふん)嘗て雄に従って奇字を学ぶ。棻、事に坐して誅せらる。辞、雄に連及す。時に雄、書を天禄閣上に校(こう)す。使者来たって之を収めんと欲す。雄、閣上より自ら投下す。莽、詔(みことのり)して問うこと勿(な)からしむ。是(ここ)に至って死す。 始建国元年(後9年)、孺子嬰を世嗣から廃して定安公とした。 二年、漢の太皇太后が崩じた。 天鳳四年(17年)、荊州に盜賊が起こった。新市の人王匡が首領となり、馬武・王常・成丹、たちがこれに従い、緑林の山中に立てこもった。 五年、王莽の大夫の揚雄が死んだ。雄は字を子雲といい、成帝の世に、賦を奏上して郎中に取り立てられ、殿中の給仕中となった。成帝・哀帝・平帝の三代、官職が変わらなかったが、王莽が帝位を奪うと、老年になるまで久しくその官にあったということで、大夫となった。嘗て易と論語に擬して太玄と法言の二書を著し、その終章で王莽の功徳を称して古の伊尹・周公になぞらえた。後にまた「秦をそしり、新をたたえる」という文章を作り、王莽を賞賛した。劉棻(りゅうふん)という者が、かつて揚雄について周代文字大篆(だいてん)を学んだことがある。その劉棻が罪に問われて誅殺されたが、共述に揚雄の名が挙っていた。揚雄が天禄閣で書物の校正をしていた時に取り調べの使者が身柄を拘束するために来たところ、雄は閣から身を躍らせて死にかけた。王莽は揚雄を問責しないよう詔を下した。それで生き延びてこの年に死んだのである。 緑林 後に盗賊のことを緑林というようになった。 賦 文体の一種、韻文。 黄門 宮城の門、広く宮中の役所の意。 給仕中 下級官吏、奏上の事務などを行う。 耆老久次 老年まで職にあること。太玄・法言 太玄経 易になぞらえた占いの書、宇宙万物の根本を論じた。法言 揚子法言 論語になぞらえて、天道と人道との関係を説く。 卒章 章の終わり。 劇秦美新 秦をそしり新を称える 十八史略 衆兵、莽を誅し首を伝えて更始にいたる。 2011-04-14 10 01 51 | 十八史略 瑯琊樊崇・東海刁子都等兵起。 地皇三年、崇兵自號赤眉。 緑林兵、分爲下江・新市兵。 荊州平林兵起。 漢宗室劉縯、及弟秀、起兵舂陵。新市・平林兵皆附之。明年、諸將共立劉玄爲皇帝。玄舂陵戴侯買之後、與縯秀同高祖。時在平林軍中、號更始將軍。諸將貪其懦弱立之。南面立朝羣臣、以手刮席、羞愧流汗、不能言。大赦改元更始、都于宛。更始元年、劉秀大破莽兵於昆陽。 成紀隗囂兵起。 公孫述起兵成都。 更始遣將破武關。析人曄、起兵迎入長安。衆兵誅莽傳首詣更始。 瑯琊(ろうや)の樊崇(はんすう)・東海の刁子都(ちょうしと)等の兵起こる。 地皇三年、崇の兵自ら赤眉(せきび)と号す。 緑林の兵、分かれて下江・新市の兵と為る。 荊州平林兵起こる。 漢の宗室劉縯(りゅうえん)、及弟秀、兵を舂陵(しょうりょう)に起こす。新市・平林の兵皆之に附く。明年、諸将共に劉玄を立てて皇帝と為す。玄は舂陵の戴侯買(たいこう ばい)の後にして、縯・秀と高祖を同じうす。時に平林の軍中に在り、更始将軍と号す。諸将、其の懦弱を貪って之を立つ。南面に立って群臣を朝(ちょう)せしむるに、手を以って 席を刮(かっ)し、羞愧(しゅうき)して汗を流し、言うこと能(あた)わず。大赦して、更始と改元し、宛(えん)に都(みやこ)す。 更始元年、劉秀大いに莽の兵を昆陽に破る。 成紀の隗囂(かいごう)の兵起こる。 公孫述(こうそんじゅつ)、兵を成都に起こす。 更始、将を遣わして武関を破る。析(せき)の人曄(とうよう)、兵を起こして、長安に迎え入る。衆兵、莽を誅し、首を伝えて更始に詣(いた)る。 この年、瑯琊の樊崇・東海の刁子都等の兵起こった。 地皇三年(22年)、樊崇の兵は自ら眉を赤く染めて赤眉(せきび)と名乗った。 緑林の兵が、分かれて下江と新市の兵となった。 荊州平林の兵が起こった。 漢室の血筋を引く劉縯と弟の劉秀が舂陵に兵を起こした。新市・平林の兵がつき従った。明年、諸将が劉玄を担いで皇帝に立てた。劉玄は舂陵に封ぜられた戴侯買の子孫で劉縯・劉秀とは四代前の先祖が同じである。当時、平林の軍中にあって更始将軍と呼ばれていた。諸将は劉玄が懦弱であることにつけ込んで皇帝にまつりあげたのである。南面して玉座に立ち群臣の拝謁を受けたが手で敷物をさするばかりで羞恥と不安に冷や汗を流すばかりで一言も発することが出来なかった。かくして即位の大赦が行われ、年号を更始と改め、都を宛に定めた。 更始元年(23年) 劉秀が昆陽にて王莽の軍を大破した。 成紀の人隗囂が挙兵した。 公孫述が成都に兵を起こした。 更始皇帝が将を派遣して武関を突破し、析(せき)の人曄が挙兵して呼応し、更始軍を長安に迎え入れた。多くの兵が王莽に襲いかかり、その首を更始帝のもとに送り伝えた 舂陵 湖北省にある。うすづくという字。 高祖 遠い祖先。 刮 こする。 詣 いたる行き着く。 十八史略 謳吟して漢を思うこと久し 2011-04-16 10 31 02 | 十八史略 莽未簒時、更定官名及十二州界、罷置改易、天下多事。更造錯刀・契刀・大錢等貨。既簒位、以劉字卯金刀也、禁剛卯金刀之利、不得行。罷錯刀・契刀・五銖錢等。更名天下田曰王田、不得買賣。男口不盈八、而田過一井、分餘田予九族郷里。故無田者受田。立五均・司市・錢府官、令民各以所業爲貢。更作寶貨。有金銀・龜貝・錢布・五物・六名・二十八品。百姓潰亂、寶貨不行。乃行小錢・大錢。數更變不信。盜鑄及私挾五銖錢者抵罪。於是農商失業、食貨倶廢、民至涕泣市道。後又改貨布・貨泉。毎一易錢、民又大陥犯鑄錢法、檻車鎖頸、傳詣長安者、以十萬數。死什六七。改易制度、政令煩多。四方囂然、謳吟思漢久矣。 莽、未だ簒(さん)せざる時、官名及び十二州の界(さかい)を更定(こうてい)し、罷置改易(ひちかいえき)し、天下多事なり。錯刀(さくとう)・契刀(けいとう)・大銭等の貨を更造(こうぞう)す。既に位を簒(うば)うや、劉の字は卯金刀なるを以って、剛卯(ごうぼう)金刀の利を禁じて、行うを得ざらしむ。錯刀・契刀・五銖銭等を罷(や)む。天下の田(でん)を更名(こうめい)して王田と曰い、買売するを得ざらしむ。男口(だんこう)八に盈(み)たずして、田、一井(いっせい)に過ぐるものは、余田を分って九族郷里に予(あた)えしむ。故に田無きものも田を受く。五均・司市(しし)・銭府の官を立て、民をして各々業とする所を以って貢(こう)を為さしむ。宝貨を更作(こうさく)す。金銀・亀貝(きばい)・銭布・五物・六名(りくめい)・二十八品有り。百姓(ひゃくせい)潰乱(かいらん)し、宝貨行われず。乃(すなわ)ち小銭・大銭を行う。数しば更変して信ならず。盗鋳するもの、及び私(ひそか)に五銖銭(ごしゅせん)を挟む者は罪に抵(いた)る。是に於いて農商、業を失い、食貨俱(とも)に廃(すた)れ、民、市道に涕泣するに至る。後又貨布・貨泉(かせん)を改む。一たび銭を易(か)うる毎に、民また大いに鋳銭法を陥犯(かんはん)し、檻車鎖頸(さけい)、伝(でん)して長安に詣(いた)る者、十万を以って数う。死するもの什に六七なり。制度を改易し、政令煩多なり。四方囂然(ごうぜん)、謳吟して漢を思うこと久し。 十八史略 謳吟して漢を思うこと久し。 2011-04-19 12 16 49 | 十八史略 王莽がまだ帝位を奪わなかった時、官の名称や十二州の境界を、廃止したり新設したり、天下は多事であった。また錯刀・契刀・大銭等の貨幣を新たに鋳造した。やがて位を奪うと、漢室の姓である劉の字は卯と金と刀とで成り立っているとして、印章の剛卯と、貨幣の金刀の使用を禁じて、使うことが出来ないようにした。さらに錯刀・契刀・五銖銭なども廃止した。天下の田地を改称して「王田」と呼び、売買を禁止し、男子の数が八人に満たない家で、田地が一井(九百畝)を過ぎる者はその余分の田地を分けて、親族や郷党に与えさせた。でそれで今まで田地の無かった者が田地を持つことができた。五均・司市・銭府といった役所をつくり、民がそれぞれ生業とするもので年貢を納めさせるようにした。貨幣をすべて改めた。金銀、亀、貝、銭、布の五物、六名、二十八品に分類された。あまりの煩雑さで人々が混乱し、貨幣が通用しなくなって小銭、大銭を流通させた。あまり数しば変更したので信用がなくなった。偽造する者や、廃止した五銖銭を密かに所持する者は罪に問うことにした。このようになって農民も商人も仕事を失い、食物、貨幣ともに流通が止まって、人々は道端に泣き叫ぶばかりとなった。後にまた貨布、貨泉を改めた。一たび貨幣を改める度に、民は私鋳を禁ずる法に触れる者が続出し、護送車に乗る者、首を鎖で繋がれて長安に送られる者が十万以上におよび、その十人に六、七人が命を落とした。制度を度々変え、政令も煩瑣をきわめたので天下は騒然となり、人々は歌に託して漢の世を懐かしく思い続けた。 剛卯 毎年一月の卯の日に印章を佩びて厄除けをする習わしがあった。 五均 市場の物価を調整する役所で長安ほか五箇所に設けた 司市 四季ごとに標準価格を定める。 銭府 低利で金銭を貸し付ける官。 五物 貨幣の材料となる金銀銅亀貝。六名 黄金、銀貨、亀甲、貝貨、銭貨、布貨。二十八品 金貨は一、銀貨は二種、亀貨は四種、貝貨は五種、銭貨は六種、布貨は十種、計二十八品種。 貨布 鋤や鍬をかたどった青銅製の貨幣。貨泉 円形方形孔の銅銭で貨泉の二字を刻した。 十八史略 天、徳を予に生ず、漢兵其れ予を如何せん 2011-04-21 08 42 06 | 十八史略 歳旱蝗。人相食、遠近兵起。莽以五石銅鑄威斗、如北斗状。欲以厭勝衆兵、出入使人負之以行。至漢兵入宮、猶旋席、随斗柄而坐曰、天生於予。漢兵其如予何。斬首漸臺。軍人分其身、節解臠之。自簒至亡、改元者三、曰始建國・天鳳・地皇。凡十五年。莽傳首至宛。更始自宛遷都洛陽。父老見司隷校尉官屬、或垂涕曰、不圖、今日復見漢官威儀。 更始元年、遷都長安。 赤眉攻長安。明年、赤眉入。更始出奔。已而降赤眉、爲所殺。自立至亡、凡三年。前數月、大司馬秀已即位於河北。是爲世祖光武皇帝。 歳(とし) 旱蝗(かんこう)あり。人相食(は)み、遠近兵起こる。莽、五石銅を以って威斗(いと)を鋳(い)、北斗の状の如くす。以って衆兵を厭勝(えんしょう)せんと欲し、出入に人をして之を負って以って行かしむ。漢兵、宮に入るに至っても、猶席を旋(めぐ)らし、斗柄(とへい)に随って坐して曰く、天、徳を予(われ)に生ず。漢兵其れ予を如何せん、と。首を漸台(ぜんだい)に斬る。軍人其の身を分ち、節解(せっかい)して之を臠(れん)す。簒より亡に至るまで改元する者(こと)三、始建国・天鳳・地皇と曰(い)う。凡(すべ)て十五年なり。莽、首を伝せられて宛に至る。更始、宛より都を洛陽に遷(うつ)す。父老、司隷校尉の官属を見、或る者は涕を垂れて曰く、図らざりき、今日復漢官の威儀を見んとは、と。 更始元年、都を長安に遷(うつ)す。 赤眉、長安を攻む。明年、赤眉入る。更始、出奔す。已にして赤眉に降(くだ)り、殺す所と為る。立(りつ)より亡に至るまで、凡て三年なり。前数月、大司馬秀、已に河北に位に即く。是を世祖光武皇帝と為す。 年々、旱魃(かんばつ)や蝗(いなご)の害に見舞われ、人々は共食いをするまで追いつめられ、各所で暴動が起こった。王莽は五種の薬石と銅で北斗星をかたどった威斗というものを鋳た。その霊威によって各所の兵を威圧しようとして、外出の折にも人に背負わせて行った。 漢の兵が宮中に攻め入って来ても、王莽は玉座の向きを変えて斗の柄が敵に向くように坐して「天が徳を予にさずけているのだ。漢の兵が予をどうすることが出来るものか」と強がっていたが、とうとう漸台で首を斬られてしまった。兵たちは、王莽の身体を節々に切り離し切り刻んでしまった。簒奪から滅亡に至るまで、改元すること三回、始建国・天鳳・地皇がそれで、あわせて十五年間である。莽の首は駅伝えに宛まで送られた。更始帝は宛から洛陽に都を遷した。この時、父老たちは司隷校尉の率いる属官たちを見て、ある者は涙を流しつつ「今日、こうして再び漢廷の役人の威容を目の当たりにしようとは思いもよらなかった」と言った。更始元年に長安に遷都した。 赤眉が長安を攻め、翌年には攻め入った。更始帝は逃げ出したが間もなく赤眉に降伏し、殺された。帝位に即いてから滅亡に至るまで、あわせて三年である。 その数か月前、大司馬の劉秀はすでに河北で皇帝の位に即いていた。これを世祖光武皇帝という。 漸台 未央宮にある高台。 臠 切り身。 https //blog.goo.ne.jp/ta-dash-i/c/42f06b7a51abc13bbb90975593b736b8/84